6時間目を撤廃。児童も教員も自律した学習者になるために。
舞台は東北地方の小さな町。人口が5000人強、急速に人口が減少し、町内には小学校1校、中学校1校だけ。隣接する市を中心に市区町村が広域連合となり、教職員の人事異動などは概ねその広域内で行われる。今回紹介する学校は、児童が約200人、教職員が約30名、全学年が1クラス、特別支援学級が4つの小学校。そんな学校で起きている変化について、校長先生に話を聞いた。(取材は令和6年3月下旬)
毎日15分のモジュール活用で6時間目をなくした
-今、学校経営の中で何か変えようとしていると伺ったのですが。
6時間目の授業をなくしました。最大でも5時間目までしかありません。ただ年間の授業時数は決まっていますので、工夫が必要でした。どうやって実現したかというと、ひとつは予備時数をできるだけ圧縮して、国が定める標準時数程度にしました。加えて15分間のモジュールを取り入れました。
どういうことかというと、昼休みの後、5時間目の前に、15分間の枠をとり、これを時数の中にカウントしました。一週間で5回で75分。1年間で42週ほどあり、これを有効活用すれば、十分に時数を確保できることがわかりました。詳細は教務主任にもがんばってもらい計画を立ててもらいました。知り合いの学校でも実績と経験値があったので、できるんじゃないかと踏み切ったところです。
-すごいですね!これはどのような目的が?
放課後の教職員の時間を確保したかったということと、子どもたちも早く帰してあげたかったからです。6時間目になるとどうしても子どもたちも疲れが溜まります。5時間目までで帰り、ゆっくりしてほしいということがあります。そして教職員は、落ち着いて研修したり、自分の教材研究をしたりするような時間を、日課表の中に位置付けています。令和6年度から始めるため、実施しないとわからない点もありますが、これまで教頭や教務主任を中心に先生方と議論してきたところです。(取材は令和6年3月下旬)
-工夫をした点や逆に懸念点があれば教えてください。
45分の授業の中で、例えば漢字ドリルの新出漢字を書く練習をする、テストの直しをする、ミニ実力テストをする、既習範囲の復習をする、といった時間の使い方はこれまでも実際にしていました。そうしたものをモジュールのなかで扱い、逆に45分はきっちりと質の高い授業ができるのではないかと考えています。
とはいえ単元あたりの授業時間が例えば10時間、などと決まっているので、15分のモジュールをどう使っていくのか、担任の先生の一人ひとりのマネジメントが重要になってきます。その点、4月からについて先生方にはちょっと緊張感はあると思います。
-たしかに、毎日何かしら15分の学習時間を設計するのも、簡単ではないですよね
そうですね、最初は教科を絞ろうかという話もありましたが、それだと自由度が低くて活用が難しくなり個々の先生の創意工夫が狭まりそうだなと思ったので、教科の縛りはなくして、図工でも体育でも使えるようにしました。15分と45分を合わせて60分を使い、例えば図工であれば、いつもよりゆっくり作品の仕上げに手をかけられるとか、体育では、準備と片付もきちんと行って試合に真剣に向き合える時間にするとか、色々と話し合いながら計画を作り上げてきました。
ーなるほど、活用の仕方はこれから試していく段階ですね
実は以前勤めていた学校でも15分モジュールは取り組んでいましたが、時数にカウントしていなかったんですよ。ドリルをしたり、もう少し力を付けようと活用問題をしたりといった使い方をしていました。先生たちは時数カウントなしなので、比較的プレッシャーなくできた反面、指導はしているのに、時数カウントもされず時間拘束も生じるから、ジレンマになっていたんですよね。そういう経験があり、今回は時数カウントをしますので、しっかり計画的に進めようと確認をしたところです。
-時間割全体の見直しも行われていますか?
