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【デザイン思考な未来の楽しみ方】AIさえ魅了する“遊び”のクリエイティビティ

米国で起業して以来、朝を迎えるのが毎日楽しい。今日は何を創ろうかな?を考えるところから一日がスタートする。もっと言えば実はその前夜も楽しい。明日の朝も美味いコーヒーにクロワッサンでも食べながらアレコレ考えられると思っただけでワクワクしてくる。考えてみれば子供の頃、小学校から中学くらいのマインドがこんなカンジだった気がする。段ボールでロボット作ったり、夜通しプラモデル作ったりしてる時は時間を忘れたし、完成間近になれば次の朝を迎えるのが楽しみだった。遊ぶ企みが先行する日常。「成熟とは赤児の遊戯の真剣味を再び見出すこと」とはニーチェの言葉。遊びといえば最近、友人や子供達と共有している面白い遊び方、特にAIやデジタルツールとの付き合い方の事例を少しお裾分けしましょう!

■Desmos:シリコンバレーのハイスクールらしい遊び心溢れる数学の授業

ハイスクールの2年生の長女が学校で受けている面白い数学の授業内容を教えてくれました。Desmosというグラフ計算アプリを使って好きな絵を描いていく授業です。平方根や関数、変数を使って、数式が描くグラフの線やパターンをパーツにしながら自分の描きたいイメージをグラフ上に組み立てていく。一部の関数には変数を与えることで振幅を変動させるサインカーブを使って波間を進む船を描いたり、風船が空を舞う背景を描いたりできる。(誰でも試せます!https://www.desmos.com/calculator)

Desmosで描かれた作品例「Carrot」「Balloon House」「Golden Gate Bridge」「Pirate Ship」

やってみると解りますが自分のイメージをどう数式で実現するか工夫するのがまず第一に面白い。そして、馴れてくると逆引き的に数式を先に走らせながらランダムに表示されるラインやカーブからイマジネーションやインスピレーションを貰うことも出来るようになる。「遊びとは、秩序と混沌を行き来する運動である」は、これまたニーチェの言葉。このDesmosで絵を描いていると機械の計算力と人間の感性とが協働することで生まれる創発に、秩序と混沌の間を往復する楽しさを見出します。これを授業に応用する先生の企画力も凄い。「数学を嫌いにならない」ための仕掛けとしても秀逸です。

■Mid journey:AIをディレクションして描くアート

私のデザイン思考のワークショップには皆勤賞(!)で参加頂いているビジュアルデザインの本村健太教授と興味深い取り組みをシェアしています。Mid journeyというAIを使ったアート。プロンプトにタイプするキーワードで方向性をディレクションしながら自らのイメージするアートに仕上げていく。例えば意表を突いた敢えて唐突なワードの組み合わせで人間の想像の限界を超えた絵が描けるかを試したりもできる。スパイラル+抽象+水彩や、パウル・クレー+カンディンスキー、海底都市など、5年くらい前にIBMのWatsonが描いていた絵とは比べ物にならない完成度と纏まり。本村教授お気に入りの鉢植えタウンなどは非常に良い味(製作者の個性)が出ています。

本村健太教授の作例「クレー+カンディンスキー」「海底+未来+廃墟」「水彩+抽象+螺旋状」「ウサギ+巨大ロボット+未来」「鉢植え+タウン」  by Mid journey

AIアートの面白さはインプットされた様々なアーティストの高度で多彩な表現力を使ってキーワードに付与されたコンテキストを解析しつつ「AI自身は全く何も企図せず」表現するところ。私のワークショップでも人の意図や目的意識を超えた所に創造性を見出そうとします。だから意図や目的意識を持たないAIに期待できる部分は多くある。生成された絵を見る限りディレクションの意図を解析するので次第に製作者の「らしさ」が現れ、初期にはやや機械的で無機質だった印象が有機的な個性に変化していくのも興味深い。ここに人が取るべきAIとの絶妙な距離感のヒントが見える。

■VとSは任せながらOとPを洗練する

かつてnoteに人の発揮する価値としてVSOPのことを書きました。V(Variety=多彩な汎用性)、S(Specialty=高度な技術力)、O(Originality=独創性)、P(Personality=人間性・個性)。以前のnoteではこれをAIに置換される順序と書きましたが、上記の2つの事例に照らすとAIやデジタルツールとのより創造的な付き合い方のヒントが見えてきます。例えば人間には数分で何百、何千と描くことのできないバリエーションや、時間を掛けて習得しないと描けない難度の高い表現も(一定の表現として)AIには難なく熟せる。しかしながら芸術性や創造性を規定するのはあくまで人の人生観や世界観、機知や感性です。(私のnote過去記事はコチラ ↓ )

冒頭のDesmosで言えばアートのクオリティを決定するのは製作者のセンスであり数式ではない。しかし上記で書いたように数式が描くグラフからヒントを貰えることもある。Mid journeyのアートでも同様のロジックが成り立つ。例えばVとSは積極的にAIやツールに任せながら、そこから偶発的に生まれる刺激やインスピレーションを自らのOとPに還元する。人はOとPに専念しながら、AIからのVとSのフィードバックを使ってさらに自らを洗練していく。このポジションの取り方なら一生AIに置換されることはありません。

■遊びの持つ能動性でAIさえも魅了する

ツールやサービスの進化が目覚ましい現代。気が付けばその向き合い方には劇的な二極化が進行しているように見える。能動か依存か。一方は便利なツールやサービスをあくまで能動的に“応用”することで自分を拡張、洗練していくグループ。そして他方はそんなツールやサービスの利便性に受動的に依存し耽溺してしまうグループ。「遊び」に関しても同様のことが言えます。
遊び方そのものを考えることから楽しむ能動性を発揮するグループと、誰かが作ったゲームの世界で満足し浸りきってしまうグループ。メタバースなどの利用の仕方にも同様の二極化が顕在化していくでしょう。対極的に言えば、遊びが本来持っている能動性を失わなければ、この先AIやロボットが如何に社会に浸透し台頭してきても要らぬ不安に苛まれることなく、仲良く付き合っていけるのではないでしょうか。そしてAIやロボットさえも魅了し、憧れさせる生き方を人は体現していけるだろうと思います。

(本村教授執筆の関連note記事は以下リンクより!)


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