【小説】「春嵐」 #7 (全文無料)(投げ銭スタイル)
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第6章 はるか遠くにムベの花 ① 「再会」
船山産婦人科クリニックで多忙な仕事に気力、体力を注いでいる内に
節子は次第に松田吾郎のことを忘れていった。
1年あまりが経過したある日のこと
東西医科大学附属助産婦学校の吉川蘭子教務主任から電話がかかってきた。
( 久し振りの電話。何かしら? )
節子は、いぶかしく思いながら、事務室の電話に出た。
離れたところにいる船山院長が、節子の様子をチラリと見た。
「 土曜日の午後、時間を作ってほしい 」
吉川師から節子への申し入れである。
船山院長に話すとすぐに勤務の調整をしてくれたが、
「 何事かな? 」
と、心配そうな表情で、訊いてきた。
「 吉川先生の用件は、委細面談ということで、用件はわかりません」
「 そうか…… 」
船山院長はすぐに、温和な顔に戻った。
看護学校と助産婦学校の建物は
東西医科大学の基礎医学群の西隣りの地続きにある。
基礎医学群には、病理学教室、細菌学教室などが入る数棟の2階建ての建物が並んでいる。
その中で、比較的大きな建物としては
各種の研修会などに使用される文教会館がある。
助産婦学校へは、その文教会館の前を通過していく。
多川節子が、文教会館へとさしかかった時
玄関に佇む松田吾郎に気がついた。待ち受けていたようだ。
節子は、驚いて立ち止まった。
( また、船山院長の工作? )
「 久しぶり 」
松田は笑顔で近寄ってきた。
何の屈託も感じられない。
「 近く開催される産婦人科学会の準備会に出るため
文教会館に来ている 」
と言う。
続けて、
「 準備会は1時間ぐらいで終わるから、その後ちょっといいかな? 」
と訊いてきた。
節子は、急なことで返事ができない。
助産婦学校の吉川師の用件は
会ってから詳しく話すと、いうことで何用かはわからない。
「 あの…… 」
どう返事すればいいか困っていると
「 吉川先生の話が済んだら、病理学教室の山下先生の所に行ってください 」
と言う。
( 吉川先生? 今日の私の用件を知っている )
松田は、節子の戸惑いに気がつかないようである。
「 じゃあ、山下先生のところで…… 」
松田は軽く頭を下げて文教会館の中へ入っていった。
( 久し振りに出会ったというのに、一方的に、一体なんでしょう! )
節子は、いささか納得できない思いを抱えながら
助産婦学校ヘと向かっていった。
吉川師は、節子が助産婦学校に在学中以来の恩師である。
卒業後も、あれこれと指導を仰ぐことがあり、関係は長い。
再来年が定年と聞いている。
吉川師は、
「 お忙しいのに時間を割いていただきありがとうございます 」
と丁寧な言葉使いで迎え入れた。
話というのは、東西医科大学看護学部の創設に関することであった。
許認可に時間が掛るので実際の新学部開設は2年先になる。
が既に数年前から学内では動き出しているという。
新しい看護学部は、4年間の履修で看護婦と保健婦の
国家試験の受験資格を獲得できる。
さらに、助産婦免許を取得するには看護学部を卒業後、
別科の大学院1年コースヘと進むことになる。
まもなくその準備委員会が動き出すという。
( 私に何を求めているのだろうか )
「2年後に、新しい看護学部と別科の助産婦コースが発足するまで
現在の助産婦学校の講師を私と一緒に務めていただきたいのです」
条件が付いていた。
講師として働きながら1年で大学卒の資格を取ってほしいという。
節子が卒業した看護学校と助産婦学校は、各種学校扱いで
学歴としては、短大卒でも大学卒でもない。
吉川師の定年までの2年間、共に助産婦学校の教務に従事しながら
新制度の別科、助産婦コースの設立に力を添えて欲しいという要請である。吉川師は、
「 別科、助産婦コースの発足メンバーに多川さんの名前があがっています 」と告げた。
「 どうして私でしょう 」
晴れがましい要請であるが、節子にとって唐突なことである。
優秀な卒業生は他にたくさんいる。
「ムベをご存じ?」
と吉川先生の話はあらぬ方向へ向いた。
節子は面食らった。全く知らない。
吉川師は、「 野木瓜 」と書いた紙切れを節子に差し出した。
節子の疑問を想定して用意していたと思しい。
吉川師は遠くを見るような眼差しをして、
「 私は、助産婦になってすぐ
箱入りのムベの実をいただいたことがあります。
当時は、附属病院産婦人科の新米助産婦でした」
とムベについて語り始めた。
それは、真綿に包まれた薄紫の実で
手に取るとフンワリと柔らかいものであった。
プレゼントの主は、当時、新進気鋭の韮山一郎医師であった。
ムベは彼が里帰りした折の土産であった。
( 吉川先生は、その頃から韮山医師と親しかったのか...... )
節子の思いとは別に吉川師の話は進んでいく。
「 多川さん、あなたはムベに囲まれていらっしゃる 」
「 ? 」
わかりにくい表現であるが、どうも何人かの推薦者がいる、ということらしいと節子は推察した。
( 船山院長もその一人だろうか。
松田吾郎先生も推薦してくれているのだろうが )
船山院長とは、看護学校で産婦人科学の講義を受けて以来だから
仕事上の付き合いは一番長い。
このところ、どっぷり、彼のクリニックの仕事に浸っている。
「 お返事は、船山院長に了解をいただいてから、いたします 」
「 順番としてはそうでしょうね」
吉川師は軽く肯いて、用意の資料をテーブルの上に広げた。
