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ゲーム狂時代(ゲーセン編)

僕が音楽に目覚めるきっかけとなったゲーム音楽について語りたいと思います。

ゲーム黎明期であるゲーセン時代、家庭用ゲーム機が隆盛を極めたファミコン時代、そして僕が音楽に目覚めるきっかけとなったPC Engine版イースとの衝撃的な出会いまでを記事にしていく予定です。

そこそこの長文ですが、もし興味がある方がいらっしゃいましたらお時間のある時にでも読んで頂ければ幸いです。

今回は僕の少年時代の思い出を語りたいと思います。この時点で音楽の話は出てきませんが、ゲーム黎明期とも言える昭和の混沌した空気感を感じ取ってもらえればと思います。

さて、時は1980年代〜小学生当時の僕は任天堂のゲームウォッチを持っており、たまに近所の友達が持っていたカセットビジョンで遊んでいました。そんなある日、小学生の上級生達に連れられて行ったゲームセンターで稼働していたゼビウスを見て衝撃を受けます。

緻密に作り込まれたグラフィック、巨大キャラの走りとなった浮遊要塞アンドアジェネシス、ソルなどの隠しキャラや謎めいた存在であるシオナイトなど、少年の心を鷲掴みにする要素がてんこ盛り。

こうなると家庭にあるゲーム機がとたんに陳腐に感じられるようなり、上級生も「ウチにあるゲームなんて子どものおもちゃ」と言って憚らない(笑)

しかし、ゼビウスのような本格的なゲームをプレイする為には数々のリスクが伴いました。当時のゲーセンは薄暗くゲームのディスプレイが照明代わり。怪しい雰囲気のなかタバコの煙がもうもうと漂うさしづめ東洋の魔窟といった様相。

いつ行っても見かける常連客と言えば、不良や浪人学生&大学生くずれが定番。彼らは小学生の僕から見ても人生が上手くいっていないのは明らかでした(笑) 大学生はテーブル筐体に100円玉を大量に積み上げ「ドルアーガの塔」などの難解ゲームをやり込むハードゲーマーが多かったですが、彼らと仲良くなると攻略法を伝授してくれたり時におごってもらえることもありありがたい存在でした。

一方で厄介なのは不良の存在。80年代はツッパリ文化が全盛時代でゲーセンは不良達の溜まり場と化していました。彼らは日がな1日人気ゲームの筐体に陣取り、ジュース缶やライター等の私物を置き散らかすのでゲーム筐体に近づけません。そして灰皿に大量の吸殻を積み上げながら、ひたすらカツアゲできそうな客を狙うサメみたいな存在でした(笑)

彼らは僕のような少年ゲーマーにとっては迷惑極まりない存在でしかなく、小学生でも容赦なくカツアゲしてくるので店内に入る前には必ずその不在を確認してから入店していました。

ゲーセンの管理人は日によって違いましたが、第二次世界大戦への従軍経験があるという怖い初老のおじさんがシフトに入っていた場合、彼の機嫌次第では 「ここは子供の来るところじゃない!帰ぇれ!」と怒鳴られ追い出されます ただし、このおじさんがシフトにいると不良達のカツアゲから守られるメリットがありました。

一方、大学生のバイトがシフトに入っていた場合はお咎めなしで入店できますが、不良にカツアゲされても見て見ぬ振りされるので悩ましかったです(苦笑)

今でこそゲーセンはアミューズメントパークと名を変え明るい雰囲気となっていますが、当時のゲーセンは劣悪な環境であり、小学生が気楽に立ち入れるような場所ではありませんでした。そんな訳でゲーセンは不良への登竜門と目されるようになり、学校や地域は子ども達のゲーセンへの出入りを警戒するようになります。

そんな中、実際にゲーセンで恐喝、暴行事件が発生したことにより、学校、PTA、警察がゲーセンを巡回するなど、徹底した対策が施されるようになりました。 しかし、禁じられると余計に行きたくなるのが昭和の少年。ゲームやりたさにゲーセンに出入りする小学生は後を絶たなかったのです。

指導員に見つかると学校に即通報されるので、不良達と同じく見かけたら即ダッシュで逃げていました。 実際に捕まったその後は大変です。 先生&親が待つ指導ルームに呼び出されこっぴどく怒られます。更にゲーセンに同行していた者の名前を吐くようしぼられます。

しかし、捕まった生徒達は皆申し合わせ通り同行者の名前を吐かなかったので、僕を含む他生徒には塁が及びませんでした。 しかし、後日コッソリ後を付けていた母親にゲーセンで捕まってしまい、コッテリしぼられた挙げ句、小遣いの支給を停止されゲーセンへの出入りも厳しく禁止されるという制裁が課せられることになります。

もし再びゲーセンへの出入りが発覚した場合は、小遣いの支給禁止期間を無期限で延長されるという厳しい措置付き(笑) 今にして思えば、当時のゲーセンの劣悪な環境を考慮すると、学校や保護者の対応は当然なものであったとは思います。現在、僕は子を持つ親となっていますが、当時のような環境のゲーセンに自分の子供達が出入りしていたとしたら、おそらく血眼になって厳しく取り締まっていたことでしょう。 「立場変われば人も変わる」とはよく言ったものです(笑)

話しは当時に戻りますが、実は抜け道もあり駄菓子屋や学生向けのお好み焼き屋に置いてあるゲーム筐体はなぜかお咎めの対象ではなく、次第に子供たちはそこに流れていきました。 ただし、僕の住む町にそのような店はなく、距離のある隣町に店があった為、あまり出入りはすることはありませんでした。

しかし、その後はそこにもタチの悪い不良が出入りするようになったとの情報が入り、安心してゲームができる場所ではなくなってしまったようです。 もう、ゲーセン通いは無理かな?と思い始めた頃、ゲーセン仲間から何やらスゴいゲームが稼働しているとの話しを聞き付け、懲りずに再び近所のゲーセンに通い始めました(笑)

そんなある日のこと、運悪く地元中学生の不良達に捕まりカツアゲされていると、怖そうなお兄さんが不良の背後から近づいてきます。 「ヤバそうなのが来た!」 と恐怖に包まれた瞬間、このお兄さんはいきなり不良の髪の毛をつかみ引きずり倒しました。

「ガキ相手に何しとるんや!!」

ゲーセンに響きわたる怒声と不良達の悲鳴。怖いお兄さんはツカツカと僕に近づいてきます。

「もう終わりや、、、」

恐怖のあまり呆然としている僕に対して「もう、こんなところで遊んだらアカンぞ」「これで足りるか?」と札紙幣を差し出し、不良達を外に連れ出していきました。

このお兄さんが普通の人ではないことは小学生の僕にも分かりましたし、この一件以来ゲーセンには通わなくなりました。

不良や指導員の目を掻い潜り、艱難辛苦を乗り越えゲーム筐体にたどり着いたとしても、当時のゲームテクニックではあっという間にゲームオーバー。 月の小遣いがあっと言う間にゲーム筐体に吸い込まれる訳ですからワリにあいません。運悪く不良にカツアゲされても同様です。 という訳でゲーム熱は次第に冷めていきました。

ゲーセン通いから足を洗ってからは、ゲーム情報から完全に遠ざかっており、地元の体操少年団に所属して練習に打ち込む日々。あれ程情熱を燃やしていたゲームへの想いが消えかかろうとしていた頃、元ゲーセン仲間であった友人の一人から耳を疑うような情報が持たらされました。

「家のテレビでゼビウスが遊べるぞ!」

「!!!!!!」

ファミコン時代の到来です。

続く・・

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