AC MADE SHOW CAN ──飽く迄笑完──
序
と或る日、氣がついたら、SNSのチャットに召還されていた。
直ぐに挨拶する氣も起きず、確か、当時、自宅でのネット環境は止められていた。
自分より、些か年少の男性が自分に親しげに挨拶してくれていた。
とてもモテそうな男性だ。
数日経って、自宅でのネット環境が復帰したので、彼の挨拶に応じた。
此処に人人を召還したのは[悪魔姫]所謂悪魔に対して批判的に詳しい女性。
様様な人と巡り会わせ親しくさせてくれた事に感謝の意味と少しのサービス心を加え[天才美少女]と呼んでいる。
或る有名な都立高校でトップの成績であるにも関わらず、本邦の國立主要大学では真実の研究は出来ぬ、と気づき、スポーツでも有名な私立大学へ進学したそうな。
本邦だけでも、色んな人間がいる。
自分の話しかせず、他者を見下した風なので、他のメンバーに敬遠されていた男性がいた。
「此の人はかなり錯綜した劣等感などを抱えているのだろう」そう感じた。
自分は他のメンバーがどんな事を考えているのか知りたくて、司会の様に自ら進んで動いた。
そうしたら、有難い事に他のメンバーの人達が、自分に関心を寄せてくれたみたいで、専用のチャット部屋を天才美少女に与えられた。
前件の男性に続いて2番目だ。
美少女は彼の場合は他のメンバーから苦情とか出たので隔離の意味で部屋を作ったのだが、自分の場合はそういう経緯だったと個人チャットで説明してくれた。
SNSの哲學グループで、アヌンナキに関する投稿をしたら、個人チャットで声をかけられた。
マグダラのマリアやアルクトゥルスなどのトム・ケニオンの著書に関する話をした。
天才美少女はいたくそれがお気に召してくださったらしい。
彼女の作成したグループは他の男性が主催する哲學グループに集った人たちの一部が参加し形成されている。
哲學をするということは此の邦では[滑稽な表現]や[スピリチュアルなど新奇な考え]は敬遠される、という事。
自分はそんな風潮に逆らう様に結構前から、平易で滑稽な表現を自身の哲學文章表現に取り入れていた。
彼女は彼女で、陰謀論と言われ、人人に訝しく思われがちな、世界の真実を追究して来たのだろう。
同じ東北地方出身でNY在住の男性や、最近、古都在住で文學に詳しい男性とも親しくして貰っている。
「出逢いはいつでも偶然の風の中」という歌のフレーズがある。
此れが「必然の風の中」では、浪漫性が失われる。
運命とは偶然と必然の間を揺れ動く人生の織りなすドラマ。
夢か現か幻か。
此の三者に実は大きな違いなどなく、現実と言われているものにも実体はない、という認識が当然になって来ている。
ascension、可能世界論≒parallel world……
人工地震などの首謀者であるメリケン國の世界支配が崩壊して行く過程にある現在、あなたは如何生きて行こうしているだろう。
表現とは自己を救済すること、という言葉がある。
生きている、ということは其れ自体が表現だ。
積極的に表現するのか、其れとも控えるか……
人生は選択を繰り返す過程、そうとも言える。
自分らしく生きる、いや、自分を生きる、此れが、多くの人にとって、最大の課題。
課題を過大なものと捉えず、ただ克服可能なものである、と認識し、縁ある人と共に泣き、怒り、大笑いしつつ生きて行く事が自分の生まれた時からの関心事である。
どの様な人であろうとも、其の人が幸福である事を祈念している。
つい最近、天使や妖精などの存在を信ずる様になった。
別に見える訳でも、彼(女)=不可思議な存在の声が聴こえる訳でもない。
楽天が日本一になった年に腰部脊髄を複雑骨折し、初めて救急搬送され、色色な経緯で健康な今がある。
其の体験から、何か大いなる存在を感じ、焦りや不安はほぼ感ずる事がなくなり、自身には拝命がある、そう感じている。
縁ある人と共に泣き、怒り、大笑いして、夢と魔法の樂園を生きる、そう決めている。
すべてはフィクションつまり虚構であり、生きるという事は、或る虚構を自ら担い乍ら其れを現出し行く過程の謂である。
大きな行き詰まりがあり、其れを超えたので、「当然、御褒美に与れる」そう想像していたが、其れは裏切られた。
自分はとても腐り、悪態を吐き、「此れ以上は何も出来ない・する氣も起きない」と嘆いていた。
だが、暫し、アニメや動画を見たり、眠り休み、自身を癒し、内側を凝視め、旨いものを食べ、酒を呑み、シャグを煙管で喫すなどしていたら、また、此の大きな山を超えて行こう、そう想えた。
「表現は自己を救済する」斯の言葉を胸に、此れを記すものである──