我が子が不登校。学校へ行かせる?休ませる?…子どもの成長を思うからこその葛藤。
小学2年生になる次男が学校へ行きたがらなくなってしまいました。
学校へ行けるようにと、妻と先生も一緒にあの手この手と考えてきましたが、まだ行けるようになっていません。
これからどうしたらいいか、思うところがあるのですが...。
先生は3月に異動してしまったけど、話を聞いてもらえますか?
冬休み明けの朝、この日は初めてのお客様のところで仕事をすることになっていたので、子どもたちを妻に任せて、朝早く仕事に出ていました。
お客様のところへ向かう途中、妻から電話が入りました。
次男、「学校行かない。、家にいる。」って言い張って動かなくてさ。
私も仕事遅れて行けないし、学校休ませるね。
仕事早く終わって帰れそう?
次男が学校へ行きたくないって言うのは、これまでにも時々あったので、今回も一時的なものだと思って気楽に構えていました。
でも、この日から自分の意志で学校へ行こうとすることがなくなってしまいました。
ここからの関わりは先生もご存知だと思います。
初めの2週間くらいは、自力で行ける日以外は、無理やり連れていきました。
雪が降る中、学校へ行きたくないと大泣きする次男を抱きかかえて玄関を出て、押し込むように車に乗せる。
腕に引っかき傷ができようが、噛みつき痕ができようが、心を鬼にして学校の先生へ引き渡す。
毎日ではなかったにせよ、こんな日は申し訳ない気持ちばかりで、心の傷は増える一方でした。
そんなとき、先生からいただいた言葉は救いになりました。
やり方、変えましょう。
これ以上は次男さんがかわいそう。
先生が「このままじゃまずい」って思ってくれていたことが、ありがたかったです。
これで、泣きじゃくる次男を見送ることもしなくていいんだと、解放されたような気持ちにもなりました。
先生には、次男が学校へ行けるように、たくさん提案してもらいました。
「朝の会から帰りの会まで学校にいる」じゃなくて、「学校へ来てあいさつをする」を最低ラインに変えてくれたので、家族みんなの心がだいぶん楽になりました。
もちろん、腕の傷もなくなりました!
玄関じゃなくて体育館を学校の入り口にすることも、次男はうれしかったみたいです。
朝から広い体育館を独り占めできるのは最高ですよね!
それに、朝の声かけも、「学校、行くよ」から「体育館で遊ぼう!」にできて、朝からワクワク感も出せるようになりました。
ほかにも、毎日、生き物の世話をする係に任命してくれましたよね。
たくさん「学校へ行く理由」を作ってくれたので、学校に通える日が増えたんだろうなと思います。
そして、1年生の最後の登校日。
朝から学校へは行けなかったけど、帰りの会に間に合いました。
クラス全員そろって1年生を終えられたことに喜ぶクラスメートや先生。
そんなみんなに「学校へ来てあいさつをする」の約束を守って、1年生を終えることができました。
2年生へ向けて、次男が学校へ通いやすくなるようにと、先生からいただいたアドバイスのとおり、できる限りの準備をしました。
「自分で歩いて学校へ行くんだよ」、「がんばって教室で授業を受けようね」など、勇気づけるように声をかけました。
春休みの最終日には、学校へお願いをして、2年生の教室や座る席を見たり、新しい担任の先生とも挨拶させてもらいました。
もちろん、準備をしたからといって、すぐに学校へ行けるとは思っていません。
少しずつ前進してくれたら...、という思いでした。
学校が始まると、自分で歩いて行くことはしませんでしたが、体育館から学校に入ることはできました。
教室以外の場所で過ごす時間もあったけど、1日の最後にはみんなと教室で過ごし、歩いて帰ってきました。
2年生になっても、1年生の時と変わらず、学校に通っているように見えました。
でもね、先生。
学校へ行くたびに、朝の寝起きがだんだんと悪くなっていきました。
数日経つと昼くらいまで寝るようになり、挨拶へ行く時間を作るのがやっと。
明らかに疲れが目立つようになっていました。
過ごし方は同じでも、新年度は環境が大きく変化するタイミングです。
