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指先に魔法をのせて―平成ネイル史―

  岡崎京子の「pink」の作中で主人公のユミちゃんが、自分のアイデアに浸りながら上機嫌になってネイルを塗り始めるシーンがある。また一方でユミちゃんの天敵の継母も、ユミちゃんを妨害する空想に浸りながら、上機嫌になって爪を磨き始めるシーンがある。

両者とも共通しているのは、上機嫌になると爪のお手入れをしはじめるというところだ。そしてふたりとも「爪」のお手入れが出来るくらい、余裕がある心理状況と自分の指先にうっとりする。

「ネイル」と言うのは心の状態を測るバロメーターに近いものなのかもしれない。爪を磨き、爪に色をのせる。それは一瞬にして幸せな気持ちになれる不思議な魔法だと私は思う。そしてその不思議な魔法はこの平成の時代に様々な変貌を遂げた。今回はそんな摩訶不思議な魔法ーー平成のネイルを振り返りたい。

▪️世界のネイルの歴史

意外にもネイルの歴史は長い。
それは古代エジプト時代までにも遡る。ミイラの爪先に今でいうネイルのような装飾がの発見がネイル史の始まりで、このミイラの爪には「ヘンナ」という植物の花の汁を使って染めていたそうだ。階級が高くなる程真紅に近い濃い色をつけ、古代エジプトでは、爪先の色が階級を示す一つの道具になっていた。

また唐の時代の楊貴妃は爪を染めていたというのも有名なお話。
日本では、江戸時代に爪を染める習慣があったことが「女郎花物語」などの書籍に書かれてる。勿論、ネイルポリッシュなどは存在しないので、この時代はホウセンカの花とカタバミの葉を揉み合わせたもので爪を染めるというものだった。

遥か昔から世界のあらゆるところで爪に色をのせていた。それは階級のみならず、愛情表現だったり、呪詛的なことに使用していたりと様々だった。皆、昔から「爪」に対して色だけではなく、なにかしらの表現や想いをのせていたのが興味深い。それだけ「爪」というパーツは、人のパーソナリティを示せる一番のパーツなのかもしれない。


ホウセンカは漢字にすると鳳仙花。ツリフネソウ科・ツリフネソウ属の植物で原産国は東南アジアになる。
別名は爪紅(ツマクレナイ・ツマベニ)骨抜(ホネヌキ)。
花言葉は「せかっち」、「短気」、「触れないで」、「心を開く」。
どことなく言葉からネイルをイメージさせるのが面白い。

▪️平成前の日本のネイル文化

 では、ネイルはいつから現代のような形で日本に入って来たのだろうか?
現代のようなポリッシュができたのは、1923年になる。意外にもその元は、アメリカで発明された自動車塗装用の速乾ラッカーだった。そして1960年代になると、国産化粧品メーカーから現在と同じようなピンク系や赤系のネイルポリッシュ(ネイルカラー)が次々と発売されるようになった。それから日本に本格的に入ってきたのは、少し遅れて1970年代になる。

70年代のネイルカラーはピンク系や赤系だけでなく茶色、白など色のバリエーションも豊かになった。またこの頃から、ラメやパール入りなども発売されるようになる。ラメやパール…というと90年代後半のイメージが強くなるが、意外にも70年代からあったのが驚きだ。

そして日本で「ネイル」という言葉が安定してきた頃、1985年に日本ネイリスト協会が設立され、検定試験が始まり、民間の資格が出来るようになった。ネイルサロンもオープンしたが、この頃のネイルサロンはまだ庶民にとっては派手なイメージがあり、どちらかと言うとあまり好ましく思われていなかった時代だった。

そこに、1988年のソウルオリンピックが開かれ、フローレンス・ジョイナー選手が華々しく登場する。彼女が注目を浴びたのは、短距離走での記録だけではなく、鮮やかな色彩と芸術的な装飾を長い爪に施したネイルアートだった。そこから、日本でも徐々にネイルへの認識が増え、人気も高まっていくようになる。

フローレンス・ジョイナー選手
1959年12月21日‐1998年9月21日(38歳没)
1988年ソウルオリンピックに出場し、100m、200m、400mRで金メダルを獲得し、3冠を達成した。ジョイナー選手はもともとファッションやネイルの勉強をしていたのもあり、当時はそのファッショナブルなセンスも注目の的だった。出場時に長く伸ばした爪に鮮やかなマニキュアをつけたり、奇抜なファッションといったパーフォマンスでも人気を博し、話題を呼んだ。

