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アジアに親日国が多い理由
本日8月15日は終戦の日(玉音放送があって日本軍が戦闘を停止した日)です。
学校では日本はこの日までアジア諸国を武力で侵略し多大な迷惑をかけたと教えられ、毎年総理大臣が反省の言葉を述べる日でもあります。
多くの日本人は、この日は反省をする日だと思っているのではないでしょうか。
もちろん反省すべき点はたくさんあるでしょう。
しかし、本当に戦前の日本は学校で教えられるような悪さを海外で行っていたのでしょうか。
この矛盾をどう説明する?
これはフィリピンの東、西日本の真南に位置するパラオ共和国の国旗です。
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どこかの国旗に似ていませんか。
パラオと言えばスキューバダイビングの名所として有名ですが、知られざる親日国でもあります。
かつてはスペインやドイツの植民地で、第一次世界大戦後から第二次世界大戦時は日本の統治下にあり、戦場にもなりました。
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この国旗が制定されたのは戦後かなりたってからで、国民投票によって選ばれたそうです。
日本の日の丸になぞらえ青いパラオの海に黄色い月をデザインしたとされていますが諸説あり、パラオの人々の国旗に対する思いも様々でしょう。
しかし、もしパラオの多くの人々が
「日本に侵略されひどい扱いを受けた」
という記憶を持っていたとしたら、こんな日本国旗を真似たデザインが国民投票で選ばれるでしょうか。
私がもし日本にひどいことをされた国の国民だとして政府から国旗をデザインしろと言われたら、日の丸を足で踏んずけているデザインにすると思います。w
学校の歴史で 刷り込まれた 教えられたように、日本が多大な迷惑をかけたはずの国が、どうして親日なのでしょうか。
その理由を前駐パラオ日本国大使の柄澤彰さんが語っておられます。
パラオで日本が行ったこと
<帰国大使は語る>太平洋に浮かぶ美しい親日的な島国・パラオ – 一般社団法人 霞関会 (kasumigasekikai.or.jp)
この記事以外にも検索すればたくさん出てきます。
橋や道路、電気、上下水道などインフラの整備、学校の建設、学校教育など人材育成、産業の育成・指導...
パラオに限らず朝鮮半島や台湾など当時の日本の統治下にあった国々で例外なく行われていました。
つまり日本が関わった各地域は日本本土と同じように整備され、現地の人々は日本人とほぼ同じ待遇を受けていました。
インフラの整備や教育の普及は現地の人々の力だけではまず実現不可能なことだったと思います。
これが一部の例外を除き親日国が多い理由です。
学校で習った日本悪者説とは随分印象が異なると思いませんか。
インドネシアの真実
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学校の教科書では省略されていて、NHKをはじめメディアが取り上げない内容ですが、紛れもない事実はこうです。
オランダは大航海時代以来、300年以上に渡って東インド(今のインドネシア)を植民地として支配してきました。
1941年に先の戦争が勃発し、オランダは日本に対して宣戦布告しました。
これに応じて日本はスマトラ島とジャワ島を攻略、翌年オランダの現地軍は日本軍に全面降伏しました。
その後日本はインドネシアに学校教育を普及させ、エリート教育に力を入れ、インフラを整え、義勇軍(PETA)を創設しました。
余談ですがPETAのリーダー、スカルノさんは後にインドネシア大統領となり、その夫人となられたのがデヴィさんですよね。
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1945年に日本が降伏し、形の上ではオランダが日本に勝利しました。しかし、インドネシアは日本の施政下で着実に力をつけ、オランダ軍が戻ってきた時には、インドネシア人はかつての従順な奴隷ではなくなっていました。
日本の敗戦後も残留日本兵とインドネシア軍がオランダ軍と交戦を続け、独立を勝ち取りました。
これがインドネシアの歴史です。
インドネシアの教科書には、次のように書かれているそうです。
日本の占領は大きな利益をもたらした
第1に基礎教育
第2に軍事組織
第3に政府機構
これはインドネシア独立の基礎となった
日本が来て大変な目にあったにもかかわらず、ちゃんと日本の功績を学校で教えてくれているのです。
なんとも義理堅い人たちです。
シンガポール首相のお言葉
ゴー・チャクトン シンガポール首相(当時)は、
日本の統治は過酷なものだったが、
日本軍により欧米の支配は粉砕された
これはアジアに自信を与え、
大戦後15年以内に植民地は
すべて解放された。
と述べています。
日本が来るまでは、アジアの人々は、有色人種は白人にかなわないと思っていたことでしょう。
しかし、同じ有色人種である日本人が飛行機からパラシュートで降りてきて欧米の軍隊を蹴散らす姿を見て、自分たちもやればできると言う自身を得たと思います。
他にもたくさんあります。下記リンクの動画が参考になります。
大東亜戦争の真実 世界 が 日本 を称賛 する理由 – YouTube
オランダ植民地時代
話をインドネシアに戻します。
オランダの統治下にあった当時のインドネシアでは、現地人は教育を受けることができず、外からやってきたオランダ人(白人)の下で単純労働に従事させられました。
現地人の食生活に必要な農作物の栽培は禁止され、代わりにコーヒーなどの栽培に転換させられました。
現地人は生活に必要な農作物を輸入に頼らざるをえない状況に追い込まれ隷属化させられました。
これがインドネシアに限らず欧米人が行っていた植民地政策です。
インドネシアでは300年以上も続きました。
日本は敗戦したが
この憎きオランダ人たちを蹴散らして国を整備してくれた日本人を、インドネシアの人々が憎む理由はそれほどないと思います。
日本は連合国に敗れましたが、日本の行動がきっかけとなりインドネシアをはじめすべてのアジアの国々が独立を果たしました。
逆に戦勝国側のイギリスやオランダは、ほとんどすべての植民地を失いました。
日本は多大な迷惑をかけたかもしれませんが、同時にアジア諸国の植民地支配からの脱却という大きな流れを作りました。
当時の日本が行けなったアフリカには今でも実質的に植民地支配が継続中の国がたくさんあります。
しかし、これもBRICS諸国の台頭により何れ解消されていくことでしょう。
おしまい
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