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赤い靴(くつ) はいてた 女の子 異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった 横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった 今では 青い目に なっちゃって 異人さんの お国に いるんだろう (抜粋) 作詞 野口雨情 大正11年 明治38年 わずか3歳のきみは、母かよと別れ 異人さんにつれられ船にのり函館をはなれた 旧桟橋(東浜桟橋)ちかくに 赤い靴の少女像「きみちゃんの像」がある 母
1904年(明治37) 島崎藤村は、日本とロシアが開戦した 日露戦争のさなか ロシアの軍艦が出没する そうぜんたる津軽海峡をわたり 函館の旧桟橋にたどり着いた 港ちかくの妻・冬子の実家をたずね 小説『破戒』の自費出版費用を願った 「要るといふ時に電報を一つ打ってよこせ 金は直ぐ送ろう」 (島崎藤村『突貫』) 網の問屋を切りまわしていた義父・秦慶治は 二つ返事で金四百円を用立てたのだ ちなみに今では300万円ほどの大金を手にして 妻の実家で1週間ほどすごしている こう