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波乱万丈 唐牛健太郎
坊主頭のまま大学に入った1960年
安保闘争のまっただ中であった
大学構内は安保反対の立てカンバンが林立
連日デモ隊が国会をとりまき、岸を倒せ!
このときの全学連委員長は
函館生まれの唐牛健太郎であった
シュプレヒコールうずまくなかに僕もいた
![](https://assets.st-note.com/img/1720382699218-GjNpBE4c6R.jpg?width=1200)
時はうつり
函館・大門の酒場で赤銅色に日焼けした彼と
カウンターに連なったことがある
そのころオホーツクの紋別で鮭漁師となり
母親のすむ函館にいっとき里帰りして
高校時代の友人と会っていたのだ
「安保の遺産で食っているのさ」と
かっての同志にもらした男が
昔を語らずしずかに酒をのむその姿に
人間の器を感じた
それから5年ほど
直腸がんで、最愛の真喜子夫人にみとられながら
穏やかに47歳の生涯をおえた
紋別の漁師仲間は大漁旗で棺をおおったという
![](https://assets.st-note.com/img/1720382317386-rTMTHk2c12.jpg?width=1200)
全学連の同志で
そのあと東大教授など保守の論客で鳴らしていた
西部邁が、函館での講演会のあと
「アイツだけには勝てなかった……」と
打ち上げでもらしたこの一言が忘れられない
![](https://assets.st-note.com/img/1721331942839-dwdLJOMrE7.jpg?width=1200)
何を意味するのか今もって分からない
その西部も多摩川に入水して世を去った
権力とたたかい破天荒な生涯を送った唐牛が
好きな海をのぞむ函館山のふもとにねむる
![](https://assets.st-note.com/img/1720383989880-zqjnuLUXba.jpg?width=1200)
墓下をイカ釣り船が漁場へ急ぐ
ことし、安保闘争から60年あまり
唐牛が逝って40年
*2019.9.29 nippon.comに投稿したコラムを編集