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(8)あなたの知らない世界 、を語ってみた。(2023.12改) 

プルシアンブルー社のラジオ放送 「Voice of Asia Vision」が始まると、新たな変化に注目が集まるようになる。最初は、ニュースと道路交通情報だった。音楽番組の合間に5分間ほど流れるニュースと交通情報は、ラジオ視聴者の周辺地域の情報を伝える。周辺地域の情報が無ければ、最寄りの都市の情報が流れる。

バンコク、ハノイ、クアラルンプール等の首都に暮らす人々、ドライバー、旅行者であれば、逐次首都の情報が伝えられる。それもアナウンサーの性別・声を視聴者の好みに応じて好きなように変更できる。
例えば、バンコクのルンピニ公園でフェスティバルが開催されていると、フェスティバルに訪れている一般客の所有するスマホが会場の音を録音し、スマホで撮影している人がいれば、 スマホのカメラが番組制作AIの目に代わる。そしてAIがフェスティバルの模様を伝えるレポーターに転ずる。

「大勢の人で賑わい盛り上がっています。時間帯が昼だからでしょうか、ずらりと並んだ出店の前には人でごった返しています」と、会場の音声を加え、日本の富山にあるバンコク向けのAIがレポートし始める。

道路情報は現地の車両のドラレコの画像をリアルタイムで収集しているので、現時点での渋滞状況を「その場に居るように伝える」。
AIはドラマやアニメの様に複数の人物を纏めて演じられるので、キャスターにもなれば、ニュース解説員も難なくこなし、レポーターまでこなしてしまう。これを今までのラジオ放送でやろうとすると、それぞれ人員を配置して、番組を統括する者が指示して音声を切り替えたり、スタジオのアナウンサーに話す指示を出したりするのだが、プルシアンブルー社のAIは全く人が介在せずに番組が進行してゆく。ラジオのリスナーは違和感なく聞いている状況となる。
また、特筆すべきは「Voice of Asia Vision」の番組ではCMが流れないので、音楽を聞いている人には煩わしさが無いのが特徴となっている。

映像が加わるテレビ番組の方では、少々手段が変わってくる。
例えば、先程の「バンコクのフェスティバルの動画が欲しい」とAIが前もって判断したとすると、バンコク在住の地元の情報を発信しているY○uTuberに、前もって出演と撮影の打診をする。
Y○uTuberのホームページにメールで要請する。出演と撮影の了解が得られると、撮影日時の確認と、事前に質問内容を連絡しておく。Y○uTuberとAIがフェスティバル会場の雰囲気を語り合う様を収録する。収録した動画をAIが編集してニュース番組やバラエティ番組の中で放映する。
Y○uTuberの口座に謝礼金が振り込まれる。

その日のニュース番組で交通事故の情報を伝える場合は、ドラレコの映像を編集して放映する。視聴者からの投稿と銘打つ必要はない。

一部の国を除く、ドラレコ、スマホ、タブレットから齎される映像を駆使して、ニュースやバラエティ番組を放映してゆく。市内にプルシアンブルー製のモバイルやナビ・ドラレコが増えるたびに情報が増え、レポーター・カメラマンにはY○uTuberに取材代行を委託して最新の情報を伝える。「アニメやドラマだけではない、情報発信系のニュース等もライブ感がある!」と言われる様になる。

旅行を題材としている​Y○uTuberから動画提供をして貰い、旅行番組まで放映し始めると、もはやテレビ局の番組を侵食し始める事態となり、警戒対象になってゆく。
一度関係が構築出来たY○uTuberから見ると、「AsiaVison」が新たな収益元となったので、積極的に動画を投稿してゆくようになる。AIのお眼鏡に叶わなければ、声すら掛からなくなってしまうのを恐れたのかもしれない。

その頃、日本の総務省の特別顧問に阪本砂羽教授が就任した。阪本氏はメディア関係論の論客として度々テレビや新聞でコメントしているので、顔は知られていた。
阪本が纏っている衣装も、前田外務大臣 越山厚労大臣、そして金森富山県知事が着用しているスーツは「pb」「Br○oksBrothers」で、同じ服が重ならないように支給されていた。
「知事が着てるスーツの方がいい!」といった小さなゴタゴタは日常茶飯事だったが、「衣服代は掛からないのだから我慢しなさい!」と金森が特権を行使していたと言う。

「社会党熟女カルテット」と後に言われる4人の衣服と、Asia VisionのドラマでAI俳優陣が着用し、ニュース番組のAIキャスター、AI論説委員、AI気象予報士、AIリポーターの服がカッコイイと話題になり「pb」「BrooksBrothers」の売上が急伸してゆく。

