夏目漱石 夢十夜「第五夜」 全5回②
それでは夢十夜「第五夜」の2回目やっていきましょう。
▼第一回はこちら▼
②鶏の鳴き声について
此の話に於いて最も重要なファクターはなにか。それは鶏の鳴き声であると考えます。
古来より鶏の鳴き声というのは人を騙す目的でよく使われてきました。
その最たる例が「函谷関の故事」です。秦国に捕まった斉の孟嘗君は中国随一の鉄壁さを誇る函谷関の関門(図1)を夜中に抜け出しての脱出を試みます。
しかし門は朝になるまで開きません。そこで部下に鶏の鳴き真似をさせ門番に朝だと思わせて函谷関を開けさせることに成功したという話です。
この故事から生まれた四字熟語が鶏鳴狗盗。意味は小策を弄する人やつまらないことしかできない人の例え。また、つまらないことでも何かの役に立つこともあるという意味で使われます。
他にも百人一首62番、清少納言による
「夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも よに逢坂の 関は許さじ」
という歌は函谷関の故事を基にして、言い寄ってくる男に対して鶏の鳴き声で函谷関は開いても逢坂の関(図2)は許しません(あなたには絶対に会いませんよ」という意味で詠まれているといいます。
そこで、本章では、第五夜での鶏の鳴き真似について紐解いていきます。
2-1.鳴き真似関係の中でも悲劇的
「すると真闇な道の傍で、たちまちこけこっこうという鶏の声がした。女は身を空様に、両手に握った手綱をうんと控えた。馬は前足の蹄を堅い岩の上に発矢と刻み込んだ。こけこっこうと鶏がまた一声鳴いた。女はあっと云って、緊めた手綱を一度に緩めた。馬は諸膝を折る。乗った人と共に真向へ前へのめった。岩の下は深い淵であった。」本文
さて、本文から推測するに女は馬と一緒に淵に落ちて死んでいます。
これは僕の知る限りではかなり悲惨な【鳴き真似文学】です。
前述した鶏鳴狗盗の故事や百人一首、更には沙石集の「乳母の教え」などが僕の知ってる【鳴き真似文学】ですが第五夜は恋人が死んでしまうというだいぶ重い内容になっています。
夢ということで少し和らげられている感じはしますが…
次は鶏自体について触れていきます
2-2.鶏の役割
まず鶏というのは、古今東西を問わず平和の象徴であったそうです。
老子は、隣国とは鶏や犬の鳴き声が聞こえる距離ながらお互いに往来することもない農村を平和な理想社会として描いています。
なので鶏は戦争の後には平和が訪れてほしいという漱石の思いの表れとして読むこともできると思います。
夢の始まりとなった戦争で恐らくたくさんの兵が死んだでしょう。
そしてメインの舞台は戦後処理。
鶏の鳴き声は、これ以降悲惨な戦争は起きてほしくないという思いと、真似であったことから実際には終わることはなく、この後も争いが続いていくということを表していると解釈することもできるのではないでしょうか。
また、『古事記』では「常世の長鳴き鳥」と記されているように、鶏が日本に来た初めの頃は、時を告げる聖鳥として大事にされていたようです。
この聖なる存在というのがポイントだと僕は思いました。
聖なる鳥の真似をするのが「唯の天邪鬼」ではイメージを壊してしまうと漱石は考えたのではないでしょうか。
そこで、形式上は「神」とされる天探女の表記にすることで悪いイメージを軽減しようとしたのかもしれないと推測しました。
さて、総括すると鶏は古来から「平和の象徴とされ、時を告げる聖なる鳥」であると説明することができます。これを、舞台が夢であるという事と関連付けるとある仮説が浮かび上がってきました。
それは、「鶏の鳴き声」は「夢の終わり」を表しているのではないかということです。
鶏の鳴き声が聞こえたところで女が死んで、最後に「自分」の説明があるが形式上は話が終わる。
つまりこれは、夢を見ている漱石の方に朝が来て目覚めたため夢が終わったと捉えることができるのではと考えました。
第2回の参考文献
第2回はこれで終わり。第3回も見てね!
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