火事場の馬鹿力かストライキか
子供の頃に聞いて、衝撃を覚えた言葉に「火事場の馬鹿力」というのがある。
言葉に衝撃というと語弊があるかもしれない。その言葉とイメージに衝撃を受けたという方が正しいのかもしれない。この言葉の意味は、「人(または動物も入るのだろう)は、切迫した状況に置かれると普段からは想像しえなかった力を出すことができる」という事。言葉が示すように、火事の時などにその力が発揮できるわけだ。
そしてこの言葉は僕の中でどうしてか女性が物凄い力を出すイメージと結びついているのだ。それがなぜかはハッキリとしないのだけれど、もしかしたらこの言葉を教えてくれたのが祖母か母だったのかもしれないし、この言葉の意味の説明で女性が例で出されていたのかもしれない。
僕の中で母親のような女性が洋服やら印鑑やら、貯金通帳などが入った桐のタンスを燃え盛る家の中から一人で運び出すイメージ。そしてドスンと安全なところまできてタンスを下すとブルブルと震えているそんなストーリーが頭の中に浮かんでくる。
これは多分、人間だけでなくても動物もありそうだなと思う。それは動物のドキュメンタリーなんかを見ていると、蛇に睨まれた蛙という言葉がまさにそのまま現実になった状態の時に逃げ出せる蛙とか、ライオンには負けるだろうなと言う様な動物が突然にライオンに攻撃をして相手をひるませたりと人は死を感じる際には不思議な力を出せるのではないだろうか。
さて最近、僕の家の湯沸かし器が壊れてしまった。湯沸かし器と日本語訳してしまうと何か水道の上についている水をお湯にする大きな昔の機械を思い出してしまうが、僕が言うのは日本にある電気ポットのようなもの。ヨーロッパは日本の様に軟水の水ではなく硬水なので何度も再沸騰をすると体に良くないのと、長いあいだお湯を保温することにあまり重要性を感じないようで日本の保温性のある電気ポットというのは見たことがない。ただ、その代わりにこの湯沸かし器がある。つくりは簡単でやかんのような形の容器に水を入れてスイッチを入れれば本当に短時間で100度のお湯が沸く。これをお茶を飲むたびに使うのである。僕もよくお茶を飲むので本当に重宝な電気器具である。
そんな我が家のはガラス張りでスイッチを入れると青い電球が点灯して目にも華やかな感じのものだ。その日もいつも通りにお湯を入れてスイッチを押そうとすると、点くはずの青い電気がつかない。また容器の中の水も沸騰はするどころか、冷たいまま。
「故障か、、、。」接続部分を掃除したり、ポット全体を磨いてみたり、電気コンセントを抜いてはさしてみたりたのだけれど何もおこらない。いやなにもないわけではなく本当に20回に1回一瞬だけ青い光が出るんだけれどすぐに消えるという事が起る。ただそれだけ。水はいつまでたっても水のまま。
しょうがないのでガスコンロで水を沸かす。新しいのを買わなければならないな、と思うのだけれどもパートナーが2週間の出張中で、何かとこだわりの強い彼の意見無しで買ってしまうのは問題があるのでひとまずは出張から帰ってくるまで待つことに。
次の日、もしかしたら直っているかもと思い湯沸かし器のスイッチを入れるがもう青い電気すらつかなくなてしまった。
出張からパートナーが返ってくるなり状況を報告。彼も試してみたが何も起きない、、、。そこから彼の湯沸かし器リサーチが始まり我が家に新しい湯沸かし器が来たのはその数日後。
新しい湯沸かし器は黒のシックなデザインでお湯の温度も4段階で調整できる優れもの。うんうんよさそうだと思い最初のお茶でも入れようかと思ったその時、
「もう1度最後に壊れたやつも試してみよう。」とおもって壊れた湯沸かし器に水を入れてスイッチオン。
青い電気が点き、お湯も沸き始める、、、、。嘘!ウソ、うそ、嘘!!なぜ!
お湯も100度まで沸く。それから3度ほど試してみるも3度とも問題なし。
これって「このまま壊れたままでは捨てられてしまう!!」という火事場の馬鹿力なのでは。人や動物に限らず物までもこのパワーがあったとは。本当に驚かされた。いったいこの期間に何がこの湯沸かし器に起こって何も問題のないように通常運転しているのだろう。捨てられるまいと思って切れた配線を自らつなぎ合わせたのだろうか?そんなことは果たして可能なのだろうか?
それから1週間たった今でも昔の湯沸かし器は何の問題もなく動いている。1週間がたって今おもうとあれはもしかしたら壊れていたのではなく、ストライキだったのかもしれない。「いつも使っているのだから大事にしろよ!」的なメッセージだったのではないかとも思う。
何故なおったのかは不明のままだが、使うたびに「今日も動いてくれてありがとう」と言って感謝を表して次なるストライキが起こらないように努めている。