今まで「Made in Japan」の衣服は岡山県内のアパレル製造会社に委託してきたが、新たに栃木県内、青森県内のアパレル製造会社に製造委託をするようになった。

1990年に約15兆円だった国内の衣料品市場は、2010年に約10兆円まで縮小してしまった。それに対して、国内生産分と輸入生産分を合わせた衣料品の国内供給量は90年の20億点から、2010年の40億点まで増加している。つまり、衣料品の商品単価が約3分の1に下がっている。これは衣料品の海外生産シフトが進んだのが要因で、ファストブランドが急成長したのも記憶に新しい。ファストブランドの成功の裏で、国内のアパレル産業は激変の波に晒されている。1990年からの30年間で、事業者数は約4分の1まで減少した。

プルシアンブルー社はこの流れに共に抗おうと、栃木と青森のアパレル産業各位に声を掛けた。粗製乱造の時代に楔を打ち、日本製のクオリティの高さで勝負しようと説いた。事業として傾いたままでは後を継ぐ後継者も育たない。何れ経営者の高齢化も進み、更なる廃業や経営統合が進み兼ねない。中国投資事業への対策上、ベトナム服飾産業のレベルアップを図りながら、自国の服飾文化が、質の悪い乱造品で覆われる事態は避けねばならない。最下位爆走中とはいえ、曲がりなりにも日本はG7加盟国なのだから。

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「・・ところで、あなたがたが着ている服は何処で手に入るのですか?」
突然首相の話が変わった。「家の者たちから、聞いてきてくれと言われましてね」

「奥様ですか?」
訪加中秘書役の志乃が訊ねると、首相の目が泳いだ。おそらく違うのだろう。

アズリー村長の別宅に宿泊するという首相一行と村人総出の大BBQ大会を終えて、村長宅の暖炉のある部屋でカナディアンウィスキーを片手に話を愉しんでいた。10月下旬の低緯度圏の朝晩は冷え込む。シーズン到来を歓迎するかのように暖炉の火は燃えている。

「北米での事業展開は暫く先になると思います。優れた縫製技術がある事業社を探すなり、育てないとなりませんので。そこで、今回のお話のささやかな御礼としてお送り致しますので、プルシアンブルー社のサイトで服を選んでいただき、ご家族のサイズ情報を合わせて、こちらのアドレスまで連絡いただけないでしょうか?」

名刺を首相に渡す。3年後の夏、首相は夫人と離婚する。離婚のニュースが流れて、衣服を配送したいた相手が元ファーストレディではないと知る。見た目で寸法が全然違ったからだ。

「おっ、その名刺入れはエイ皮ではありませんか?見事なスティングレーだ」

「はい、アジアでは第3の目とも呼ばれています。尤も、私もスティングレーの話を知ったのは、数日前なのですが」

「モリさんは哺乳類が第3の目を持つと思われますか?」

「海洋学者の母はシャチやイルカには間違いなくあるだろうと言っています。毎年のように世界の何処かの浜辺で投身自殺しているシャチやイルカのメッセージを解析できたなら、といつも悔やんでいますね」

「では、陸の哺乳類ではどうでしょう?」

「ゼロではないかもしれません。タイタニック号やツェッペリン号に乗るのを事前に断念した人々がいます。単に腹が痛くなっただけなのかもしれませんけどね。
それでも何かしらの幸運が作用して、生きながら得たのは事実です。偶然だろうが、神の啓示を受けたにせよ、死から奇跡的に逃れた。
戦地から生還した祖父の兄弟達の口癖でもあるのです。何者かは別として、己れが生存している事実に感謝し続けねばならない、と」

「興味深いお話です。お祖父様となると二次大戦ですか?」
首相と、何故か志乃が椅子を座り直して聞く体制を整えた。

「ええ。母方の祖父は男子3兄弟の長男でした。家は農家だったのですが、盧溝橋事件の後の日中戦争で徴兵されて中国へ渡りました。連合国が参戦して次男と三男も徴兵されて東南アジアに派遣されました。ですので3兄弟は異なる戦地にいたのですが、銃弾が飛び交っている戦闘中に兄弟の叱咤激励を何度も耳にしたというのです。東南アジアと中国南部の間には時差がありません。通常であればあまり歓迎されない話なのですが、夢の中に何度も兄弟が現れたそうです。「兄は弟は、死んでしまった。だから2人の霊魂が見守ってくれているのだ」3人はそれぞれそう思い込んでいたようです」

「3人とも生還されたのですね?」

「はい。敗戦の約1年後になって長男が帰ってきた際は自分の名前が墓に掘られていました。日本の墓石は家ごとに1つあって、同じ墓に家族の骨を納骨するのです。それで墓石に名を刻むのです。亡くなった日付と共に」

