戦略的プライシングのススメ(プライシングとポーターの競争戦略)

従来のプライシング

本記事では、「戦略的プライシング」という考え方を紹介したいと思います。戦略立案のベーシックな理論とプライシングの関係を整理したもので、SaaS事業に携わる全ての方に理解していただきたいと考えています。

まずはプライシングにおける代表的なアプローチの確認からスタートします。

プライシングの3つのアプローチ

価格を決定する方法として代表的な3つの手法があります。

  1. コストベースアプローチ

  2. 競合ベースアプローチ

  3. バリューベースアプローチ

コストベースアプローチは、ソリューションを提供するために必要な原価(コスト)を見積り、そこに利益を上乗せして価格を設定するアプローチです。その価格で売れれば確実な利益が期待できるという利点がある一方、もっと高くても売れたかもしれず、機会損失が発生する可能性があります。

競合ベースアプローチは、競合他社の価格をベンチーマークとし、自社のソリューションの価格を設定するアプローチです。競合と比較して明らかに高い値付をすると営業で苦戦することも想定されるため、横並びか少し安い金額を設定しがちです。

バリューベースアプローチとは、文字通り「価値」に基づいて価格を設定するという考え方です。SaaSのプライシングにおいてはバリューベースアプローチを取るのが定石だと言われています。

バリューベースアプローチとUSP

突然ですが、以下の問いに答えてください。

  • あなたの提供するプロダクトの価値はなんですか?

  • 競合プロダクトとの決定的な違いはなんですか?

  • あなたの顧客がプロダクトを手放せない(他社に乗り換えられない)理由はなんですか?

これらは全て同じものを別の聞き方で聞いています。
つまり、USP(Unique Selling Proposition)は何かという問いです。

全てのスタートアップは、今はまだ存在しない新たな価値を、独自の視点で構築し、提供するために活動しています(そうでないならそれは中小零細企業と呼ぶべきでしょう)。そこには既存のビジネスや競合他社にはない独自の価値が備わっているはずです。

価値という言葉も非常に広い概念ですが、ここでは以下のいずれかを満たす場合は独自価値、すなわちUSPがあると捉えましょう。

  1. (今までは見過ごされていた)新たな課題に対して解決策を提供している

  2. 既存の課題に対して、全く新しい形で解決策を提供している

1の場合、既存ソリューションが存在しないので、競合比較アプローチを採ることができません。新たな課題を解決することでどのような便益(ベネフィット)が顧客にもたらされるのか(新たな収益機会の獲得、コスト削減等)を見積り、バリューベースで価格を設定することになります。提示した課題が顧客にとって重要であるほど、高い価格を設定することが可能です。

一方、2の場合、課題を解決した際の顧客の便益は基本的に競合他社と同一となります。差別化のポイントは例えば以下のようなものになるでしょう。

  • 顧客の課題をより早く解決できる

  • 課題解決の生産性が高い(オペレーションコストが相対的にかからない、など)

  • 課題解決によりもたらされる便益が大きい(より大きなコスト削減が可能、など)

これらを実現する要素をUSPとして捉え、この価値を定量化し、価格に反映します。ここでは同じ課題を対象としている他社のソリューションを競合と見て、市場で通用している価格レンジを確認することが可能です(競合ベースアプローチ)。独自価値が競合と比較して圧倒的に高く、顧客が熱望するものであれば、価格レンジを越えた高価格を設定することも可能なので、競合の提供価格はあくまで参考値として活用するのが良いでしょう。

また、USPを提供するためのプロダクトおよび活動原価が低いのであれば、競争優位性のある価格(=圧倒的な低価格)を設定し、シェアを一気に取りに行くことも可能です。これは「コストベースアプローチ」の発想と言えます。

マイケル・ポーターの競争戦略との関係

ここからは、上で示した考え方をマイケル・ポーターの競争戦略との関係から見ていきます。

SCP理論: 独占に近づくほど儲かる

ポーターの競争戦略はSCP理論という経済学の考え方に基づいています。これは「市場には構造的に儲かる市場と、儲からない市場がある」ことを示したもので、結論から言えば「独占に近づくほど儲かり、完全競争(需給が均衡した状況)に近づくほど儲からない」ということを明らかにしています。

