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2017-2018年 ノリで作った会社でマッチングアプリを作って極貧生活

読まなくてもわかる内容まとめ

▼大学に落ちてAIエンジニアで一発逆転じゃ!
▼ベンチャーっておもしれえええ!
▼ベンチャーって自分でもできるんじゃね??→爆死


大学に落ちてAIエンジニアで一発逆転じゃ!

2017年 4月
一浪の末に不退転の覚悟で臨んだ大学受験。第一志望の大学に落ちた僕は焦っていた。
同期はみんな日本トップの大学に入って都心のキャンパスで目をキラキラさせている一方で、僕は山の上の田舎なキャンパスへ向かっていた。自分が情けなかった。

「何かやらなくちゃ。大学で出遅れた分、取り返さなくちゃ。」

期待のキャンパスライフと同時に焦りのようなものをずっと抱えて過ごしていた。

そんな大学1年の夏休み前、1つのツイートが目に止まった。

「君も一夏でAIエンジニアになれるよ。東大の院の機械学習の授業に出て単位が取れるくらいの実力がつく!うちにインターンにおいでよ。」

詳しい内容はうろ覚えだが、大体こんな内容だった。
"AIエンジニア" 。今は当たり前に使われるAIという言葉が世の中でバズり始めた時期だった。夏休みの過ごし方は即座に決まった。一夏でAIエンジニアになれると言われて乗らない手はなかった。AIエンジニアは僕の人生を一発逆転させてくれるクリティカルパスに思えた。

インターンに入ってすぐに分厚い資料を渡されて、こう言われた。
「何かAIをこれで作ってブログにまとめてね。そしたらインターンの試験は合格で。」

そこからは毎日オフィスでの泊まり込みだった。正直、機械学習のロジックは数式が難しくて分かってるのかあやふやレベルだったが、貸してもらったmacで毎日Pythonのコーディングをするのが楽しかった。


ベンチャーっておもしれえええ!

結論から言うと、AIのエンジニアにはならなかった。試験は社長がガッツで加点してくれておまけ合格したが、残念ながら、僕がエンジニアに適性がないことはすぐにわかり、エンジニア→コミュニティリーダーにジョブチェンジした。
でも、そんなことはどうでも良くなるくらいすぐにベンチャーという環境に圧倒されて惹き込まれた。
昼夜構わず働く仲間たち、時流に乗って利用者数がどんどん増えていくサービス、世界を変えているかはわからないけど確かな熱気がそこにはあった。

コワーキングスペースにあった当時の会社での僕の最高は "14連泊"。
今は随分とその会社は大きくなってしまったので、今やったらすぐに労務のお世話になるだろう笑
今後、抜かれることはないと思う。社員の中でも最高勤務記録だ。
社長から「会社を家代わりに使うのはやめてくれ...」とか言われて凹んだりしながらも、社長が帰った後にこっそり泊まって、朝早めに起きてさっき来ましたよ?みたいな顔をして連泊を繰り返して仕事する日々を繰り返してた。

深夜にみんなで銭湯に行ったり、納期前で寝なければ「広義では今日!日付は変わらない!」という謎の概念ができて「今日の32時に上がります!」という会話が実際にあったり、スタートアップの文化は僕にとっては強烈で、自分の人生観が変わる貴重な体験だった。

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そんな感じで最初からガツガツコミットしていたのと、ベンチャーということで社員の数も少なかったので、どんどん昇進(?)していき、最終的には大学の休学と引き換えに事業を一つ任される立場になった。


2018年 4月 初代事業部長に就任

事業部長になって一番最初に起こったハードシングスは、アルバイト社員の大量離職だった。
3-4月は院進や就職など、環境の変化が多い時期。学生中心に組織されていたプログラミング講座のメンター講師たちが院進などで一気に離職する時期でもあった。

質問対応がパンク寸前だったため、あまりエンジニアではない僕も勉強しながら質問対応をこなし、同時にありとあらゆる募集媒体で声かけを行い、なんとかサービスを止めずに済んだ。

それをきっかけにこのままだと再び同様の状況が起こることを危惧して、業務のマニュアル化を行い、属人化を防ぎ、結果的に、私が勤めた3ヶ月間で売上の1.5倍化を達成した。

とはいえ、待遇はほぼ変わらず、上司が社長だったため役職が上がることもなかったのと、この調子だと自分でも事業の立ち上げができるのでは?と勘違いをしたことをきっかけに独立し今の会社を立ち上げた。


ベンチャーって自分でもできるんじゃね??→爆死

2018年の夏頃。
初めて会社を設立して社長という肩書きになった。
別に何かをやりたい訳でもなく、「出来そうだから」という理由で会社を立ち上げたので、最初は何をやるか?から決める必要があった。

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↑創業した株式会社Next Paradigmのロゴ。
デザイナーもいなかったので自分でイラレで作った。

そこで、自分が着目したのが当時流行ってたポケモンGO。ポケモンGOは街中を歩いているとポケモンが出てきて、モンスターボールを投げると捕獲できる、みたいなゲームですが、そのポケモンをリアルにそこに歩いている人間に置き換えたら面白いんじゃね?という発想だった。

もちろん、リアルでモンスターボールを投げる訳じゃなくて、ブルートゥース機能を使って、トークン(ビットコインみたいな仮想通貨)と一緒にメッセージを送って、返事をすればトークンが相手にもらえ、返事をしなければマッチ不成立、というもので当時は「500円分投げてたけど、あの女の子返事くれなかったー!今度は1000円分投げようぜ!」みたいな感じで盛り上がるようなシチュエーションを想像しながら、「隣にいる人に話しかけることが出来ず、人がたくさんいるのに孤立するという寂しさを解決する」というそれっぽい大義名分をつけて昼夜資料を作り込んでいた。

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もちろん、そんな思いつきサービスは「技術的なハードル」「グロースの難しさ」「女の子のいきなりお金を送って来られたら嬉しいよりも気持ち悪いという感情」などの幾つもの壁に当たってうまくいかなかったけど、当時の自分たちは周りに喋ったらパクられるかも!とか思いながら、必死でやってた記憶がある。(誰にもパクられないよ笑)

そんなうまくいかなかったサービスは

夜更かしカフェ
その空間にいる人でいいなと思う人がいたら専用アプリで簡単に話しかけ、マッチしたら同席できるカフェ

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今、会える友達がすぐに見つかる - spoty
暇な時に、暇ボタンを押したら同じ時間帯に同じく暇ボタンを押したtwitterの相互フォローとマッチできるサービス

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になるのだが、それはまた別の話し。(結局、全部上手くはいかなかったな。)

そんな感じでワクワクするけど1円にもならない時間を過ごし、年末には貯金が尽きて、1食80円の具なし袋焼きそばかスパゲッティで食いつなぐ日々。


次回2019年からの人生予告

ついに、未来の株主になる本田圭佑氏と出会い、大浴少年の起業家人生は大きく動き出す。。。!

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