自分の自由と快適さを、容易く他者に明け渡さない。
去年の9月、全然まだ夏だよなとしみじみ思う頃に体調を崩し、ひとまず2週間プロジェクトを休んだけれど何も変わらず、死んでないけど生きてもないような状態で秋を過ごし、まだまだ波があるから落ち着くまで様子を見ようと医者に従い冬を越し、桜が散る頃に恋人にフラれ、死んだような心で生き生きとした春をやり過ごし、そろそろ復帰するかと思えば保健師にまだ休めと言われ、ならもうしばらくダラダラするかと夏を揺蕩い、また秋が来た。今日で休職が終わる。休んでいられる期間の猶予はまだ残っているけれど、7月頃からそろそろ働くかぁと気持ちが変わり始め、体内時計を昼型に修正したりリハビリと称した擬似出勤をしたり、人事のやたらと長い復職手続きを待っているうちに今になった。
休職最終日はどんな気持ちで過ごすんだろう、不安と緊張で生きた心地がしないんじゃないだろうかと未来を暗く感じでいたけど、その日になってしまえば案外スンとしている。平日にあちこち出かけるのはしばらく難しくなるだろうから、奥渋の本屋で本を何冊か買って代々木公園に行った。USOという本に最近感銘を受けている。年に一度発行される文芸誌で、タイトル通り「嘘」をテーマにしたエッセイや漫画で構成されている。どこかZINEっぽさが漂う尖ったデザインで、作りたい情熱と作れる技術を持ち合わせた大人たちが集まって出来た本という感じがする。著者たちがこれまでの人生でついてきた嘘、嘘をつかなきゃいけなかった背景、嘘をつくことに慣れてしまった体と、慣れてしまったことを後ろめたくなる気持ち、そんな仄暗さが全体的に漂う文芸誌で、その暗さが自分にはとても誠実に感じたのだった。過去の何作かを買い公園で読むことにした。
月曜昼間の代々木公園は思っていたより混んでいた。平日も土日も関係ない生活を始めて気づいたことは、意外と平日も混んでるってことだ。いくつかのエッセイを読む。暗くなるまで平日の公園を味わおうかと思っていたが、2時間くらいで飽きてしまった。案外あっさりしたもんだ。そのあとは渋谷の100均でZINEの梱包資材を買ったり少しぶらぶらして明るいうちに家に帰った。そろそろ寒くなってきたので毛布をコインランドリーに出し、ふわふわの仕上がりにビビり、顔を埋める。犬とか猫とかに顔を埋めるとこんな感じなんだろうか。
復職したら自炊が面倒になって自堕落になるかもしれないので副菜などいくつかまとめて作りおく。メインのおかずが惣菜やコンビニだとしても自分で作った副菜があると気分が違う。既製品ばかりを連日食べると気分が塞ぐことは学んだので、冷蔵庫を開ければ自分の手がかかった料理がある状態を維持する。生命維持としての作り置きであり、クリニックでもらう薬と役割はほぼ同じである。
明日は復職日であるものの出社はしない。宅配で届く社用パソコンを受け取りセットアップするだけで音もなくひっそりと復帰する予定だ。徐々に出社の頻度を増やしていこうと思う。
この一年と、それまでの日々を想う。誰に駆り立てられずとも勝手に責任感が発動する気質なので、適度に発揮すれば良いものを生み出す原動力になるが、大抵の場合は自分の首を締めるプレッシャーと化していた。役に立たねばならない、価値のある人間でいなければならない、ここしか自分が存在できる場所はない、そんな何かに追われる恐怖みたいなもんが、根底のどっかにあったんだと思う。今それが全て無くなったとは思わないが、随分薄まった気はする。何かに貢献するとか、誰かの役に立つといったことを一切考えない一年だったなと思う。自分のやりたいことをして、やりたくないことはやらず、自分が楽しいか、心地よいかだけを考えた一年だった。逆にそれまでは他者がどう思うかしか考えずに過ごしていたように思う。迷惑をかけないよう、周りの人が心地よくいられるよう気を配り、求められている以上の成果を出そうとすることが染み付いていた。それはとても大事なことだけど、他者を思いやることと自己犠牲は別だ。行動の判断基準を他者に置き、他者にとって価値のある人間であることを美徳としていた気がするが、一度休んで周りを見てみると、案外テキトーに手を抜いて己の快適さを他者に明け渡さずに生きている人が沢山いることを知った。ちょっとサボるくらいが丁度いいのだ、自分のような人は特に。
そんな自分の過剰な真面目さに呆れつつも、その気質のおかげでスムーズな休職基盤が出来ていたのも事実なんである。休むことにも戻ることにも後ろめたさを感じず、復帰後も自分の居場所はあるだろうと思えたのはこれまでの勤勉さが築いた信頼のおかげだ。また、うっかり始まった手当金生活でも経済面で深刻に悩むことなく生活できたのは、無計画ながらも続けてきた資産形成のおかげで、そういう真面目さは褒めてやろうと思う。勤勉とテキトーのグラデーションをいい具合に使い分けられる分別が身につくといい。本格的な仕事復帰後どんな調子でいられるかはわからないが、根拠のない何かに追われているような切迫感は、きっと前ほど感じないんじゃないかと思う。それは、自分が勤勉だろうがテキトーだろうが、仕事で活躍しようがヘマをしようが、自分という人格の存在が揺るぎないものだと信じていられる精神的支柱ができたからだと思う。その支柱は、自分が休職しても大袈裟に扱わず普段通り遊びに誘い出してくれる友人たちでもあり、どこの誰かなど関係なくただ共通の楽しさを分かち合う陶芸教室の時間でもあり、このZINEを作っている時間である。そして、自分が呑気にプリンを食べていようが、無理な日で一日泥と化していようが、会社員として勤勉に働いていようが、そんなことは関係なく地球は回り、毎日は始まって終わっていくという、誰にも変え難い事実を信じていられることなんである。