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【note初投稿】はじめまして&自己紹介


◆プロフィール

生年月日:2000年10月29日生まれ
出身地:沖縄県うるま市出身
家族構成:父、母、兄、自分、妹、妹(6人家族)
趣味(好きなコト・モノ):野球 / サウナ / 旅行 / 健康 / ガジェット / ビジネス スポーツ観戦全般 / 読書 / ポイ活 / etc…

●活動情報

(最終更新:2024年8月上旬)
・株式会社Blue Mobility / 事業開発 2023年6月〜
・琉球大学農学部4年次(休学中)

初めてヘリに乗った時にカッコつけている写真(笑)

●幼稚園〜現在まで

・幼稚園生、小学校時代


活動的で、沖縄の方言で言うところ「うーまくー」(やんちゃ)坊主のがきんちょでした。

幼稚園生の時に、2つ年上の兄の影響で野球を始めました。(野球は大好きだったので、その後高校3年の夏までその後約12年間続けた。)

1番ちびっ子(右端)が僕。<当時1年生>

小さな成功体験

早い段階で野球を始めたこともあり、自分で言うのもなんですが、
結構スポーツは万能でした。小学5年生とかまでは、かけっことかは
ほとんど負けたことがなかったなあ、と。

シンプルに休みの日に野球も陸上も他の人より量をこなしていました。
「結果」を出すことで親や周りの大人に褒めてもらえるのが嬉しかったのを今でも覚えています。誰かに承認されるのが嬉しかったので、それが活動源だったのかと。

小学4年生くらいまでは、「自分はプロ野球選手になれる」とか「オリンピックの100m出れるかも」と、本気でそんなことを思っていました。

「自信」があるのはよかったのですが、同時に悪い意味で天狗にもなって結局最終的には「ちょっと普通よりは運動できるやつ」くらいのポジションになりました。

ちゃんと目の前のことを愚直に謙虚にずっと高み目指して頑張り続けろよ!って当時の自分に言いたいですw

小2の時に書いた20歳の自分への手紙?てきなやつ


勝負事を通して「夢中になれること」や「成長すること」の楽しさを
覚えたのはよかったなと感じています。
頑張ることって素晴らしいですよね。

改めてスポーツを通して色んなことを学べたな、と。
野球と出会えてよかった、ほんとに。

陸上の一番思い出に残っている大会
(うるま市のとある陸上大会で当時の大会記録を更新)

ちょっとの挫折?コンプレックス?


小学生の頃、身長が全然伸びませんでした。
成長期になる高学年につれて、武器だった足の速さも自分は伸び悩み、おまけにどんどん周りに追い抜かれました。野球でも徐々にパワーなどで身に見えて差をつけられていって、その頃から「勝負するのはここ(=スポーツ)じゃないかも」と思い始めました。

今振り返ると言い訳でしかないんですけどね。
ダサいよ、と喝を入れてあげたい。(笑)

小学生から中学生の身長の記録
身長が小さいなっていう写真(一番手前が自分)
(同級生より頭ひとつ飛び抜けて身長が小さかった。笑)

・中学校時代

身長が小さかったから、中学入る頃には「 プロ野球選手になる! 」
というほどの野球に対する熱は冷めてしまい
それなりに勉強を頑張るようになりました。

というのも、割と勉強が得意だったし嫌いじゃなかったので
「ここならまた自分が一番になれるかも」と、そんな感じの感情と
一緒に自分らしさみたいなのを探していたのだと思います。

中学3年生の時の通知表

この頃から現実的な路線の人生も考え始めて、公務員いいなーとか、薬剤師なろうかなーとか、将来安定した人生の軸を考え始めました。

たくさん勉強していい会社入って、たくさんお金稼いで、普通にいい人生を生きよう!そんなことをよく考えていたなー、と。

(話だいぶ飛ぶけど、その後)
大学に入学してからしばらくして結局は、「安定を軸とする人生」よりも、自分が心の底からやりたいと思えることは「夢中」とか「挑戦」そういった幼い時にワクワク出来ていたことなのかもしれない、と気づき始めました。

今は自分の人生のコアバリューはこのあたりだと確信しています。
どちらの人生もしっかり比較検討した上で「意志を持って」選択できてよかったな、と。


・高校時代

母校の球陽高校

沖縄県の中部地区では一番の?進学校(偏差値60〜65くらいなので全国的にみれば自称進学校の部類かな)に進学しました。
学校の雰囲気や周りの影響もあり、それなりに勉強をしていました。

