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弱小と言われ続けた1年(高校2年)
2年新学期になり新しい監督がやってきた。
歳は30前で背が高くてジャージしか似合わないようなスポーツ選手の出立ち。
と言うよりスポーツ選手。
見た目もスポーツ選手なら車もスポーツカーだった。
関東の大学出身で短距離の選手。大学時代はインカレなど出場しており教師になってからも前任の学校までは現役の選手として活躍してたそうな。
最初の方はあまり記憶が無いけどまぁ、悪く言えば見下した感じがありましたね。
とは言え、専門は短距離。長距離なんてそんな知らんだろ。 サッカーの監督がラグビー教えるようなもんだろ!アハハハハ!!
って思ってた。
2年になると当然後輩が入ってくる。
私は1人の後輩と仲良くなり、彼は帰る方向も一緒だったのもあるし監督がどんな人か興味があったので練習に参加するようになっていた。
なんか気にくわねぇ
短距離専門だったせいか当然なのか練習の面倒は短距離寄りで長距離は副顧問やマネージャーに投げてた感じで特にあーしろこーしろってのは無い。 内容もそんな変わらず変わった事と言えば本練習終わりに300mを3本〜5本。コレが1番嫌だった。
しかし手を抜こうが短距離とかの方ばかり見てるので特になんか言われる訳でもない。
短距離がグラウンドの端っこにデカいシートを広げストレッチや補強をやってる側をゼーハーゼーハーしながら休憩入るとシートの上ではピクニックでもやってんの? ってくらいキャーキャー賑やかなの。
そんな中よく耳にしたのが
「そんなんだから弱小なんだよ」
「オマエ達はまだまだ3流だ」
分かっているけどなんか気に食わなかった。
1人同じ学年で三段跳びで上位に入るヤツいてソイツにはちょっと見る目が違ったが、でも
「あー、まーだ2流だなー」とか言ってた。
何を基準に言ってんのか分からんけどこの学校でアンタの理想を急にぶつけられてもねぇ。
まー、言われてもほとんどの人には響いてなかったと思う。 だって元々2流、3流で学力は5流だから理解できてなかったんじゃないのかな?笑
サボり方が分からない
6月の高校総体、私は5000mを走る事になり当然の予選落ち。 タイムも覚えてない。笑
恐らく16分30とか40とかその辺。
特に反省する事も無く3流は3流らしく終わったら応援とかせずテキトーに時間潰して帰りにチームメイトとカラオケボックスへ大会期間3日間寄り道した。笑
ここで短距離の3年生が引退、唯一の長距離の3年も1人になってしまうからなのか同時に引退。
キャプテンも2年になる。 当然エースで4番が3年の最後までキャプテンになる事になる。
別にそんなのはどうでも良かったが練習に行くのが疲れてきた。 と言うより飽きてきた。笑
しかし、休めないのである。
今までの仮病が通じない。 直接言えと言われた。
コレはヤバい。 このままでは陸上選手になってしまう。
学校終わって練習して夜9時くらいに帰宅し風呂入って疲れて寝る→起きる→学校行く→繰り返し♾
サボってた日はクラスの友達の家か地元の友達が集まってる所へ行きガス抜きしてたがそれができない。。。
こうなると手は1つ
学校をずる休みするしかない。
3流だけど休み方は1流。
答えは簡単だった。
進歩したようでしてない3流
夏休みは夕方から焼肉屋でバイトやってたので部活なんか行ってたら仕事が身に入りづらい。
生ビールの注ぎ方もこの店で覚えたし、焼肉の鉄板の洗い方も覚えたし、冷凍室で並ぶ肉の塊りも初めて見た。
親の知り合いで金欲しいならおいでよ的な感じだから気楽っちゃ気楽。 店の掃除してみんな(肉屋の家族)と晩飯食って客が来るまで座敷でTV鑑賞。 タバコは客がいなけりゃカウンター下か裏で隠れて吸えばOK
こんな3流の夏休み、練習なんてそんな出来るわけが無い。
確かなんか上手く理由つけて半分くらいしか行かなかったような気がする。
2学期になり長距離さん出番ですよー!って監督が向かってくる。 そう、あと2ヶ月で駅伝。
まぁ、練習は見てくれるようになるが特に厳しい事は何も言われる事はない。
やってる風にやってればそれなりに見てくれる。
もう私はどう頑張っても1番目、2番目の座は奪えないのでメンバーに入ればいいや。と1年の時と同じ。
駅伝も当日に付き添いが運良く後輩の悪い子。私達は中継所まで送ってもらい堤防乗り越えテトラポットに隠れてアップ前にエネルギー補給(タバコ)した。笑
4区、確か1人抜いて区間8番くらい。
チームも8位で昨年より良かったが特に褒められる事もなく、反省するような言葉も無く3流らしいシーズンを終えた。
まぁ、前にも書いたが5位以降はどんぐりの背比べなんでね。
こんなもんだよと。
支配から卒業したい!
