(2) 魔法じゃなくて、手品でもない。 (2023.10改)
町家造りの村井家を出て、1ブロックで市道186号に出る。
タクシーに乗って四条大橋で鴨川を渡り、南座、祇園を過ぎて 八坂神社のT字路東大路通を左折して、乗車して10分と掛からずに京大病院を通過して右折した。
節分時には通り一帯に出店が並ぶ東一条通だと思い出した。突き当たりの石段を上れば、吉田神社の境内だ。精算を済ませて降りると「こちらへ」と志乃が歩き出すので後を付いてゆく。
サチの通う学部は後方だ、と思いながら1本の路地に入ると、大きな邸宅が並んでいた。
志乃は2軒の家の間の細い私道に入ると、生け垣沿いに歩き、表の門構えではない家人が使うのか、小さな山門のベルを押す。小さな音声の後に「志乃です」と応えた。
京都の夏は暑い、タイやベトナムよりも暑く感じる。盆地だから仕方がないのは百も承知なのだが、ジッとしていても辛い。一方で志乃の白い額やこめかみに汗を見出だせない。都人ならではの慣れなのか、DNAのようなものなのだろうか?
引き戸が小さく開いて「ママ?」と小さな声が聞こえた。今まで険しかった志乃の顔が剥がれ落ちて、母親の顔に転じた。志乃の本当の顔を初めて見た瞬間だった。
引き戸が更に開かれる。ご婦人がモリの存在に気付いて慌てて頭を下げる。
「さ、どうぞ中へお入り下さい」
母の手に引かれて歩く6歳になるという女の子が顔だけ後ろを向いて、不思議そうな顔をしてモリを見ているので、微笑んでちょっとした手品を見せると、目を輝かせて笑った。彩乃に似てるなと思って、こちらも笑ってしまった。
家に上がって客間のような部屋に通される。志乃に誘導されて夏仕様の井草ぶとんに座る。
志乃とモリの間に女の子が座る。
「こんにちは、魔法のおじさんだよ。宜しくね」と言うと「まほー?ほんとうなの?」と目を輝かせる。小さい頃のあゆみと同じだ・・志乃が何があったの?と驚いた顔をしている。
襖が開いて先程の婦人と旦那さんと思しき2人が入ってくる。そのまま、お2人に三指をつかれて頭を下げられ、当惑する。
「頭を上げて下さい。困ります・・」
何度かお願いして向かいにお座りいただく。
「志乃さんにお世話になっているモリと申します。母が富山で知事をしておりまして、志乃さんの姉の幸乃さんに副知事を担って頂いている関係で、志乃さんにお手伝いして頂いております。今日は突然お伺いしまして誠に申し訳ありません」
「まほーのおじさんでしょ?」女の子が言うので「あとでね」と言って顔をお二人に向けた。
「今回は誠に残念な形となりました。お二人もショックだったと思いますが、もう一踏ん張り出来るプランを幾つか考えて参りました。
まず、お孫さんを私供がお預かり致します。定期的に京都に伺って、志乃さん母子をこちらに伺うようにしたいと考えております」
「あの、先生は東京の議員さんですよね?お住まいは都内なのでしょうか」
「私の子供たちは私の実家の横浜におります。志乃さんとお孫さんも主に横浜で生活いただきます。 私は議会のある平日は都内におりますが、週末と議会のない日は横浜におります。夏休みや春の連休は母の住まいがある富山に居ます。横浜の夜は暑いので全員で富山に避難しております。
本日は富山から参りました。京都へは祇園と節分、それから葵祭の頃に村井家の皆さんと遊びに来たいと考えております」
「そんなに度々で宜しいのですか、大変お忙しい方ですよね?今度はアメリカへ行かれるとか」
「5日といっても正味3日間です。お2人はその間、姉の幸乃さんの家族と共に富山でお過ごし頂きます。それと、ご主人様にお願いがあるのですが、お時間の方は宜しいでしょうか?」
「はい、時間は大丈夫ですが、何でしょう?」
「御社の阿闍餅と満々月をそれぞれ5千ケース、私共に卸して欲しいのです。
秋以降は1万ケース以上になる計画です。工場生産数が足りないようでしたら、新規工場の建設資金も私共の方でご用意致します」
志乃が驚いている。お二人もだが。
「私は議員が本業ですが、あまり大きな声では言えないのですが、実は様々な事業を手掛けております。富山と東京の一部ではスーパーマーケットを展開しておりまして、年内は鹿児島、岡山、栃木、青森とシンガポールに店舗を駅前に出店して参ります。