・普段は早朝7時半から0限に始まり7限に終わる1日8コマの授業
・大量の日々課題や週末課題、毎週のテスト地獄
・隔週に土曜講座や模試 etc…
(授業時間は普通の高校の4年分だったそうです。普通に辛かった。笑)


球陽に来て一番感じたのは「環境」って大事だなということでした。自分の周りの5人が自分の収入やレベルの平均になるというのをよくどっかで聞くように、環境によって成果の最大化するスピードや高さが大きく変わると思います。環境によって「当たり前のレベル」も変わるのでそれはそうですよね。

高校時代の最後の夏の思い出

高校に入ってからも野球は続けました。(進学校でもあったので?)母校は僕が高2の頃まで夏の大会はなんと11年連続初戦敗退でした。(笑)


だけど、なんと僕らが3年生の代で最後の夏の大会はなんと2回戦まで勝つことができました。母校、夏の大会12連敗を回避です、、、!笑
(組み合わせのクジ運などもありましたが。笑)


ちょうど外部から甲子園に出場経験のある監督が就任してくださったり色々な幸運も重なりました。その一方で、自分らでいかに練習を効率的にするかなど、当時のやれることはなんでもやった結果だったな、とも思います。

第100回の記念大会、開幕戦で勝利しました。
自主練用のグループを作り、自宅で素振りをして
強制的に報告し合うみたいな取り組みとかをやっていた

・大学入学から現在
県外の大学を受験をするも失敗して、一年の浪人期間を経て地元沖縄の琉球大学に進学しました。大学で特に何かを熱心に学びたかったわけでもなく、勉強もスポーツも夢中になれることがなくなりました。
(入学と同時にコロナ禍もきてそういう理由もゼロではなかったけど。)

言葉を選ばなければ、この頃は人生史上最大につまらなかったです。授業ももちろん、大学の飲みの場も遊びも、なんとなく埋まるカレンダーの予定ばかりで、刹那的な感情が満たされるだけでした。(←あとに残るのは「ああ、また何やってんだろっていう感情」だけ。)これが「とりあえず大学に行く」という行動の末路でした(※僕の場合)。

そんな頃からだったと思いますが、自分が「何者になりたいのか」、「社会で何を成し遂げてどうしていきたいのか」みたいなことをひたすらに考えるようになりました。そしていつの間にか自己表現の選択肢として、ビジネスって面白い!!「起業したいかも」と言う選択肢に辿り着きビジネスに興味を持ち始めました。

ビジネスの本質って「誰かの課題を解決する」or「誰かのワクワクを作る」の2択だと思うんですけど、その対価としてお金もいただけるわけなのでそれは当たり前に面白いものになるよなー、と。

短期的な快楽や刺激でなく、中長期で大きな夢や目標を追っている時間、成長している実感、多分そういう時間が僕も好きなんです。僕も、自分の人生そのものが一番のエンタメだと感じれる人生を過ごしたいし、そういう姿を体現できる人間でありたいです。

(だいぶ端折るけど、)
そんなこんなを経て、大学を休学し、今は縁があってBlue Mobilityという会社で創業して翌月から活動させてもらっています。Blue Mobilityは、ビジネス経験豊富なメンバーがたくさんいるのでめちゃくちゃ学びが多い環境です。(まさに僕にぴったりな環境)

自分もいずれは立派な起業家になれるように日々、ビジネス戦闘力を鍛えています。また別の機会には、Blue Mobilityにジョインするまでの過程を書いてみます。(需要があるかはさておき。笑)

●なぜnoteを始めたのか。どんなことを書くのか。

言葉にチカラがある人はすごくカッコイイなと思います。自分自身も自分が伝えたいことをその時々で的確な言葉を伝えられるような力をつけたいと思っています。

また、日々の出来事を振り返る習慣は様々な気づきや成長に繋がるかもな、とも思っています。noteがそのきっかけになればなーという感じで、気軽に始めてみようと思い、始めてみました。

●最後に

ここまで読んでくださった皆様ありがとうございます!
これからは日々の考えていること感じていることなどを自由に書いていきます。

自分の振り返りが主な目的だけど、誰かに興味持ってもらえたりするのは嬉しいなと思います。ぜひ覗いてみてください。

Xではもっと気軽に色々呟いているので是非覗いてみてください!
ついでにフォローもお願いします。(笑)

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