(2/2)【子どもから学び、気付きを得て自分も成長する】学校が合わなかったので、小学校の6年間プレーパークに通ってみました(天棚シノコ)
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子どもの育ちを見守っていると、過去の自分の育ちが自然と想起される
この本は子育てのルポです。
必然的に
筆者の天棚シノコさんから見た「ミルコ(お子さん)を取り巻く出来事」
それを通して天棚シノコさんが感じたこと
これらが織り交ざる展開になります。
そんな中、上記のような
明らかにミルコの育ちそのものには
直接関係のない場面・記述が出てきます。
それは、
著者の天棚シノコさんが自身の子ども時代をふりかえる
という場面です。
経験が自分という人間を形づくってきた
子ども時代を経験せずに大人になる人はいませんから、
子育てをする人はどうしても
自身の経験をうっすらと重ね合わせながら
子育てをすることになります。
大人自身のコンプレックスや承認欲求を、
「子どもを使って」自己実現を図ろうとするのは
子どもに無理を強いてしまうことにつながるので問題ですが、
その話はいったん置いといて、
今回取り上げたいのは
子育てをするということは
過去の自分を相対化することにもなる
ということです。
天棚さんはミルコや周りの友達とのやりとりを通じて
「遊びや失敗体験」について
自身の経験をふりかえっています。
私であれば
いい子症候群だった(かもしれない)小学校時代の経験
高校の部活動で全然活躍できなかった経験
大学時代に「やりたいことがない」状態に陥った経験
指示待ち人間で、自分軸がなかったことに気付いた経験
といったことが思い浮かばれます。
楽しい思い出も中にはありますが、
どうしても忘れられない出来事というのは、
トラウマレベルに苦々しいもの
穴があったら入りたいようなはずかしいもの
傷を縫い合わせてどうにかこうにか進んできたもの
こうした一くせも二くせもある出来事
なのではないでしょうか。
子育てを通してこうした経験を客観視し、
目の前の我が子の育ちを大切にすることは、
親である自分が新しく生まれ変われるのではないか
つまり、
子どもを育てることは自分を育て直すことでもあるのではないか
と、天棚さんの過去のふり返りや
数々の気付きを読む中で感じました。
子育ては「気付き」を得るチャンスがゴロゴロしている
過去の自分の生きづらさの根っこにあったもの
その経験と思いが今の自分にどのように影響を与えたか
子育てを通じてそうしたことに気付きます。
その「気付き」を言語化するなかで、
子育てのスタンス、
ひいては
生き方のスタンスが変化していくのだと思います。
天棚シノコさんは
ミルコのホームスクールの選択やプレーパークでの活動を通じて、
「遊ぶこと」や「しんどい思いとの向き合い方」について気付き、
ミルコが成長していく過程で癒され、
自身も幸せを感じるに至ります。
大切なのは、
大人から子どもへの(一方通行の)アプローチ
だけではなく
「子どもから大人が気づかされる」というような
双方向の関わりがあるということです。
そのためには、
「子どもは大人から指導されるべき存在」
としてではなく、
「子どもは私たちに気付きをもたらす存在」
として捉え、
「子どもから学ぼう」という
スタンスをもつことが大切だと、
この本を通じて感じました。
天棚さんはミルコにつき合う中で、
自分を変化させていきます。
習いごとばかりだった自分の子ども時代を相対化し、
気付きを得ながらミルコに伴走してきたことで、
自身の「やってみたい!」に気づき、
イキイキと生き直すことにつながったのです。
私も子育てを通してこんな体験したい!
子どもも自分も成長できるなんて最高!
そんな瞬間に出会いたい!
と思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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