0支出で自由に生きる、「収入>支出」ライフデザインとは?
四季のように、波のように良い、良くないを繰り返す、このリズムって個人でもコミュニティーで同じ説。
コミュニティーに関しては、家族、会社などから、国など広義的。
つたないインプットのアウトプットなんだけど、日本は大日本、中日本、小日本みたいなのを歴史的に繰り返してるみたいな話。
例えば今の日本は中日本のようなフェーズなのかな?で、なぜBTSなどは海外で世界的な大成功を収めたが、日本からは出てこないかみたいな話。
韓国は、国内のマーケットが小さいから最初から海外に目を向けた手を打ち続けているが、日本は国内のマーケットがそこそこあるから、自国の内でビジネスがワーク可能みたいな話。
もっとワークしてたらうちら最強で事足りてるから鎖国~みたいな。
けど、歴史に無知だから推測なんですが、小日本の豊かではないフェーズの時もあった。
そのケースは国内が豊かではないから、否応なしに海外に目を向けるしかなかった。
こういう良くない、豊かではない、順境ではない、波の下の方の時期に対して、ほとんどの人は、ビックウェーブが来てる時と比較して良くない時期だという楽観的ではない観測をするが僕は全くそう思わない。
なぜならば、万物流転、盛者必衰みたいな移り変わる事が自然な事だから。
自然のダイナミクスの一部だから。四季の移り変わりも自然なリズムで個人レベルで夏が好きとか寒い時期は得意ではないみたいな好みはある。
とはいえ、四季に対してほとんどの人は抗わない。例えば、冬が好きじゃない人は毎年冬がきて寒さが苦手だが四季に対してあれこれ言わない。
なぜならばその変化はあまりにも当たり前だから。それと同じように並のような良い良くないみたいな主観的な解釈も実は自然な、中立的な現象に過ぎないと思う。
昨日東大の名誉教授の女性が海外から多様な人を受け入れずに衰退を受け入れた方がいいみたいな話をしてた。
僕も柳に風みたいになるがままで衰退のフェーズなんじゃないかなと。
でも衰退しきってボトムになると自浄作用というか0に近い状態にリセットされて、そこからまた0に近い状態から作り上げるみたいな。
だから国とかの波のような自然なリズムに抗わず、四季に対して例えば冬が来たら百均でプチプチと銀のテントとかに敷く保温シートを玄関や窓に貼り付ける、お金がある人はエアコンをつけっぱなしにするみたいな対応する。
冬が来たら冬の服を着たりヒートテック上下着たり、腹巻きやレッグウォーマーやネックウォーマーや両肩と腹に貼るホッカイロつけたり、部屋を暖める情報をTwitterやYou Tubeで検索したりは誰もがするようにする。
同じように衰退の時期に僕は個人レベルでは徹底的にお金を使わないという戦略を立てる。
要は「収入>支出」のライフデザインが毎日できてれば事実上貯金も保険も何も要らない。
老後2千万円問題みたいな将来の不安を煽られても全く平気。例えば一日に二千円を稼いだとする。
一日一万円、2万、3万円稼ぐ人からしたら、二千円「しか」稼げなかったと解釈する。
個々人の解釈次第だが、しかしながら水はマルエツで組んで水分補給は無料、交通費も自転車で行くから多少時間はかかるが無料、お腹がすいたら握っていったスーパー大麦のおにぎりを超絶お腹がすいたら少し食べて噛みまくってゆっくり食べてGI値的にもいい。
お金もほぼかからない。結局二千円だが、使った支出は200円もかからなかった。
帰宅する。無料の自宅のWiFiでYou TubeみながらTwitterみて無料で将棋クエストやMJの麻雀やる。
他のソシャゲも無料でやる。全くお金かからない。要はお金というツールをよりどころにしなくても無限にただで楽しめる娯楽はあるから、自分がどうやって「収入>支出」のライフデザインするか。
暖房つけて風呂に入るし、アミノバイタルパーフェクトエネルギーを一日一本飲むが120円、光熱費も400円もかからないが、仮にそうだとしても二人でわれば一人あたり200円。そしたら2000円で住める。
しかしながら社会や世間が要求するイメージにすり合わせるとそれだと面子が保てない、体裁が悪い。
だからみんなと同じように後ろ指さされるのがこわいから、画一的なそのイメージに溶けて安心感を得る。けど、その社会が生み出したイメージというのは原理原則では決してないし時代が変われば変わるような普遍的ではないもので、実体が、実はない。
つづく