朝の時間の見直しもセットで行いました。スクールバスで通う子が多く、スクールバスの関係で7時40分頃に登校している児童が多くいたのですが、教職員の勤務開始は8時15分でした。そこに時間が開いてしまっていて、これを何とか埋めたいと考えていました。多くの教員は、勤務開始より30分か40分早く来て児童を迎え入れますが、そのままにするわけにはいきません。
なので児童の登校時間を遅めて、教職員の勤務開始を早めて、児童の活動開始も教職員の勤務開始も8時ちょうどにしました。地域や保護者の見守り隊の皆さんが学校近辺で子どもの見守り活動を行ってくださっているので、引き続き協力いただけるとありがたいなと思っています。
話し合いのプロセスを大切に。子どもたちの声も聴いて
-これらの変更について、先生方のなかには不安視する方もいたと思いますが、どのように伝えていきましたか?
まず急がないようにしました。急がずに小出しに。毎週の打合せ、月1回の職員会議、私が話せる場面で、具体的に資料を見てもらいながら、ちょっとずつ分かってもらうようにしました。極端なことを言えば、実際に始めてみなければ不安な部分は完全には拭いきれないと思います。大事なことは、不安な気持ちの先生に寄り添って、不安な気持ちも大事にして、話を聴いてきたことです。私だけでなく教頭や教務主任もいますので、私とは違う立場の教員も含め、話し合いを進めてきました。
-丁寧にやってこられたんですね。
本校に赴任する前から、変えたいこと・減らしたいことはたくさんありました。宿題、6時間目、掃除の時間、テスト、校則、色々とやってみたいことはありました。でもそれは私のアイデアでしかありません。アイデアは持ちつつ、まずは、本校の児童の状況を教員からたくさん話してもらいました。私が感じる課題意識と、実際に目の前で子どもたちに対峙している教員の課題意識は、絶対にギャップがあります。私が一方的に課題設定しても、教員は主体的に取り組めませんよね。なのでその話し合いのプロセスを大事にしました。本校の児童をどんな風に育てたいのかをじっくり話し合ってきました。
-話し合いのプロセスを大事に、ですか。
教員が話せる機会をたくさん作るため、会議の進め方も変えました。例えば学期に1回程、学校の評価を振り返る時があります。従来の会議ではアンケート結果が示されて、それに対して全体の場で、発言慣れしている人が少し意見を言って、大半の人は黙って聞いているという、どこの組織でもありそうな光景が当校にもありました。若手の人数が多いのですが、発言の機会が少ないのがもったいないと思ったので、会議でも校内研修でも、意図的に少人数のグループをつくり意見や疑問を出し合うような機会を増やしました。
-大切なのは話しやすい雰囲気づくりですね
あとは当然ですが子どもの声も大切ですね。校長室を普段から開放して、誰でも気軽に入ってきていいようにしているんです。子どもたちは休み時間にどんどん来て、ソファに寝転がったり、トランプやUNOやお絵かきしたり、おしゃべりしたりしていますよ。その日にあった嫌なことも正直に言うし、それこそ6時間目が眠いという子もいたし、宿題をなくしてくださいと訴える子もいます。最初のうちは私が会話に入っていましたが、子どもたち同士のコミュニティが自然とできてきたので、今は黙って聞いていることも多いですね。
-子どもたちの様子が自然体でいいですね
校長室を開放している理由はもう一つあって、不登校や登校しぶりの子の居場所として、保健室登校と同じように、校長室も使ってもらえればいいなと思ったからです。そのために校長室は出入り自由なんだとか、勝手に入って寛いでもいいんだねというのを学校全体に意識づけたかったんです。結果的に現在も何人かの不登校児が来てくれて、ゆっくり話をすることができています。
どこかで、苦しくなっている自分がいた
-先生が、従来型の学校から変えていこうと思うようになったのは、どういう経験から?
以前勤めていた学校はこの周辺地域の中でも最も中心的な学校です。歴史と伝統があって、職員も保護者も卒業生もその学校に誇りを持っているような、どの地域にも一つはある伝統校です。私はそこに比較的長い期間、勤めました。担任、教務主任、教頭、と勤め、何の疑いもなく、誇りをもって働いていました。ただどこかで、苦しくなっている自分もいたんですよ。決まりごとが細かく存在していて、合理的に説明できないことがあったり、子どもにこんなことまで要求していいのかなと思ったり、なんとなくモヤモヤし始めていました。その時は苦しさを言語化できないままでした。
そんな時に前任校に異動になりました。隣の学校だったのに、その伝統校とはすいぶん雰囲気が違っていて驚きました。その頃から、従来のような学校経営ではない、新しい学校経営をしたいという気持ちが膨らんできました。
-苦しくなっている自分というのは?
