僕が走ったキッカケ
今年もあと少しで終わろうとしてる。
シーズン的にはまだ3ヶ月程あるけど12月も末になってくると振り返ってしまいますよね。
今年はホントいい事があまりない1年だった。(いつか書きます)
まともに走れたのは1〜2ヶ月くらいだったんじゃないかな。
来年は良くはならなくても普通くらいには戻せたらなと思います。
さて、今回は私が走るキッカケになったお話をさせていただこうと思います。
先生との出会い
私は小学生の頃から
「勉強」「スポーツ」「生活態度」
この3つどれも下の中でオマケにチビだった。
のび太君とカツオを合体させたようなヤツだった。
宿題なんかやった事なく授業中も教科書に落書きしたり落ち着きが無いと怒られて毎日日没後まで遊び回っては親に怒られる日々。。。
当然足も速くないから運動会でリレーの選手に選ばれる事もなかった。
5年生に上がる時クラス替えと同時に担任の先生も変わる。
担任は隣の学校から赴任する先生と聞き僕らは心躍らせてた かな。
その先生はパッと見でヒョロっと背が高くちょっとヒゲが濃いメガネをかけた先生。
マジメ!ってイメージはなく、ちょっぴりひょうきんな先生。 確か年は当時27か28歳で新婚だったと思う。
しかし、すごい金八先生みたいなタイプで1人1人と向き合って真剣に怒ったり(ちょっとしたイジメとかあったらみんなの前で怒ってみんなの前で叩いたりするけど)心配してくれる先生だった。
そう、この先生こそマラソン先生だ。
市内のマラソンクラブに所属しててマラソン大会がある度に先生のTシャツに寄せ書きなんかしたりしてたし、県内一周駅伝で地元を通る日はみんなで応援行ったり毎年冬にある市内のマラソン大会は自分達も走るけど横断幕作ってたり、クラス行事で1人100mずつ走り42.195kmで日本記録に挑戦しようとか体育では月イチで1000mタイムトライアルしたりする先生だった。
市内一周マラソンプリント
そんな先生が冬に一枚のプリントを作って配った。
それは自分達が住んでる街の地図の周りにマス目がついてて校庭を1周か10周か忘れたが走った周回の分マスを塗り潰していくってやつ。
コレを完成させたらほぼ1周になるとか言ってたような気もするが今考えるとホントか?って思う。笑
朝、授業が始まる前でもいいし、昼休みでも放課後でも良い。 特にいつやりなさいとかは無かった。 なので休日にやっても良かったと思う。
やるやついないけど。笑
最初はめんどくせぇなー!と思って適当にやればいいか。って考えだった。
よし!俺が1番だ。
校庭を5周、10週、チンタラ走ってたが思ったのは
そんなに苦痛じゃない。
月1の1000m走とかマラソン大会は競争みたいになるからキツいなーって思ってたけどコレは走ってる時誰とも競争しないし自分のペースで走るからどちらかと言えば楽しかった。
自然とプリントのマスはどんどん埋まり私は他の「勉強できる」「スポーツできる」「生活態度も良く人気もある」どんなに頑張っても勝つものなんて無いだろうなと思う人達を置き去りにしていた。
お調子者の私はこうなると調子に乗りまくり止まらなくなる。
人より少し速く学校へ行きひたすら走る(宿題はしない。笑) 早く1枚終わらせたいからペースも自然と上がってたと思う。
そして
1番目にマラソンプリントを仕上げた。
生まれてはじめて1番になった。
周りは「えー!うそー!!」だっただろう。
そりゃそうだろうよ、何をやってもクラスで下から数えた方が早いヤツなんだもん。
めっちゃ気持ち良かったのを今でも忘れない。
走るの楽しいかも。
と言っても別に足が速くなった訳ではない。
1000mで1番にはなれない。 いいとこ5番くらいかな。
でも毎日ひたすら走った。 2枚目になってからも走る事が減る訳でもなく勢いに乗ってるし逆転はされたくない。
途中から朝6時前に学校へ行き今日は100周走りたいって日も出てきた。
1周何メートルあるか忘れたが結構大きい校庭だったので150m〜200m はあったかな。
なので100周だと15km〜20km それ考えると小学生で朝からそんな距離走れる訳ないので多分数え間違いかもだけど少なくても10km弱は走ってたかも。
日の出前に学校へ行きランドセルを朝礼台に投げてがむしゃらにひたすら走る日々。
もう走る事が生活の一部になっていた。
やらされてやるんじゃなく自分からやりたくて。
なぜか?
脚が速くなりたいってはあまり思ってなかったかな。 速い人達には勝てないって思ってたし。
ただこのイベントを1番で終わらせたい。
それだけだった。
そして私は3枚のプリントを仕上げる事に。
もちろんNo.1で。
もういい気分だったね。 気持ち良かったし。
そして走るの楽しいって思い始めた。
いっぱい走れても速さでは1番になれない
いっぱい走るのは1番で終わったがやっぱり月1恒例の1000mで1番にはなれなかった。
最後は2番目まで行ったが1番速かった彼の背中は遠かったし冬場の市内ロードレース大会の3kmでも背中どころか姿すら見れない場所にいた。
悔しかったがこの出来事をキッカケに中学生になったら陸上部に入ろうと決めたのです。
5、6年生時の担任、マラソン先生に会ってなかったら私は今ただの飲んだくれおじさんだったに違いない。
先生ありがとう。
次は中学生編です。
ちなみに先生は2019年の時は走ってると聞き、3時間30分くらいだったみたいです。
3月に帰省ついでにマラソン走る予定なのでチャンスがあれば会って(高校生まではちょいちょい会ってたけど)今も走ってる事のお礼でも言えたらなと思ってます。
おしまい
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