岐阜中央学院大学の通信教育学部の資料が用意されていた。
東西医科大学付属看護学校と助産婦学校4年間の修学がそこでは生きる。
在学時の成績証明を提出し、通信教育学部の編入試験を受ける。
合格すると入学が許可される。
入学後、所定の履修課題の論文を提出する。
合格点を取ると、夏期と春期に各3日間
岐阜中央学院大学のキャンパスに出向く。担当教授の授業に出席する。
そのあと終了試験を受ける。
それに合格すれば1年間の履修で大学卒業の資格が得られる。
履修科目は多い。
「 助産婦学校への就任は来年の1月からお願いします 」
吉川師は淡々と説明を続けた。
来年の4月から、助産婦学校の講師をしながら
通信教育学部の勉強をしていくことになる。
( 何かが大きく変ろうとしている )
節子は、資料を入れた紙袋を下げて、病理学教室の建物へと向かった。
山下先生は、以前と変わらない優しい眼差しで節子を出迎えた。
医学部の学生の時は病弱で、留年も覚悟したという話であった。
色白の顔はその名残か透きとおるようで、微かに憂いを湛えている。
節子に笑顔を向けて、
「 多川さん、久し振り。松田先生も、すぐおいでになります 」
と言って、手ずからお茶の用意にかかる。
「 助産婦学校は時間が掛りませんでしたね 」
( 山下先生は、私の行き先を承知している )
どのような用件だったかは訊いてこない。
看護学校在学中、山下先生から1年間、病理学の講義を受けた。
節子が助産婦学校に在学中も時折、学内で出会うことがあった。
山下先生は、看護学校の級友たちの憧れの講師であった。
節子は、特に個人的な交流はなかったが、数人で語らい
用事を拵えては病理学教室に押しかけたことがある。
山下先生は、組織標本をいくつもセットして顕微鏡をのぞかせてくれた。
松田吾郎が急ぎ足で到着した。
「 お待たせしました 」
松田吾郎が挨拶して椅子に座った。
山下先生がそれを待っていたかのように節子の方に向き直った。
そして節子に向かって、丁寧に頭を下げた。
( ??? )
節子が戸惑っていると、
「 姉の三回忌の法要が終わりました 」
何かと思えば亡くなった松田の妻のことである。
「 姉の供養は韮山家の方で行うことになりました 」
既に韮山家の墓に納骨も済ませたという。
「 多川さんにお願いがあります 」
山下先生は、姿勢を正して節子と向かい合った。
「 ハイ 」
( 何でしょう...... )
「 多川さん、松田先生の所へ行ってください 」
山下先生は言い切った。
「 ??? 」
節子はうろたえた。
( 何ということでしょう。とんでもない )
思わず松田を見ると、彼は、緊張した表情である。
山下先生が目顔で松田に何やら促している。
そこで今度は、松田が居ずまいを正して節子と向かい合った。
松田は、深々と頭を下げた。
「 多川さん、結婚してください 」
松田の口から大切な言葉が放たれた。
( ムムムム...... )
節子は呻きながら、山下先生と松田を交互に見るばかり。
松田が立ち上がった。
「 多川さん、お願いします 」
松田は、深く深く頭を下げた。
( リリリリリ...... )
山下先生も、立ち上がり
「 多川さん、お願いします ]
「 デデデデ…… 」
山下先生は、両の手を合わせている。
「 スススス…… 」
節子は狼狽る、ばかりであった。
どれほどの時間が過ぎたのだろう。
節子は、夢か現か、わからないまま、松田の言葉を聞いいた。
「 僕と一緒に歩んでほしい 」
松田は熱心に迫ってきた。
いつの間にか部屋から山下先生の姿が消えていた。
松田は以前から、九龍会病院の産婦人科部長のポストの退任を
申し出ていた。年内に辞任が確定するという。
そして来年1月から、東西医科大学産婦人科教室の助教授に着任するという。
新しい教授が、松田の論文の数々に注目し
九龍会病院での産婦人科医としての実績と実力を評価した。
節子は全く知らなかったが
松田は、妻となった韮山教授の娘の無事の出産のために
国内外の文献を検索し、伝手をたずねて
高名な産婦人科医の元に教えを乞いに出向いた。
情報はすべて韮山教授に提供され、役立てられていた。
妻を救うことは出来なかったが
今後とも高齢出産、妊娠中毒症などの分野に取り組んでいきたい。
松田の医師としての長期展望が語られた。
節子が船山産婦人科クリニックで妊産婦と格闘している間に
松田は、医師として格段の成長を遂げていた。
「 多川さんと共に歩んでいきたい 」
松田は力強く迫った。
( あなたはムベに囲まれている。ムベはそれぞれ、花を咲かせ
実をつけながらあなたを見守っている )
吉川師の言葉が蘇ってくる。
( どうすればいいの )
松田吾郎は、韮山教授のひとり娘を妻にした経緯について
黙して語らずであった。
山下先生は、今後、姉の供養については韮山家ですると
それ以上の詳しいことは終ぞ語られることはなかった。
ボンヤリした疑問だけが残った。
節子は、松田の繰り出す言葉に圧倒された。
( この方は、いつの間にか能弁になっている )
節子の身体じゅうを、警鐘の音がひびきわたる。
( 軽々に、返事はできない )
2年前の別離の衝撃は大きかった。
次回 「 春嵐 #8 」
第7章 はるか遠くにムベの花 ②
「吉川師は語る、長い長い物語 」 へ続く……
著:田嶋 静 Tajima Shizuka
【オリジナル小説】「春嵐 #7」 はるか遠くにムベの花 ① 「再会」 【終わり】
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