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【勉強を「させる」ことのリスクについて考える】「子どもを伸ばすアドラーの言葉 子育ての勇気」(岸見一郎)

勉強を「させる」という行為に潜む3つのリスク

「勉強しなさい」
世の中の大多数の親は
子どもに勉強してほしいと思っています。

「将来のためには勉強が必要だ」
「誰かの力になれるように、今勉強しないとね」
勉強する意味を子どもに問われたとき、
未来に焦点をあてる人も少なくないでしょう。

私たちは誰しも
子ども時代を通ってきていますから、
あの頃の勉強の大切さを信じたい。

もう少しがんばれていたなら、
もっと幸せで、
裕福な暮らしができていたかもしれないという
淡い夢を見ていたい。

そんな思いが子どもに勉強「させる」という形で表れているのかもしれません。

しかし、その勉強「させる」働きかけには
リスクがあると岸見さんは述べています。

どんなリスクがあるんでしょう?


勉強の面倒を見続けることになるリスク

子どもの成績が上がったという結果が出たときに、
「親の指示が的確だった」
「親の采配がよかった」
「親のおかげだ」
という結論に至る可能性があります。

そうすると子どもは自分なりに試行錯誤したり、工夫して勉強したりしなくなります。
そうなると親はますます
指示や命令、時に叱責をしながら
勉強の面倒を見ていかなければなりません。

本来なら成績が上がったという結果は
子どもの努力によるものなのに、です。

親の関心・注目を引くために問題行動をするリスク

いつでも勉強の成果が出るとは限りません。
結果が出なくて見捨てられ不安に駆られた子は
親の興味・注目を引くために
親が一番困ることをします。

それは
・悪い成績を取ること
・勉強をしたふりをして勉強をしないこと

です。

「見込みがないと無視されるくらいなら
叱られる方が注目を集められる」
と考えているからです。

そうした理由で勉強をしないことは、
当然、子どものためにはなりませんよね。


子どもが自分で責任を取ることを学べないリスク

親の指示や采配で生きていると、
自分の行動や自分の選択に
責任をもてなくなります。

自分の人生の主人公はあくまで自分のはず
なのに、
責任を学ばなかったことで
他責思考に陥ってしまうのです。

進学先・就職先・住む場所・結婚相手・・・
と、人生は選択の連続ですが、
その選択一つひとつを
これからも親に決めてもらうのでしょうか。

そして、親が決めたその選択に、
親自身が責任を取ることはできるでしょうか。

幸せの保証などどんな選択にもないのに、
自分で決められないということは
いつまでも誰かにお膳立てしてもらわないと
生きていけないことになってしまいます。

自立の条件は3つある

岸見さんは教育の目的を「自立」であるとし、
その自立の条件を3つ挙げています。

  1. 自分で決められる

  2. 自分の価値を決められる

  3. 自己中心性からの脱却

将来的に自立した子にするためには、
「勉強しなさい」で勉強する子ではなく、
子ども自身が自身の課題として勉強に向き合う子
育てていく必要があります。

次回はこの本から
勉強とのつき合い方について
まとめていきます。



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