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8.人間万事、塞翁が馬

これは亡くなった私の義父が、自分の子供たちが幼少のころによく口にしていたと言われる言葉です。皆さんはこの故事成語をご存知でしょうか?
コトバンクによれば、「人間万事塞翁馬」は、以下の通りに書かれています。

時代は紀元前200年から始まる前漢王朝の創始者(高祖)・劉邦の孫である、劉安が編纂した哲学書「淮南子(えなんじ)」の中の「人間訓(じんかんくん)」に出てくる一遍です。
中国の北端、国境の「塞(とりで)」の近くに、占いが得意な「翁(老人)」が住んでいました。あるとき、彼の飼っていた馬が逃げてしまったので、みんなが同情しましたが、彼は「これは幸運が訪れる印だよ」と言います。そして、そのとおり、逃げた馬は立派な馬を連れて帰ってきました。そこでみんなが祝福すると、今度は「これは不運の兆しだ」と言います。実際、しばらくすると彼の息子がその馬から落ち、足の骨を折ってしまったのです。またみんなが同情すると、彼の答えは、「これは幸運の前触れだ」。息子はその怪我のおかげで、その後に起きた大規模な戦争に行かずにすんだのでした。
つまり、一見不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることから、幸運か不運かは容易に判断しがたい、ということです。同じ意味の故事成語に「禍福は糾える縄のごとし」があります。
冒頭の「人間」を文字通り(にんげん)と読んで、人の活動を特定して対象にしていると解釈する説と、出典である淮南子の人間訓と同様に(じんかん)と読んで、広く世の中の活動全体、森羅万象を包含していると解釈する説があり、いずれも一理あります。
これは幸福論につながる概念だと思います。すなわち、人間の幸福とはいかにして実現されるのか、そもそも満足(知足)は存在するのか、という人類永遠のテーマです。

ポジティブ・シンキングが大事だと、巷間言われるようになって久しいです。ポジティブ・シンキングとは、事象には必ず表の面(光)と、裏の面(陰)があるのだから、光の側面だけを見るようにして行動すれば、必ず幸福になれる、というものです。
ですが、果たして本当にそうなのでしょうか?よしんば身に余る幸福を得られた時に、ポジティブ・シンキングであればそれでも、更にその上の幸福を追求することになる。なぜなら常に前向き(=欲張り)に考えることを是とするからですが、その先に、一体いつ、終わり(=満足)が訪れるのか。人間(にんげん)の際限の無い欲望が突き進んだ結果が、現代のような世知辛い世の中であるような気がしてなりません。

塞翁は、悪しき出来事が起きたとき、自らの不幸を恨むのではなく、事象の光の側面に目を向けて、明るい未来を想像すれば、必ず良きことが訪れると説いています。ですがその一方で、良き出来事が起きたとき、自らの幸福に驕り昂るのではなく、事象の陰の側面を照らして、暗い未来を想定して、備え準備を怠るなと説いています。つまり、物事には真ん中があり、過ぎたるは及ばざるが如し、足るを知ることを強く戒めています。

古代中国からこの小さな島国に伝来し、爾来余千年の時を経て育まれた、世界でも類稀なるユニークなこの思想は、本家本元の中国では個人主義に凌駕され、廃れてしまいました。個の時代、個人の欲望が何にも勝ってしまう現代だからこそ、我々が密かに育んできた考え方が、古の衡から解き放たれ、改めて活き活きとその輝きを湛えているように思います。

「人間万事塞翁馬」ー多くの文人・食客を抱えて「淮南子(えなんじ)」二十一巻を編纂した劉安は、一時は7代目武帝の懐刀として重宝されましたが、その後、武帝の匈奴征伐に反対したことから、謀反の動きありということで追い詰められ、最期は自害しました。足るを知ることの難しさを伝える顕著な史実だと思います。

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