「なるほど、ご家族で同じ墓へ・・。お祖父様の帰国が遅れた理由はなんです?まさかシベリアに連れていかれたのですか?」

「いえ。最近になって防衛省の方に教えて頂いたのですが祖父はスナイパーでした。大勢の共産軍、蒋介石軍の幹部・将校を殺めたので、中国軍のお尋ね者だったのです。従って敗戦と同時に日本陸軍は死亡したと記録を改ざんし、祖父を逃亡させたのです。捕らえられれば死刑は免れられませんから」

「スナイパー・・あなたは、お爺さんから学ばれた?」

「仰る通りです。祖父の狩猟を見て覚えました。彼女には同じような才覚を感じます。実に優れた観察眼を持っていると思います・・」
志乃を見ながら言うと、首相が頷く。映像を見て、2人の連携が以心伝心だ、シンクロしていると騒いでいたので、ここで軽く触れておく。後に玉手箱を用意してあるので、2人の狩猟については問われる事はないだろう。

「戦前の日本では長男が家を継ぐのが当然とされていました。その長兄が夢に出て叱咤激励し、記録上は病死したことになっていて、実際、祖父は帰ってこない。
東南アジアの戦地では、「家を守るために絶対に帰らねばならない」と2人の弟は必死になります。美しい兄の妻を娶るという邪な思いもプラスに作用したのかもしれません。

ある日、フィリピンの島から撤退する前の晩に、嫌な夢を叔父は見たそうです。兄が出てきて手をX状に交錯させて、ヤメロと言い続ける夢だったそうです。その夢がどうしても引っ掛かって、叔父はマラリアに感染したかのように振る舞い、残留部隊に留まりました。

乗る予定だった輸送船はアメリカの潜水艦に沈められました。フィリピン沖では数千の日本の船が沈んでいます。戦艦は僅かで兵士や食料、燃料を運ぶ船が殆どでした。

夢に出たという祖父に、そんな記憶があるはずもありません。兄弟達は若い頃の父親か、祖先ではないかという結論に達したそうです」

「なるほど・・凄いお話です・・モリさんご自身は不思議な体験をされた事は?」

「1度だけですが、あります。
日本の北部の山に登っていた時です。鳥海山という日本の東北部にある山は、その日初めて登る山でした。真夏でしたので地上の気温は30度を越えています。海に面している山なので、降雨量も積雪量も多い気候変動の多い山としても知られています」

「海沿いだけに風も強そうだ。標高を上げたら、危険なのでは?」
登山の経験があるのだろうか?カナディアンロッキーがある国だ、3000m程度の国の奴が偉そうな事は言えない。

「そうですね。私も風に飛ばされないように座り込んで、風が落ち着くのを待っていました。熱せられた海水が次々と蒸発して、山の斜面を登って行くと山一帯に気流の乱れが生じて霧となり、頂上付近では横殴りの風と雨の弾丸になります。痛くてフードを被って背中側を当てなければ耐えられませんでした。視界不良と暴風雨で私は登山道から大きく道を間違えてしまいます。標高千メーターあたりで風が漸く無くなるのですが、地図とコンパスを広げて見ても、現在地がよく分からない。道を戻るにしても、暴風雨と濃霧の中です。困ったなと思っていたら、遥か先を歩く人が居る。猟銃を背負っているので「地元の人だ」と思い走りました」

「お爺さんはその時は?」


「はい、お察しの通り他界していました。ただ、後述しますが祖父では無いと確信しているのです。
猟師を追って走っているのですが、いつまで経っても追いつけない。なんて健脚なんだろうと思いながら、延々と追い続けていると別の登山道にひょっこりと出まして、事なきを得ました。麓の駐車場まで降りて来て、安堵しました。
車中で少し休み、海岸に面した温泉に入ってサッパリしようと車のエンジンを点けました。
最近の車はギアをバックに入れるとカーナビのモニター画面に後方の映像が映りますよね?とは言っても20年前の話ですが」

「ええ、その頃のナビは皆バックモニターになっていたと思います」

「その時、座り込んで笑っている老人がモニターに映っていたのです。私は危ないと思って、後方を振り返って見たのですが老人が見えない。モニターにはやはり老人が映っている。車の死角にいるんだろ!と思い込みたかったです。顔は青褪めていたと思います。モニターには映っているのに、後方には誰もいないんですから。
深呼吸して意を決し、ギアをパーキングに戻して、ドアを開けて外に出たんです。やはり誰も居ません・・あの笑顔は今でも目に焼き付いています。全く記憶にないご老体です・・」

首相も側近たちも呆然としたまま凍りついてしまった。隣の志乃は両手で口を覆っている。

暖炉に焼べられた木のパチパチという音だけが、部屋に響いていた。

(つづく)



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