バーテンダーの神様
封書が一通とどいた
差出人はクール古川緑郎
毛筆で西野鷹志様と書かれている
いつものとおりの端正な字だ
予感がはしった
やはり閉店のあいさつ状であった
上京のたびに
銀座コリドー街の
バー・クールに足をむけて15年
そのカウンターに連なるために東京へ行く
これが本音
バーテンダーの神様が銀座にいると聞き
意を決し酔った勢いで扉を押した
まずはビールと頼んだが
洋酒のみとていねいに断られた
クールの常連はテーブル席より
古川さんとカウンターをはさんで
立ち飲みと会話を楽しむ
一等席はイスがないカウンター
立ちっぱなしなのに
1~2時間
あっという間に
ウイットにとんだ会話に
カクテルとウィスキー
カラオケなどの今風スタイルとは無縁
しかも付けお断りでキャッシュのみ
クールに正統派バーのすがたがある
じつにストイックなのだ
「カウンターの中から人生のドラマが見える」
銀座の名バーテンダーといわれた
古川さんが僕に語った一言
じつに味わい深い
13歳でこの道にはいり四分の三世紀
カウンターの内から
客をもてなしてきたからこそ言えるのだ
もう限界ですよ
といわれたことがある
アィリッシュウイスキーのブッシュミルズを
ストレートで4杯目を頼んだときのことだ
ていねい、凛としたひびき。飲みすぎた僕に
じつに気持ちいい断り方であった
古川さんがすすめたアイラ島の
シングルモルト・ラフロイグ
ヨードチンキのような香り
このモルトが今も僕の好きな酒
クールに足を向けて15年
2003年にバーを閉じた――
今や伝説のバーとなった
クールのカウンターに連なった
幸せをかみしめている