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No.28 故郷へ再び

たかちゃん8年ぶりに故郷に戻る


さて、一人暮らしのススメに書いたけど
今度の記事は再び実家に戻った話

あ、実家じゃないな、祖母ん家だ
でも実家から2キロ離れた近所
私のおばあちゃん!当時で75歳くらいで1人暮らししてたのでそこに居候しました

小さい頃から祖母ん家は私の逃げ場
以前どこかで書いたような気がするけど
ほんとうになんでもできるスーパーおばあちゃん!大好きなおばあちゃん☺️

いまはもう100歳を迎え老人ホームで余生を送っているけど…(あぁ会いたいな、コロナの問題がなければ今年100歳を祝いに帰省するはずだったのにな)

話が逸れてしまいます😅

祖母ん家に帰ってきた私は心機一転
転職!

地元デパートでお歳暮時期だけの短期アルバイトをしながら転職活動

そして「リ◯ルートの◯◯支社」で長期アルバイターと呼ばれる一年ごとの契約社員として採用されました。

もちろん摂食障害のことは隠して応募しましたしホステスのバイトをしてたことも言ってません💧(いう必要ある⁈)
履歴書には高校中退とちゃんと書いたし大学名も卒業したんだからしっかり書いたし添乗員の職歴も書いたしSPIテスト受けて支社長さんと他の正社員さん数名の面接を受けて…採用していただきました!e

職種は…求人広告誌、就職情報誌の広告営業です。週5、フルタイム!
「リ◯ルート」って当時はあゝあの『リ◯ルート事件の!』ってすぐ言われるくらい生々しかったけど
それでも「リ◯ルート」って若くて頭のめっちや回転速い意欲高い社員さんばっかりなのよねー(おそらく今でも)

就活情報がっつり握って全学生の中から一番優秀な子を集めて自分の会社に就職させてるんじゃないかって悪口言われるのわかるww

私が採用された支社も支社長は30歳そこそこで、社員さんは20代、当時の私と同じくらいの歳だったな
でほとんどみんな独立志向で起業しようという夢をもっててそのノウハウを学んだり人脈を広げるために今の会社を利用してるって感じで、また会社もそれを良しとして推すという社風🌟
すごく前向きで活気があってエネルギッシュで✨
たかちゃん、かなり影響を受けた(๑>◡<๑)

その一員となって仲間として働くことで
同じマインドを学んだよ❣️

営業職なんで目標を持たされる
目標達成できるように日々自己努力なんだけど、しょっちゅう進捗具合や相手会社とどんなやりとりしてどうゆう戦略で行くか情報共有して皆んなからアドバイスもらったりアドバイスしたり…もうほんと一人では決して達成できない目標だけどいろんな角度からみんな一緒に考えて契約をとりつけていく、顧客のニーズは適切な人材の採用だからそれを達成できるように話し合いを重ねながら広告を作る、結果を出す!
もうほんとに忙しかったけど…必死でくらいついてたよ
頭の良い人たちのやり方は「よく学んでよく遊べ!」って彼らは仕事バリバリやるけど決してやりすぎない!
アフターファイブはサッと帰るもしくはパーッと遊びに行っちゃう!
切り替えが上手い、無駄にグダグタ粘らない
人生を楽しむ、仕事も楽しむ、楽しみながら最大の結果を出す、そんな感じ

毎日毎日刺激に溢れてて忙しいけど面白い!
朝7時に家を出て自転車で駅まで行って電車に30分ほど乗って会社まで行って、アポイント入ってたら会社の車で営業先回ってたいてい18時ごろ退社して家に帰ったら19時半か20時くらい。。。
時々、会社の先輩や同僚と呑みに行ったりもあったけど
たいていは帰宅して祖母が用意してくれたご飯を食べる…いやちゃんと食べてたかな?お米は食べてなかったな『水炊き』とか野菜だけ食べてたと思うな😓
まだフツウに食べるのは怖かった、それは長らくいろいろ制限して食べられるものを選んでたその頃もまだそうだった
で、毎日じゃないにしろ、いやほとんど毎日だったと思う、帰宅後は過食してたよ😢
祖母ん家は駅からは近くて商店街も近くにあったので大きめのショッピングセンターは夜9時半ごろまで開いていて仕事から帰ってからでも十分間に合ったので
よく終わりごろに行き半額セールのシールの貼られた惣菜や菓子パンやたくさん買い込んでは過食嘔吐してしまってた。
あいかわらず仕事中はちゃんと砦をつくって過食が侵食してこないように頑張るんだけど、仕事終わったら過食魔が解き放たれ私は蝕まれてしまう