完全競争とは、以下の3つの条件を満たす状態を指します。

  1. 市場に無数の企業が存在し、どの企業も市場価格に影響を与えられない

  2. 市場への参入障壁も撤退障壁も無い

  3. 市場に参加する企業の提供する商材の価値が同一である(差別化されていない)

このような市場では、提供価値に差がないため、価格を下げて戦うしか選択肢がなくなります。そのため、採算ギリギリのラインまで価格が低下し、結果として誰も儲からないという悲惨な状況に陥ってしまいます。逆に独占状態になると、企業は生産量も価格も自由に設定できるため、価格は最大化され、超過利潤が最大化されます。

出典:世界標準の経営理論(入山 章栄 著)

競合ベースアプローチの欠点はまさにここにあります。USP、つまり差別化を考えることなく、競合と比較して相対的に安い値決めをするような短絡的な考えでは、一時的に売上が立つ可能性はありますが、結果は以下のいずれかしかありません。

  1. 差別化された競合ソリューションに顧客を奪われる

  2. 価格競争の結果市場が縮小し、収益性も市場規模(TAM)も最小化する

USPが先述した「(今までは見過ごされていた)新たな課題に対して解決策を提供している」ものである場合、それは新しい市場または企業グループを創出することに等しいため、参入時点では独占状態であり、バリューベースで高価格を設定することが可能です。

そうでない場合は、既存の何らかの市場への参入ということになります。ここでも何らかの形で独占に近づけることが重要です。そのためにマイケル・ポーターが提唱したのが「戦略グループ」という考え方です。

戦略グループ

これは「製品構成やターゲット顧客など、特徴の類似する企業」を一つのグループとして認識する考え方で、同一市場の中にも複数の企業グループが存在するという見方です。

例えばカフェという市場でもドトールコーヒーのような低価格路線で回転率重視の企業、スターバックスのように中価格路線で居心地重視の企業、スペシャリティコーヒーと言われるような高価格帯でコーヒーの味を追求した専門店など、いくつかのグループに分けることができます。
スターバックスを好む顧客は、同じように居心地のよいカフェができたら目移りするかもしれませんが、ドトールコーヒーに同じ頻度で行くことはないと考えられます。明確にターゲット顧客と提供価値が企業グループ間で異なるということです。

ここで重要なのは、自社が所属するグループの企業数が少ないほうが独占状態に近づき、超過利潤が高まるということです。また、そのグループの参入障壁が高いほど収益性が安定します。例えばチャットボット市場を例に取ると、自然言語処理などの高度なAI技術を用いるソリューションは参入障壁が比較的高く、企業数も限られます。結果として高価格帯で比較的安定した企業グループになります。一方、単純なプログラムで構築したシナリオ型のチャットボットは参入障壁が低く、企業数も多くなるので価格競争に陥ることになります。

このように自社がどの企業グループに参入するのかを結果論で整理するのではなく、戦略的に選び、参入するのが戦略グループの考え方です。企業が少なく参入障壁の高い企業グループでは、お互いが自社の競合であると強く認識し、競争することになります。そのため競合の価格改定などの情報は比較的容易に把握することが可能です。

ここで特定の企業が差別化ではなく値下げに走ると、グループ全体に値下げ圧力がかかり縮小均衡に向かってしまいます。しかし参加企業が十分に合理的であれば「値下げしないほうが得だ」と判断し、グループ全体の収益性は保たれることになります(これをお互いに相談して行うと談合とみなされ、罰せられます)。もし競合他社が値下げに踏み切った場合、それに追随して値下げを行うか、更に差別化を進め、別企業グループへの移行ないしは新規グループの設定を図るかのいずれかを選択することになります。

従って、全てのスタートアップはUSPを磨き込み、差別化を志向するべきなのです。これがバリューベースアプローチが最も重要であることに対する競争戦略の視点での説明になります。