教室の場所が変わり、クラスメートや担任の先生も変わります。
学校も先生方の異動で新しい体制になり、1年生も入学します。
こういった「環境の変化」って、周りが思っている以上に、子どもの心や体に負荷をかけているんでしょうね。
その負荷が次男にはとても重く、予想以上の疲れとして表れたんじゃないかと思いました。
この次男の疲れを取るための時間、そしてこれからのことを考えるための時間を作ろうと考え、「学校お休み」を決めました。
日本全体を見ると、小学校の不登校生徒数がこの5年の間に一気に増えているそうですね。
理由は勉強や友人関係、家庭環境など様々のようですが、教育を受けられるように、学校へ行けるようにと、たくさんの方が関わっていると聞いています。
そんな中で、不登校の子を無理に学校へ行かせなくてもよい、といった考え方も増えていると聞いてます。
子どもの気持ちを尊重する、学校以外にも学習機会はたくさんある、などが理由だそうです。
次男の「学校お休み」を決めたのは、結果的に「無理に学校へ行かなくてもいい」という考え方を選んだことになるのでしょうか。
そのためか、「なんとか学校へ行かせるべき」という考え方の方とは、少し議論というか、ディスカッションにもなりました。
毎日の授業で得られる知識や感性、教養。
雨の日も風の日も、小学校へ行くという習慣。
先生に怒られ、友達とケンカしても、人間関係を続ける力。
こんな経験をできる小学校へ行かずに、どうして成長できるの?
だいたい争点はここですよね。
さらに、子を保護する者には学校に通わせる義務もある。
学校を休ませるのは義務違反だろう、と。
確かにそうです。
私も小学校を卒業しましたし、小学校へ通っていたから成長できたこともたくさんあると思います。
ただね、先生、この考え方が行き過ぎる心配もしているんです。
学校へ行きさえすればいい。
次男が学校へ行きたがらなくなって、みんなで方法を考えながら、学校へ行けるように応援していました。
あの手この手で学校へ行けると喜んで、行けなくなると次の手を考える。
こうやって方法を考えること自体はいいとは思ってます。
だけど、なんとかしようとし始めて時間が経つうちに、だんだん目的が変わってきている気がしてきました。
「学校へ行かせること」が目的になっていないか?
学校へ行きさえすれば何とかなる、来さえすれば何とかするという言葉。
学校へ行くのが当たり前だろうという雰囲気。
次男の気持ちがどんどんと置き去りになりつつある現状。
これはほんとにいいのだろうか?
一番大切にしなければいけないのは、「子どもの成長」なのではないか?
いろんな疑問、腑に落ちない状況が、今、目の前に広がっています。
各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うこと
教育基本法第5条第2項にある「義務教育として行われる普通教育の目的」です。
日本の小学生には、ここを目指した教育を受けられることを保障することが第一なのだと思います。
そう考えると、学校に行けない小学生は、学校以外の場所で「自分の能力を伸ばすこと」を始めたっていいのではないだろうか。
時間はかかってもいいから「自立的に生きる力」を手に入れて、いつか学校や社会に出られるように応援したっていいんじゃないか。
こんな思いを持ち始めています。
先生はどう思いますか?
我が子が不登校になり、「子どもの教育」についての考え方が人それぞれであることを知りました。
「なんとしてでも学校へ行くべきだ!」
「学校へ行ければ何とかなる」
「子どもが成長するなら方法は選ばない」
もちろん、いろんな考え方があるのはいいと思います。
ただ、次男は唯一の存在。
この瞬間にできる教育は、いろんな方法の中の1つだけ。
どの方法を選ぶか、大人同士がきちんとすり合わせておかないといけないような気がします。
今、どんな教育をするか。
今、どんな成長を望むのか。
家族、学校、そして次男本人が、同じ思いになれたらいいです。
たとえ、今すぐ、学校へ行けなくたって...。