例えば廊下の歩き方や校舎内の使い方がかなり細かく決まっていたり、持ち物や学用品もほとんどの物が指定品になっていたりして、子どもたちは特にためらいもなくそうしているんですが、でもよく考えたらそれが、子どもたちの考える力や判断する力を奪ってしまっているのではないかと思ったり。
また、校内研修や研究のテーマ、いわゆるスタンダード的なものが決まっていて、そこからはみ出した授業をすると、言葉は適当ではないかもしれませんが、出る杭は打たれるようにされたりして。当時はそれが当たり前だと思っていましたが、それによって苦しんだ若い先生、創意工夫の意欲が奪われた先生もいたかもしれないと今振り返ると思います。
-たしかに少し息苦しさがあるかもしれませんね
当時そうしたことに疑問を感じることもあったし、酒の席で同僚と話すこともありましたが、こうあらねばならぬという意識もあったし、若手への指導もそうしていたし、あまり深く考えずに、結論付けていました。今は大変反省ですね。ただ最近になって面白いと思うのは、その伝統と格式のある学校が今大きく変わろうとしているんですよ。どんどん新しいことを始めているようで、私も大変刺激を受けているところです。
自他を認め、進んで学び、共に助け合いながら、チャレンジすること
-先生が目指している子ども像や学校像について教えてください。
学校教育目標を新しくしました。【自他を認め、進んで学び、共に助け合いながら、チャレンジすること】としました。キーワードは、自律・挑戦・尊重。教員が一律一斉の授業をしているようでは、児童の自律・自立や主体性は育まれないですよね。子どもたちにお互いの違いを認めるようにと言いながら、案外大人がそこを認められていないことが自分自身にもあるなと自省しています。学校教育目標は子どもに向けてであり、同時に私たち教職員に向けても同じで、自他を認め、進んで学び、共に助け合いながら、チャレンジしていきたいと思っています。
-お話を聞いていると先生自身がすごくいきいきしているように感じます
校長になったらやれることがとても増えた感覚があります。先輩の校長先生から言われたのは、その学校に何年いられるか分からないから、一年目から積極的に行動していく方がいいということ。着任してみて本当にそうだなと感じています。見える景色も全然違います。教頭は最終判断ができないんですよね。校長に対して色々と進言はできても最終決定は校長なので。教頭の時もそれなりに楽しかったし、やりがいも感じていたのですが、校長になったらできることがその10倍になった感覚があります。
-それはすごい変化ですね!
自由に使える時間が多いというのもあるかもしれません。教頭は予め決まっている仕事が多いんですよ。各種調査、教職員との確認業務、PTA関連、等が毎日数多くあります。それらも大切な仕事です。それに比べて校長は固定的な業務が少なく、考える時間、子どもたちと関わる時間、教職員と関わる時間、地域に出ていく時間、などにあてることができます。そういう時間で、思考を広げて考えて、その中からブラッシュアップしていくということができますよね。
-先生のお話を聞いていると、ご自身のアイデアや信念はありつつも、周りの先生や子どもたちの声をしっかり受け止めていらっしゃることがよくわかります。何か心がけていることはありますか?
同志を集めるように、共感してくれる人を増やしていくイメージを持っています。独りよがりではうまくいかないと思うので、対話しながら、少しずつ味方を広げていく感じですかね。
ある意味、私が幸運だなと感じたのは、私が教頭だった時はコロナ禍で、教職員にも児童にも色々な制限をかけていて、さきほど出た自律や主体性を育む機会を奪ってしまっていたかもしれません。その逆に今は制限が少なく、色々と活発なことができるなと思います。そしてコロナ禍のために前例が崩れて、やめても問題のないものが分かりました。私はいいタイミングで校長になれたかなと思っています。これからも、自他を認め、進んで学び、共に助け合いながらチャレンジしていきたいと思います。
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