▪️ネイルアートが加速した90年代

 1990年代には芸能人や若者の間でネイルアートが流行り、一気に日本での人気が加速した時代だ。そして、90年代のネイル史おいて神田うのの存在もとても大きい。大人な印象が強いネイルサロンも元プチセブンモデルの神田うのがティーン雑誌で度々紹介することにより、10代への訴求がさらに強まっていった。

それまで非日常的な存在だったネイルサロンは徐々に増えていき、「ネイルアート」は一大ブームとなっていく。今まで単色で塗るだけのネイルも、ラインストーンを施したり、筆やエアスプレーでイラストを描いたり…とネイルの技術はさらにクリエイティブになっていった。

そして、90年代後半にはスカルプチュアという技術も生み出され、短い爪や生まれつきの爪の形など「爪」のコンプレックスが解消される技術が出来た。それまでは爪のコンプレックスを隠すのは主にネイルチップといった「つけ爪」だった。
スカルプチュアネイルの登場により、まるで元から美しい自爪のように人工的に爪が作れるようになった。このこともネイルへの興味が深まった一因だと伺える。  

また、当時ギャルにカリスマ的な人気があった「ロコネイル 」のデザイナーHIROCO氏の活躍、繊細なアートで雑誌に引っ張りだこだった黒崎えり子氏の活躍により、「ネイリスト」の職業を志す者が一気に増えたのもこの時代の特徴である。そして、黒崎えり子氏を筆頭に立て続けに日本人がネイルの世界大会で優勝したことも大きな追い風になった。

※スカルプチュアネイル…ハードジェル・アクリルパウダー・アクリルキッドを混ぜたものを使って爪を長くする技術。 ネイルチップとは違い、好みの長さ・形にすることができる。爪を長くすることで、指を細く長く見せることができ、また爪の面積も広くなる。

1997年/プチセブン7月号付録/小学館
当時スカルプチュアの認知度はあったが、ティーンにはまだ敷居が高く手が出しづらい代物だった。「スカルプチュアネイル」への憧れはあったが、どちらかというと、一般人よりもモデルの方々がスカルプチュアネイルをしていた印象がある。

1996年プチセブンno.15付録/小学館
2000年代の「ネイルアート」の文化はアーティトが引率していた印象があるが、90年代は主にモデルが引率していた。特に神田うのは、90年代でネイル文化を広めた人物の一人だと私は思う。「プチセブン」で初めて「ネイルサロン」を紹介したり、また自身の「ネイルアート」を公開したりと、90年代のネイル文化においてかなり貢献したのではないのだろうか。

1998年/ネイルMAX’98/英知出版社 
NAIL …創業者&デザイナーのHIROCO氏が、ハワイのロコテイストと海外で流行っていたネイルアートを広めるべく始めたブランド。
2000年代の「ROCO NAILS」はハワイアンなデザインの雑貨やスクール用品の記憶があるが、初期の90年代はつけ爪をモチーフにしたアクセサリーでギャルを筆頭に大ブレイクした。HIROCO氏はハワイでネイルアートデザインを勉強したのち、ネイルアートを日本に広めた。ハワイの美しい情景を繊細なペイントで描き、「ネイルチップ」をより身近なアイテムに引率した第一人者でもある。

1998年/ネイルMAX’98/英知出版社
90年代後半の主なネイルデザイン。00年代に比べるとシンプルなデザインが多い。この時代は主にポリッシュかネイルチップにアートを施すのが主流だった。90年代後半はネイルチップ全体に色をのせない、ネイルチップの素材を生かした「クリアネイル」も流行した。

▪️ジェルネイル元年の2000年代

 2000年はエンタメやファッションも含めて「新しい時代」の切り替えを感じる年だった。

ネイルもまた然り。それまで、ネイルアートもネイルチップにデザインを施していたが、2000年からスカルプチュアをベースにネイルアートをするようになる。自爪の補強に加えて、長さや形が自由に変えられ、ネイルアートの幅が広がるのもスカルプチュアネイルが人気になった理由の一つだといえる。

