苦しみの渦中にて
ここ最近の
僕の心が映し出す世界は
いつか恐れていた事が
現実に見え始めたかのような
そんな世界
……
こんな時は
真剣に話し合える人以外とは
会わないでいたい
じっと自分を見つめる
ただただじっと
ゆっくりと時間をかけて
……
外側の何かで気を紛らわしても
それは一時的で
結局はまたやってくる
過去の行いが
次々に心に浮かんできて
自分はなんて
愚かな人間なんだろうと
頭を垂れる
……
じっくりとその感覚を味わう
時間をかけてゆっくりと
ひとつ分かっている事は
今、僕の何かが
間違っているわけではないという事
今、来るべくして
これが僕の元を訪れている
そしてこれは
僕自身が僕自身の為に
創り出している世界で
僕だけが見ている
言わば幻のようなもの
……
ここできっと何かが浄化され
次へ進めるんだ
今日は山を下り
僕が好きなお寺へ行った
少し迷ったけど
やっぱり行こうと思った
……
長老と呼ばれている前住職に会い
有難い話しを
沢山聞かせてくれた
今年になって憶えた
般若心経を
念を込めて唱えた
その帰り道
普段は会わない人とばったり遭遇
しかも二人も
一人は前に屋根の仕事を
手伝った時の親方で
もらっていなかった給料をくれた
もう一人は
同じ地域の移住者の人だけど
忙しく各地を転々としてて
長い期間はこの辺に居ない人
その人は
今度遊びに行きましょうと
誘ってくれた
とても
ありがたいと思った
こんな時は特に
関わろうとしてもらえる
という事が
本当にありがたい事だと
感じる
そしてその次元が
とても大切な次元なんだと
そんな風に
気付かせてくれたりもする
僕は仏教徒でもなければ
神教でもクリスチャンでもないけど
お釈迦様は好きだし
般若心経も好き
神社にも聖書にも救われた事がある
先人が残してくれた言葉が
僕に教えてくれたのは
「大丈夫、それで合ってる」
という裏付けだった
その証明は
疑いを取り払い
道を明るく照らしてくれた
……
あとの事は
自分の道の中で体験していけば
分かる事だし
僕にとっての神様は
偉大なる教師ただ一人
僕にとっての神様は
教えを説かない
ただただ歩ませ自分で掴ませる
でもピンチになると
そっと差し伸べてくれる
例えばその時まさに
僕に必要な言葉が書かれた
短編の聖書を
目の前に用意してくれたり
出逢うべく人とすれ違ったら
その人の元へと
導いてくれたりもする
だから今は
今訪れているこれを
じっくりと受け入れるんだ
……