冬休みになりまたバイト。 ハッキリ言って練習行ってないし冬休み練習あった?ってくらい。
正直もうやる気なかった。 毎日友達と遊んでた方が楽しい。
冬休み前から学校をサボる事も増えて友達と遊んでた。
朝いってきますと家を出て駅で友達と合流しいつも集まってスケボーやってる広場?へ行く。
何をする訳でもなくボケーっと1日過ごし夜遅く帰宅。
親は当然学校へ行ってると思ってる。
ある日、一緒によくサボってた友達がタバコくわえながら
「もう学校辞めて働こうかなー」
私も同じ事を思っていた。
「そーだね。なんか福岡とか行きたいね」
私もタバコくわえながら答えた。
寮付きみたいな仕事だったら大丈夫でしょ?みたいな会話を弾ませ頭の中は学校辞めるという所を飛ばしてクソ田舎を飛び出す事ばかり考えていた。
もちろん学校も行ってない、最初はちゃんと電話してたが1週間も経てばそんなのどうでもよくなり朝家は出るが友達と合流し、時には上着脱いでパチンコ行ったりしてた。笑
そんなある日、いつものように昼間公園でグダグダしてたら背後に人の気配、友達は固まってる。
後ろを見たら母が怒りと悲しみが合わさった顔して立っていた。
「アンタ何してんの?」
私は答えられなかった。 この歳になってもまだ母の怖さはあったからだ。
小学校から1人で私と顔を合わせるとケンカばかりしてた仲の悪い姉を育ててきたんだからナデナデするような優しさなんて持ち合わせてない。
私は強制的に即刻帰宅を告げられ自転車をゆっくり走らせ時間を稼ぎながら帰った。
家に帰り一旦時間稼ぎで部屋に行こうとしたが阻止され居間へ。 さすが読まれてる。
最近学校へ行って無い事はうすうす分かってたみたい。
で、どうするのか?と聞かれ思い切って
「学校辞める」と告げた。
出て行け!と言われれば出て行く覚悟も出来てた。
行く場所なんてないけど。笑
すると母から
「イジメられてるの?」
って意外な事言われた。
これにはビックリ拍子抜けしてしまった。
いや、違う。ただつまんないから行きたくない。と言った。
母の目からは怒りを通り越して悲しみと残念な涙が出ていた。
長い話し合いの結果、お願いだから高校だけは出てください。ってなった。
もしイジメにあってたと言えばどうしたんだろ?
友達とケンカして怪我しても
「あー情けない」「あー恥ずかしい」って笑われてたのに。
この時初めて母の悲しい涙を見た。
ちなみに一緒に辞める予定だった友達も家でしこたま怒られて辞めなかった。笑
退部させてください!!
学校は行くようになったが部活には行かなかった。
もう部活は辞めると母には言ってたので監督やチームメイトにも何も言わず当たり前のように帰ってた。
と言うより、もう学校も行ってなかったし辞めてる気だったし監督も(先生)もそう思ってると捉えてた。
そんなある日、いつものように友達と談笑しながら駅で一服しようなんて帰ってたら背後から白いスポーツカーが来て私の横でピタッと止まり窓が開いた。
監督だ。
「乗れ」
たったこの一言。
私は嫌な予感がした。 嫌だって逃げたかったが逃げても翌日学校で確実に捕まる。
もう辞めるしハッキリさせようと車に乗った。
車の中で「何で帰ってんだ?」静かな車内に静かな声が響く。
「歯医者」です
辞めるくせに何で言い訳みたいな事言うんだろうね?笑
なんの返答も無く車は学校へ向かった。
ただ空気は一気に重く身の危険を感じた。
学校へ着き私は下駄箱へ向かい教師へ向かう、、、事は無く駐車場向かいの体育館の2階にある「体育教官室」へ行く螺旋階段(外階段)を先生(監督)と同じリズムで カン カン カン って上って少し重い扉を監督(先生)がレストランのボーイみたいに開けて中へ迎え入れてくれた。
もう覚悟は決まってたし辞める決意は。。。
先生(監督)は入ったら扉の鍵を閉めた。
色々考える時間はなかった。
気がついたら私は投げられてた。笑
背負い投げなのか足払いなのかはわからない。私は倒れていた。
凄い勢いで首根っこ掴まれ起こされロッカーに叩きつけられた。
「テメェ!舐めてんのか!?」
何と言ったか覚えてないがこんな感じ。
当然なんも言える訳が無い。
そこからなんか色々言われた。
監督「どーすんだ!?」
私「辞めます」
火に油を注ぐと言うより熱々の油に水を注ぐ。
私は頭掴まれ「はぁ?なんつったぁ!?」ってロッカーにガンガン頭叩きつけられた。
もう今だと体罰とか暴力じゃなく傷害。笑
で、「どーするんだ!?」って言われ
「や、やります」
流石に辞めるとは言えなかった。
そのまま私はグラウンド端のシートへ汚れた制服のまま向かいストレッチするように言われストレッチした。
その時監督が憎たらしくもあったが、クソ!だったらやってやるよ!って気持ちに変わった。
後々を考えると先生の作戦勝ちだった。
私は勝負に負けたんだ。
底辺の勝利
何がどうなってかその日から凄く練習した。
もう弱小とか2流とか3流って口にさせないと。
タバコも控えて凄い練習した。
3年に上がる前に1つエントリーしてたロードレース(10km)ちょっとローカルな大会だが全体で4位、前3人が大学生だから高校生で優勝だった。33'20くらい。
チームからは自分しか出てなかったし強豪校もいなかったし棚ぼたなんだが勝てた事に凄く嬉しかったのを覚えてるし勝てた事で3流じゃねーぞ!ってのを監督に持って帰れるってさ。
大会の賞状と佐賀新聞社の賞状のトロフィーと盾を持ってさ。
当然ローカル新聞には翌日名前が載るし初めての事でもう私は1流選手気分だった。笑
しかし監督からは特になんも言われなかった。
10kmもギリ34分台だったのに。
よーし頑張れよ。 くらいだった。
もうちょっと褒めてよと思った。
2年生はターニングポイントみたいになりましたが、ちょっと自信持って3年へ。
次回
勝負の1500m、覚悟の駅伝(3年生)
長くなりましたがここまで読んでいただきありがとうございました。
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グッバイ!!
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