そして、海外で80年代初期には既に誕生していた「ジェルネイル」が、2000年代に入ってやっと日本でも紹介されることになる。
「ジェル」はもともと、南アフリカ原産のジェル素材を紫外線に当てると硬化するしくみで、同じしくみの商材は歯科医で型を取る際などに使われてた。ジェルが2000年代に日本に上陸すると、ものの良さやその扱いの簡単さにジェルネイルとして大ブレイクした。

すると、当初は海外から輸入していた商材を国内で生産する企業が増え、徐々に日本産の商材がサロンに浸透するようになった。初期に比べて商材の仕入れコストが下がり、施術メニューの単価を安く提供することができるようになったため、現在はさまざまな日本ブランドの商材を使ったジェルネイルが人気の中心になっている。ちなみにソフトジェルが日本に上陸したのは、2002年になる。また、それより前に日本にあったジェルネイルはハードジェルだったそうだ。

そして、ジェルネイルはさらに進化し、ここ最近では爪を痛めない「パラジェル」が主流になりつつある。

 また、浜崎あゆみの存在も忘れてならない。98年のデビュー当時からセルフプロデュースにこだわり続けた彼女は自身の表現として、積極的にネイルアートを取り入れた。ネイルアーティストの三浦加奈子氏とタッグを組んだ多彩な表現は、多くの人を驚かせ、また「ネイルアート」という言葉をさらに世間に認知させた。

2001年/ネイルMAX'01ZERO-ICHI/英知出版

2001年/ネイルMAX'01ZERO-ICHI/英知出版
いかにも00年らしいデニムの素材を生かしたネイル。2000年代以降のネイルアートは、ポリッシュや絵の具といった往来の枠を飛び越えて、異素材の組み合わせも目立つようになった。ネイリストの斬新なアイデアがどんどんネイルに反映されていった。ちなみに写真のネイルは安西ひろこのネイルだ。安西ひろこは高野尚子氏とダッグを組み、本人もネイルアートも含めてギャルを筆頭に大人気だった。

2001年/ネイルMAX'01ZERO-ICHI/英知出版
浜崎あゆみは2000年代で最も「ネイルアート」という言葉を世間に認知させ、ネイル文化を引率した人物なのではないだろか。
三浦加奈子氏のネイルデザインを見ても分かる通り、グラフティー柄やカモフラージュ柄など流行を押さえつつも、常に時代を先取るネイルデザインへの挑戦が伺える。

(上写真)2000年/ネイルMAX2000/英知出版
現在ではメンズネイルも珍しくなくなってきたが、当時は前衛的な存在だった。
主に自爪にアートを施し、トライバル柄などストリートを感じるデザインやダークカラーの一色で仕上げることが多い。「メンズネイル」の言葉自体は2000年辺りから出てきたが、「男性のネイルアート」というところでは90年代のV系バンドのアーティストが表現の一部としてネイルアートを施していた。

▪️3Dから姫ネイル…さらにデザインが豊富になる2004年以降

 ジェルネイルの存在は、「サロン」と私たちの距離をグッと近づけたと思う。それまでどこかセレブ感があって少し近寄りづらかった「ネイルサロン」が、施術メニューの単価のコストダウンにより通いやすくなったも理由のひとつだった。90年代後半の「一部の人しか行かない・行けないサロン」といった「ネイルサロン」が00年代に入り、まるで美容室のような存在になった。

また「3Dネイル」が登場したのも、ネイルのクリエイティヴの幅を広げたきっかけになった。初期の3Dネイルのサンプルデザインを見ると、爪一本一本にネイリストによる「魂のクリエイティブ」が感じられる。

2000年/ネイルMAX2000/英知出版
びっくりするかもしれないが、初期の3Dネイルは独創的なデザインが多かった。
実際にオーダーされるかはさておき、ネイリストが楽しそうに制作している姿が目に浮んでしまう。

2007年/NAILMax/4月号/インフォレスト株式会社
ネイル の文化はブライダルにまで広がった。今でこそ「ブライダルネイル 」は一般的かもしれないが、それまで「ブライダルネイル 」の言葉自体が存在しなかったので非常に画期的だった。ドレスや白無垢に合う、繊細で美しいネイル が特徴的だ。