祖母ももうわかっているので何も言わなくて困った顔すらしなくてふつうに一緒にテレビとか観ながらほっといてくれた、ありがたかったな
それでも心配はかけていただろうなぁ…と今更ながら思う、申し訳なかったなぁと思う

とくに休日は、時間が無駄にあるのが怖いくらいだった。じゃあ予定をたくさん入れて無駄な時間がないようにすれば…そういう問題じゃないんだ、私には過食は必要で、それがないと他もちゃんとこなせないような『必要悪』のような存在だと思ってた
とにかく逃れられない悪友のようなものになっていて、下手に我慢して仕事中に侵害してこられるのは困るから空き時間に終わらせとこうという発想になってて
ギチギチに予定を詰めないで過食できる余裕を自ら作っているという😅

ほんとに過食をやめたい、やめる気ってあったかな?
もちろん当時のたかちゃんに尋ねたら「そりゃヤメタイ にきまってる!」と即答したろうけれど…そう言いながらどっぷり頼って(依存)して「無くなるのは怖い、無くなったらやっていけないかも」と無意識の領域で思ってたとおもう。
何を怖がってた?太ること?うん、それは表向きは一番の理由だ
フツウになること?フツウ=みんなといっしょ…なりたくなかったかもね、みんなと違う特異性を持っていたかったかも

あと私は過食はカタルシスだと思ってた💡今でも過食って《カタルシス》だと思ってる
なんていうのかな…いろいろ生きてると呑み込めない不条理とかストレスとかあってすんなり受け入れたくないことたくさんあって、それらの処理として我を忘れて詰め込むように食べてそして全て吐き出す!

排泄=浄化だ!
浄化無しでは、このカタルシス無しでは、生きられないような
でも苦しい、こんなのが続く人生は嫌だと思ってた
そしていくら自分の稼いだお金で過食のための食べ物を買うと言ったって…無駄なことにお金時間を使ってるという罪悪感のようなものもあったし、一生続くかもしれないと思うと絶望的になったりもした

とりあえず…でもこの頃は
「過食する自分」を自分で支えて自己完結してた

ホステスの時は一人暮らしの家賃生活費まで払って過食費もかかって家事も全部だから余裕がなかったけど
故郷でフルタイム勤務で働くと金銭的には余裕だね、貯金もしっかりできた!

結構まとまった額貯金して…それは「将来何か始めるときの創業資金にしよう」と思ってたんだよね、もし何か始めたいことがなかったら「世界を旅する資金」にしたいって
それが当時思い描いた夢
その思い描く将来的の私は、過食嘔吐から解放されたワタシ!
さてその夢は二十年後の今現在実現したと思いますか???

リ◯ルート時代の具体的なこれ以上詳しくは話はできません
身バレが心配と言うより一緒に働いた仲間のプライバシーや企業秘密にも関わるので
社名はもちろんエピソードや具体例は文字に残る形では出しにくいです
でも、たくさんの地元企業の採用のお手伝いをさせていただきました

ヒトは
社会の中で育ちます
仕事をすることで鍛えられます
(耐えて働けという意味ではなく
退散してやめることでも学びます)
いろんな仕事をしてきましたが仕事が私を少しずつ成長させてくれてオトナに育ててくれたと思ってます
そしてその後…結婚して子どもをもち『子どもを育てる』ことが私を一番育ててくれたと思う

子育てが『自分育て』だったと思ってます

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