競合は無視して良いわけではなく、自社が市場内でどの企業グループに属するのか(=ポジショニング)を検討するために十分にリサーチすることをオススメします。市場にどのような企業グループが存在するのか、それぞれのグループはどの程度の価格レンジでソリューションを提供しているのかを調べることはとても重要なことです。その上で、自社がどのグループに属するべきか、そのグループの中でどのようにさらなる差別化を図るのか、そのUSPに対する価格をいくらに設定するのかを考えていきます。この一点に限り「競合ベースアプローチ」は有効だと考えています。単独で用いるのではなく、「バリューベースアプローチ」による検討の参考情報として活用するのです。

差別化戦略とコストリーダーシップ戦略

このような考え方で戦略を練ることを「差別化戦略」と呼びます。差別化戦略では独自の高付加価値を追い求め、必然的に価格は高く設定されることになります。

では低い価格設定が全てダメなのかというと、そうではありません。ソリューションを提供するために必要となるコストを他社と比べて圧倒的に低く抑えることができる場合、他社には実現できない低価格で利益を出すことが可能になります。このような戦略を「コストリーダーシップ戦略」と呼びます。重要なのは「コストを圧倒的に低くする仕組みを構築できるか」という点です。これができないのに低価格を設定するのは自殺行為と言えるでしょう。上述した値下げ圧力による市場の縮小均衡、その結果としてのTAMの減少にも繋がるため、避けなければなりません。

コストを圧倒的に低くするための手段としては、オペレーショナル・エクセレンスを追求する、徹底的に自動化を図る、PLG(Product-Led Growth)を採用しCACを劇的に下げるなどが考えられます。コストを圧倒的に圧縮した上で、利益を上乗せした価格を設定することができれば、低価格で一気にシェアを獲得する事が可能になります。この一点に限り「コストベースアプローチ」のプライシングが正当化されると考えます。SaaS事業者にとって、それ以外にコストベースアプローチを採用してよいケースはありません。

戦略的プライシングのススメ

以上の議論をまとめます。

  • 競争戦略の要諦は差別化を進め、独占に近い環境を作ることにある

  • (差別化要素も含め)企業の特徴が類似する複数の企業が企業グループを形成する

  • 企業グループの参加企業が少なく、参入障壁が高いほど収益性が高く安定したグループとなる

  • よってすべてのスタートアップは差別化を志向し、自社のポジショニング(所属すべき戦略グループ)を明確にすべきである(差別化戦略)

  • その差別化された価値(USP)に基づき価格設定を行う「バリューベースアプローチ」がプライシングの最善の方法である

  • 「競合ベースアプローチ」は上記検討の仮定でベンチマーク(参考値)として取り扱うに留めるべき

  • コストを圧倒的に低くする仕組みを構築でき、コストリーダーシップ戦略を採用できる場合に限り「コストベースアプローチ」が有効となる

このようにプライシングと競争戦略は密接な関係にあります。競争戦略を踏まえたプライシングを行うことを「戦略的プライシング」と名付け、SaaSプライシングの定石としていきたいと考えています。

戦略のない状況でプライシングを考えることほど無謀なことはありません。価格検討を任されたのであれば、まずは自社の戦略を確認することから着手すべきです。SCP理論の説明で述べた通り、「市場には構造的に儲かる市場と、儲からない市場がある」のです。戦略グループを選択することは儲かる市場を選択することにほかならず、この段階で事業ポテンシャルはほぼ決まってしまうと考えるべきです。

また、市場は常に動いています。競合が新プロダクト・機能をリリースした、新たな競合が参入してきた、顧客ニーズが変化した、全く新しい形で課題を解決するソリューションが登場したなど、様々な事態に遭遇します。そのたびに戦略も見直しが必要になるでしょう。その際、プライシングは今のままで良いのか、再検討すべきなのです。

この考え方を自社にどう適用すべきか議論したい方はぜひTwitterからDMをいただければと思います。

次回は戦略的プライシングを行う際の検討体制と、それぞれの役割について取り上げてみたいと思います(時期未定)。

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