望郷の思い
大雪のあと晴れわたった函館・下海岸、汐泊川ちかくの浜辺。
昔そこにあった屋根の瓦と壁が欠け落ち、傾きかけた大柄の番屋は跡かたもなく消えていた。
イワシの木村番屋。雪原が広がっているだけ。
明治から昭和初期にかけイワシの大群がおしよせ海の色がかわった。イワシを大釜で炊いて畑作肥料となる漁粕が地域をうるおした。
漁期の11~12月、漁師は番屋に泊まりこみ“ヤサヨ、ヤサァヨー”と地引き網をひいた。女たちはイワシをつめこんだモッコをかつぎ浜と釜場を行きかう。
番屋跡にたたずめば、往時のにぎわいが目にうかぶ。
昭和15年ごろを境にイワシの大群の回遊は減るばかりで、昭和27年、親方は漁場を閉じた。
まだ残っていた番屋のそばで、80歳をすぎたおばあちゃんと出会ったのは20年ほどまえ。
色白で目がぱっちり鼻がたかく、うりざね顔、美人の面影がある。
相手の顔をいちども見ずに、津軽の弘前から海をわたって漁師に嫁いで70年あまり。
淋しいとき、辛いときは望郷の思いにかられた。
海峡をゆく青函連絡船に目をこらし、対岸の津軽の山々に古里をしのんで生きてきた、と語ってくれた。
お元気であれば100歳ぐらいとなる。