榎本武揚の切腹
1868(慶応4)年、京都郊外の鳥羽伏見で官軍と旧幕府軍との間で火蓋が切られ、戊辰戦争の幕が開いた。
その戦争の最北端の地、箱館・五稜郭。
1869(明治2)年5月。最後の決戦にのぞもうと榎本武揚は、これからの新時代に有用であり兵火で灰にしてはしのびないと、国際法の秘蔵本『万国海律全書』を官軍の黒田清隆に贈った。
黒田は、かならず新日本の役にたてると返書をよせ、酒樽五本とマグロ五尾をどーんと届けた。武器と弾薬は足りているか、との文まで添えて。まさに敵に塩をおくる武士道そのもの。
榎本は、弾薬はじゅうぶんにある、その心配に及ばす、とことわったが、敵味方に分かれた二人の心の通いあいがすばらしい。
その酒と肴で戦いまえの宴を催すさなか、箱館戦争の責任をとろうと
榎本は、自室で脇差をまさに腹に突きたてんそのとき、近習の侍、大塚霍之丞がとびこんで、なんと素手でその刀をにぎり切腹は未遂におわった。
その現場はどこか。暑い夏、140年ほどの時をきざんで復元なった箱舘奉行所をあちこち歩きまわった。だが、なんとも分からなかった。」
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