日本に“インクルーシブ教育”は根づくのか。障害者と共に生きるイタリアの現場から (3)
失業者は多いが、いじめがほとんどない社会
2015年9月、おしゃれが好きなKanaさんは技術芸術専門高校(服飾専攻)に進学しました。この学校でもN子さん一家にうれしいサプライズがありました。
この学校では毎年学年末に文化イベントを行なっていますが、今年はKanaさんにちなんで日本の文化が取り上げられることになりました。特に服飾専攻の生徒たちは、「kimono」について勉強しようということになりました。
クラスメイトはKanaさんを通じて、視野を広げているのです。
イタリアには、広い心で他者を包み込むインクルーシブ教育があります。もちろんそれは、学校に限ったことではありません。イタリアの大人たちは、だれもが教室でインクルーシブ教育の精神を身につけています。Kanaさんの日常は、そうした大人たちにも支えられています。Kanaさんは通学路など決められた道であれば、ひとりで歩くことができます。ただし、工事などが行なわれていると立ち往生してしまいます。
そのため通学路周辺の住民やお店の店員は、決まった時間にKanaさんが通るかどうか、いつも気にかけています。彼女が迷子になったときも、N子さんが迎えに来るまで、近所の人が長い時間、そばについていてくれる。こうしたエピソードは枚挙にいとまがありません。
イタリアでの暮らしを振り返って、N子さんはいいます。
「こちらから社会に入っていけば、イタリア人はどこまでも温かく迎え入れてくれます。この国に来て、私は与えられるだけではダメだと痛感しました。与えてくれる彼らの心に一生懸命応えなければいけない。そしてだれかにしてあげられることは積極的にしたいと思うようになりました。この国でのKanaとの暮らしを通じて、私は自分自身を見つめ直し、心が豊かになったと思います」
イタリア生活20年になる私が、日本に暮らす知人たちに「この国って、ほとんどいじめがないんだよ」というと、みんなびっくりして、なかなか信じてくれません。一方で私は、いじめを苦に子どもが自殺、といった痛ましいニュースが日本から届くたびに、なぜこんな悲しいことが次々と起きるのか理解できず、考え込んでしまいます。
失業者が多く、電車は遅れてばかりで道ばたはゴミだらけ。そんな困ったイタリアですが、他者へのやさしさだけは世界のどんな国にも負けないと思います。そしてそれは、私の祖国が失いつつあるものかもしれません。
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