2010年/S Cawaii!特別編集HAPPY♡着物/主婦の友社
度々、マナーなどで問題視される成人式だが、00年代からは北九州を筆頭に徐々に振袖や袴など衣装が派手になった。現在も成人式というと「派手」な印象があるが、2010年頃の「派手」さと比べると少し落ちつた印象がある。
細部までこだわる成人式はネイルにも反映され、成人式前後はネイルサロンも賑わうようになった。個人的に派手な衣装を身にまとう若者が大好きなので、警察出動レベルの問題にまでならなければ、これからも派手な成人式の伝統は維持して欲しいところだ。

 過剰な装飾は2000年代が深まるにつれて徐々に増していき、2009年には「姫系メイル」といった過剰装飾を極めたネイルが人気になる。また、アニメの世界にもネイル アートが広がっていったのもこの時代の特徴だ。
初音ミクのイラストや「マクロスF」のヒロイン、シェリル・ノームのイラストにも美しいネイルアートが施されており、ネイルそのものが幅広い分野で注目されるものとなった。

 2009年/姫ネイル/株式会社学習研究社
世の中で「姫ギャル」が流行り始めた頃に生み出された「姫ネイル 」。
同時期に小悪魔agehaから「盛り」文化が生まれ、ネイル もストーンを過剰にあしらった「盛りネイル 」も浸透しはじめる。「盛りネイル 」と「姫ネイル 」は似たような印象を抱くかもしれないが、「姫ネイル 」は「ジーザス・ディアマンテ」のお洋服のような、どこまでもロマンティックに振り切ったデザインのネイルになる。私の個人的な意見になるが、「姫ネイル」は3D、ストーン、デザイン含めて平成のネイル史の中で一番技術がてんこ盛りなネイルだと思う。
実際、令和になった今でも「姫ネイル」が一番好きだったという意見も多い。

 そして2010年以降は、きゃりーぱみゅぱみゅのネイル担当なかやまちえこ氏によってポップでカラフルなデザインが増えていき、そのキッチュでおもちゃのようなネイルは原宿系にも受け入れられるようになった。
それまでどことなく「ネイルサロン」はOLやギャルのもの…といった風潮も、ネイル特有の爪は長ければダメといった往来の雰囲気も徐々に薄れていった。
また、2012年頃には「痛ネイル」といった、ネイルに好きなアニメキャラや「推し」カラーのデザインを施すジャンルも登場し、ネイルがより親しみやすい存在と進化していった。

2012年/DIA Collection Magical Nail /
著 なかやま ちえこ/株式会社ダイヤプレス
なかやま ちえこ氏が作る、まるでおもちゃのようなネイルデザインの登場は画期的だった。服装の系統でネイルアートとは今まで関心がなかった人もきゃりーぱみゅぱみゅのネイルアートをみて、興味が注がれた人も多かったのではないだろうか。

2017年/セルフアニメネイル自分でできる推しキャラネイル/著ネイルサロンVenus Rico/主婦の友社
痛ネイル…「痛いネイル」の略称。
マンガ・アニメ・ゲームなどの作品をモチーフにしたイラストやロゴ、デザイン、キャラクター自身の似顔絵などを爪に描くネイルアートデザイン。2012年の夏頃からタレントの中川翔子や読者モデル、インフルエンサーなどがメディアで紹介したこともあり、“女性が楽しめるオタク文化”として話題を呼んだ。

(右から)2014年/読者モデルがご指名!!可愛いカジュアルネイル/宝島社/
2014年/TOKYO KAWAII NAIL/祥伝社/2015年/ニューズムックFUDGE presents/株式会社三栄書房(下写真同じ)
ショートネイル…短い爪で施すネイルのこと。主にポリッシュかジャルネイルでアートを施す。ワンカラーで仕上げることも多い。長さを出さない分、カジュアルな印象がある。ジェルネイルの仕上がりの特徴は、爪にぷっくり厚みが増して光沢がでるところだ。地爪よりも強度が出て、マニュキアよりも色が剥げにくいといった利点がある。

▪️より身近になったネイル文化

 2010年も後半に差し掛かると、今度は「ジェルネイルキット 」といった、自分で施せるセルフネイルキットも徐々に増えていった。
今まで「LOFT」などでもプロ仕様のニッパーやポリッシュなど様々なネイル 用品が売っていたが、そこにジェル用品も付け加えられるようになった。「セルフ」というワードがつくと、どことなくコストダウンするイメージが湧く。だが、近年の「セルフネイル 」や「ジェルネイルキット」の需要は、日々の仕事やエンタメ、コンテンツに追われる私たちの時間のなさからも、受け入れられるようになったのも理由の1つではないかと思う。

