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カムチャッカの男

真珠湾攻撃の翌年 1942年(昭和17)
ロシアの男が家族をつれ
函館をひっそりと去って
上海へ脱出した
 
その男は アルフレッド・デンビー
スコットランド人を父に長崎の日本人女性を母に
樺太で生れ英国の大学で学んだ


アルフレッド・デンビ ー                    市立函館博物館蔵


 
樺太でいとなむ先代の漁場をひきついだデンビーは
沿海州のウラジオストクに本拠をおき
函館のデンビー商会を足場に
カムチャッカでのサケマス缶詰の製造に乗りだした

資金は、日露戦争で失った南樺太の漁業権の補償を
日本から得た巨額の金であった

デンビー一家と函館の漁業家


 
ときは 日露戦争のあと1907年(明治40)
のちに 日魯漁業を世界に冠たる漁業会社に押しあげた
堤清六が 東カムチャッカで最初の網を入れた

そこは ウスカム
サケマスの大群がつぎつぎと押しよせ
川面がもりあがり まさに銀鱗おどる

この河は
カムチャッカでもドル箱の好漁場で
紅ザケがとれる
だが 船いっぱいに持ちかえった
紅ザケは買いたたかれた

そのころ 国内で好まれたのは白ザケか
型の大きい銀ザケであった
 
漁場では国内で人気のない紅ザケがとれる
そこで打開策として
欧米で好まれる紅缶の製造をはじめた
あけぼの印の誕生

しかし 漁場の目と鼻の先には 強敵・デンビー
最新の製造設備をととのえ
一方 堤は旧式で
缶詰の生産量は天と地の開きがあった
 
だが 絶頂期のデンビーの運命は突如暗転
1917年(大正6) ロシア革命
財産は没取され日本に亡命し
毛皮輸入や水産缶詰を海外へ輸出する
貿易商で財をなした

右側の建物の左隣りにデンビー商会があった 今は住宅が建っている   函館・八幡坂 2023

北洋漁業の黎明期
好敵手デンビーとの切磋琢磨が
その後の日魯漁業の躍進につながり
函館の経済をうるおした

戦後 デンビーは日本にもどり
74歳  横浜の外国人墓地にねむる

銀鱗おどる北洋のサケ
函館山のふもとにあった広壮な邸宅を
まぶたに浮かべているのだろう


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