勝負事が嫌いだ
どうもこんばんわ。崇(たかし)です。
これまで、自分の「好き」なものについて少しずつ書いてきましたが、今日は趣向を変えて自分の「嫌い」なものについて書いていきます。
勝負事が嫌い
子どもの頃からずっと、「勝負事」が嫌いでした。
子どもが集団でやる遊びって「勝ち負け」があるものが多いですよね。
サッカーとかドッジボールなどはもちろんですし、ババ抜きとかUNOとかもそう。囲碁や将棋もルールは知っていますが、全然ハマりませんでした。
ジャンケンも嫌いだったくらいです。
もちろん人並みには友だちと遊んだりはしてましたが、どちらかというと一人で本を読んだりするのが好きなタイプでした。
部活は中学・高校と空手部に所属していたんですが、好きだったのは型。
組手は大嫌いでした。(当然、激弱でした・・)
大人になってからもそうです。
ゲームは好きですが今流行りのFortniteやApexなどのPvP(対人戦)は全然やりません。スマブラとかもやったことない。
もっぱらオフゲー、ソロゲーばかり、e-sportsの対極にいるようなゲーマーです。
厳密には勝負事ではないかもしれませんが、ギャンブル関連も一切関心がありません。
麻雀、パチンコ、競馬、競輪、どれも一度もやったことがありません。(ゲームとしての麻雀のルールは分かりますが)
なぜ嫌いなのか?
自分で改めて考えてみると、「負けるのがイヤだから嫌い」というわけではないようです。
どちらかというと、「誰かに勝つということに大した喜びを覚えない」、ということが原因かと思っています。
恐らく勝負事が好き、という人は「勝つ」ことの快感が好きなんだと思います。
その快感をまた味わいたいから、相手に勝つために努力して、色々なことを学習する。そしてまた勝負する。その繰り返しで、どんどん成長していく。
勝負の世界に身を置く優れたアスリートや勝負師、プロゲーマーなどにとっては、「勝ちにこだわる」「負けず嫌い」「研究熱心」というのがとても重要な資質になるんだと思います。
それと比べると自分は、そもそも人に勝つ、ということに全然重きを置いていません。なので、「勝ち」の快感を争う勝負事に楽しみを覚えず、むしろ面倒に感じてしまうんだと思います。
ちなみに「負けるのがイヤだから嫌い」というのは「勝ちたいけど勝てないから嫌い」ということなので、要は「好きの裏返し」ということだと思っています。
昨日の自分には勝ちたい
ぼくは誰かに勝ちたいという気持ちはありませんが、「昨日の自分」には勝ちたいと思っています。
少しずつでも、昨日よりも何か成長した自分でありたいと思っています。
noteを書くのも、自分の中ではその一環だと思っています。
勝負師のような休息な成長はないかもしれないけれど、着実に、自分のペースで、進んでいきたい。
それにしても、現代は、生きることに「勝負」を強要されることが少ない時代と感じます。
中世の騎士道の時代であったら、自分は早々に落ちこぼれ認定されて暗い生活を送っていたことでしょう。
他人を蹴落とさないと生き残れない時代では、恐らく勝ち上がって成功することは難しかったと思います。
自分のようなタイプは、今の時代に生まれてきたのはある意味ではラッキーだったのかもしれません。
そう呟いて、今日もまたぼくはソロゲーのスイッチを入れるのです。
ありがとうございました。
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