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(小説)#4 「Re, Life 〜青大将の空の旅」

第1章 とみ爺の家の青大将 ③

とみ爺逝く

「チチ キトク」の電報を手にした時、モミ母さんは慌てふためいたネ。
稔坊、クマ婆、そしてとみ爺、と続く不幸。
母親の葬儀には行くことができなかったが
父親の死はどうしても見届けたい、とモミ母さんは思ったよ。
当時の電報の危篤は、亡くなったことを意味するネ。

 電報を受け取ったのは、梅雨明けの朝のことである。
モミ母さんはすぐに実家へ出立することにした。
妹のキン(キン叔母)も一緒に行くことになった。
キン叔母は、風雲急を告げる大陸から帰国して、長崎市の小さな船会社で働いていた。バタバタと支度をして同行することになったんだ。

船便は翌朝までない。椿の里までかちになる。
長崎市内の稲佐の自宅を出てバスに乗る。終点からは滑石峠ヘ向かう坂道になる。
滑石峠を登り上がり、凸兀 とつこつとした山道を越えていく。
7里の道である。
 モミ母さんは、もうすぐ3歳になる美千惠ちゃんを背負った。手には大きな風呂敷包み。キン叔母も大きな風呂敷を背負い、手にも風呂敷包み。どうも葬式用の式服一式を持ち出したようだ。志津ちゃんも背中に小さな風呂敷包みを背負わされていたネ。志津ちゃんは歩いたよ。5歳になったところだよ。頑張って歩いたね。
 モミ母さん29歳、キン叔母さん20歳。若いね。2人とも親の死に目に会いたい一心で、後先考えないで飛び出したというところさ。
2人の幼子を連れて、7里の道を行くのに、水筒の用意もせず、握り飯一つも持ってなかったんだよ。慌てていたんだろうが、あきれるね。

 滑石峠を下って少し進むと、山の底に、小川が流れている。一同、そこに入って火照った足を冷やした。志津ちゃんたちは川の水を両の手ですくって飲んだよ。
そして、近くの農家を訪ね、玄関先に積んであったフンネ芋(苗を取った後のスカスカの薩摩芋)を分けて貰った。川の水で洗い、生の芋をかじったネ。
志津ちゃんもかじってしがんだ。筋張った芋を噛んでいると甘い汁が出てくる。
 美千惠ちゃんにはモミ母さんが口移しに甘い汁を与えたよ。

 長崎市内の家を出てから7時間余り。
陽の傾く頃、一行はやっとのことで、とみ爺の家に辿り着いた。
山田冨五郎は亡くなっていた。
 
 とみ爺の家は空き家になった。



(    #5   第1章  ④ へ続く。お楽しみに。)


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