 また新型コロナウイルスからの外出自粛により、一時的にサロンに行けなくなったなったのも「セルフネイル 」「ジェルネイル キット」が増えた理由のひとつだろう。


オホラ…韓国からやってきたセルフジェルネイル 。
最初からアートが施されているシートを爪に貼って硬化させる。筆や他アイテムを購入せずとも簡単にネイルアートが出来るのがオホラの良いところだ。緊急事態宣言時には、ネイルサロンが一時的に休業しており、このような簡単なセルフアートが注目された。


  自分に合うネイルサロンが見つからなくても、ネイルサロンに行くのが億劫でも、自分でサロン同様に近い技術が出来る時代に突入した。様々な分野で言えることだが、プロに頼まずとも自分で技術を施せる「セルフ」ものが増えてしまうと、本来のサロンやプロの仕事が減ってしまう。

しかし、ネイル に関しては「セルフ」ものが増えたことにより、今までの装飾といったネイル だけでなく、自分自身の「ケア」といった行為も含めてポジティブなイメージにグッと近づいたと思う。そのことにより、さらに「ネイル」への関心が高まり、結果的に「ネイルサロン」の存在が再び見直されたのは良かったのではないだろうか。

 また、ここ最近では「自爪育成」や「深爪矯正」が注目されており、トラブル爪でも深爪でも対処できるお店が増えた。
サロンのスタッフに話しを聞くと、長年の爪コンプレックスの悩みが解消されて喜びと感動の声が多いという。女性だけではなく、男性の利用も増えているというのも興味深い。

装飾だけではない、「ケア」としてネイルサロンが活用されているのもここ最近の特徴だと思う。

※自爪育成&深爪矯正…その名の通り、自爪のケアや深爪を治す為に特化したサロン。巻き爪などのトラブル爪にも対応している。深爪や欠けた爪をスカルプチュアで長さを出して「爪」を育てる。私も最近、半分の爪が欠けてしまうトラブルがあり利用させてもらった。無事、爪が復活して感動したのは言うまでもない。
改めてスカルプチュアの技術と可能性、素晴らしさを見直してしまった。

▪️装飾だけではない、自分の為のネイルを

 私が初めてネイルサロンに行ったのは、もう随分と前で2003年頃だと思う。
高校を卒業して、真っ先に行きたい!と思ったのが「ネイルサロン」だった。髪を染めるのでもなく、ピアスを開けるのでもなく一番にやってみたかったのが、フレンチスカルプチュアだった。

高校生の頃、浜崎あゆみがフレンチスカルプチュアをしている写真を見てずっと憧れていたのだ。爪のピンクの部分に透明なクリアネイルを塗り、爪先部分にホワイトのカラーを施したシンプルなデザインだが、その長く整った美しい指先に自分も早くなりたかった。初めてネイルサロンでスカルプチュアネイルを爪に施した時、長くキレイに整った自分の指先が嬉しくて、ひたすらじっと眺めていたのを今でもよく覚えている。

 あれから20年近く経った今でもネイルサロンに行くのが好きだし、ネイリストさんとたわいも無いお喋りをするのも心地よく好きな時間だ。

当時と比べると、ネイルもかなりポジティブな印象になってきたと思う。びっくりするかもしれないが、2010年くらいまでは爪に3Dを乗せたり、ちょっと派手にしているとやたらと嫌味を言われたりする時代だった。今のようなポジティブなイメージになってきたのは本当につい最近のことだ。

また当時はキラキラしたネイルをしていると、嫌な言葉を投げかけられることもあったが、私は大好きなネイリストさんが私の指に施してくれた「魔法」をいつも誇らしげにしていた。指先をキレイにしていると、何故かそんなくだらない言葉すら耳に入らなくなるくらいの力が湧いてくるのだ。

 日本でのネイルの歴史は長いようでまだまだ浅い。2000年のジェルネイル時代から振り返ってもやっと20年経ったくらいだ。その20年間のなかで、性別関係なくこんなにもポジティヴなイメージになってきたのは大変喜ばしいことだと思う。

「あなた方の並ならぬ努力があったからこそ、今の素晴らしいネイル文化があります」

私はネイルに関わった全ての人へ心からこの言葉を伝えたい。
そして指先に施す「ネイル 」はあなたにとって、とっておきの、最高の魔法となる。






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