”落ち着いたね”という言葉が刺さる
働きはじめて1年くらい経ったあたりから、いろんな人に落ち着いたねと言われるようになった。
「良い意味で落ち着いた」と言ってくれる人が多かったが、その分「昔よりも尖ってない」とも言われた。
思い返してみると、ベンチャーに入ったばっかの時は割と尖っていたのかもしれない。
サークルと飲み会に明け暮れた大学生活。気づいたらあっという間に月日は経ち、3年の秋にサークルを引退した。
そのときになって、会社をやりたいという昔からの想いを思い出した。ただその時自分には本当に何もなかった。
そこから急遽休学を決め、親や教授を説得。何もわからないため、必死に勉強したり、TwitterでCEOやVCの人にDMしてとりあえず会ってもらったり、一緒に創業してくれる人を見つけるために信頼できて優秀な人を口説いてみたり、とにかく行動していた。
行動している中で、いろいろなご縁があり、一旦起業は辞めてあるベンチャー企業にお世話になることが決定した。
その時もまだ何も自分には無かったが、謎の自信だけはあり、勢いで突っ込んだ。きっと社員の人から見たら、何も出来ないけど変に尖ってるやつが来たなと思われたことだろう。
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笑っちゃう話ではあるが、2年前くらいのまだ何も知らなかった自分は、本気で世界と戦う会社を作りたいと思っていた。
それは果てしない道のりであるし、はるか夢物語ではあるのだが、当時は本気で思っていた。
だからこそ、とりあえず行動するしか無いと思い行動することが出来た。
そこからの約1年の間に、紆余曲折あり、起業に対する熱い想いは消えた。約2年経った今では、将来的に会社をやりたいという想いは少なからずあるが、昔ほどの熱い想いはない。
今の自分は昔のような行動力を発揮することができない。なぜなら、そこにかける想いの量が違うから。
熱い想いが消えた自分はいつからか「落ち着いたね」と言われるようになっていた。
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尖っていることが正解なのかは分からない。
尖ってない自分の方が好きだと言ってくれる人もいる。
ただ、熱中する熱いものは見つけたい。一生かけて成し遂げたいと思えるものだと最高だけど、まずは今熱中できるもの。
それが見つかれば、自然と尖った生き方になっていく気がしている。
今の自分が本気でやりたいこと。それを見つけるために自分と対話する必要がある。
就活を一度もやったことがないため、自己分析というものもやったことがない。2020年はしっかりと自省する時間を設けて、自分の核を見つけにいこうと思った。
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