これらの店舗の周辺の方々に対しては、無人機による空輸便でスーパーの品々をお届けして参ります。先行して年内中に東京の海側で空輸便を始めます
御社の商品の他には、鹿児島の「かるるかん饅頭」岡山の「きびだんご」日光の「チーズケーキ」青森のリンゴまるごと「アップルパイ」を日本の銘菓、土産物として、スーパーで買い物した品物と一緒に各家庭にお届けして参ります。因みに空輸便の送料は無料です。
それと、もう一つお願いなのですが、スイーツ製造を担当されている職人さんを1週間ほど密着取材させて欲しいのです。それにより御社の職人と同じ技量レベルの職人さんを年内中に育て上げ、来年は富山、金沢、東京、横浜で御社のスイーツを提供する喫茶店を出店したいと考えております。
この暖簾分けに伴うテナント料も勿論お支払いしますし、店舗開店を含めた全ての資金は我々が負担いたします。御社に負担は一切掛けません。そしてこの新店舗を統括し、マネージメントする社長が、志乃さんになります」
志乃も含めて3人が目を閉じようともせずに硬直しているので、ハンカチと10円玉で手品を見せて、女の子を取り敢えず驚かせる。途中から、3人も手品に注目し始めたので、千円札の手品もご覧いただく。
「もっとやって、もっと」と幼児に言われても「仕掛け」も「グッズ」も用意していないのでこれ以上は無理だった。
「あぁ、だめだ魔力が切れてしまった・・すまない、今日はここまでだ・・」と苦しそうに言うと「あしたはだいじょうぶ?」というので「明日は任せてくれ、約束だ・・」と
互いに小指を出して、指切りをした。
幼児のハートは掴めたようだが、3人は微笑んでいたので心境の程は分からなかった。
ーーー
先に邸宅を辞して、吉田神社を経由して哲学の道へ出て、銀閣方面へ一人歩いていた。
夕方に御宅に車で再訪して、幼児の荷物を積んで母子と祇園に戻る。
銀閣の側の店で「箸巻き」を食べる。お好み焼きより上品で、個人的には好きだ。
そこで電話が鳴った、蛍からだった。
「なんで哲学の道を歩いてるの?ダメだったの?」といきなり話し始める。
GPSで追いかけてるのか、と合点する。
「駄目だったとか、失敗したって、蛍に言ったことあったっけ?」
「そう言えば、ないね・・」
「そういう事。安心して下さいって幸乃さんに伝えといて。ゴメン、箸巻きが落ちそうなんだ、切るよ」
「はしまき?」
「幸乃さんに聞いて!じゃあね!」と言って切った。箸巻きは全然大丈夫なのだが、周りに人が居るので相応しい話ではないと判断し、強引に会話を中断した。
「あの、モリさんですよね?」関東北部訛りで声を掛けられる。気がついたらスマホのレンズの群れがこちらを向いていた。
いかん、すっかり忘れていた。「大失敗」してしまった。
ーーーー
バンドメンバーの女性陣3名は悩んでいた。タイの番組収録では普通の普段着で臨んだが、今回は大統領選挙というアメリカ最大のお祭りである。民主党党大会に出演したミュージシャンは、ステージ衣装を纏っている。
民主党の支持層は共和党よりもアッパー層が多いので、労働者階級的な出で立ちでは不味いのではないか?とアレコレ悩んでいた。
「イッセイはどう思う?」
と由布子がメンバーオールでチャットする。訪米まで1週間を切っている。
「高級ブランドのジーンズとスニーカーで、白い鎌々倉シャツの袖を捲って、高級腕時計やアクセサリー類で小金持ち感を出すのはどう?調べてないけど、ここ一週間のイベント地の気温や週間予報を調べて、シャツを半袖にするとか、環境問題系のTシャツにするとか、もし雨だったら色違いのウィンドブレーカー羽織るとか、天候に応じたパターンも考えた方がいいかも。余談だが、白シャツが濡れて透けて見えるアラフィフの下着なんて、マイナス要因にしかならないと思うんだ(笑)
亮磨くんとオイラは普段のままでもいいと思うけど、倅くんにも一応お金送っとくね。
と言うわけで、全員口座番号教えて。各自に500万振り込んでみるが、足りるかな?
後で精算するから、バンド名で領収書貰っておいてね。
そうそう、マネージメント会社の人にあってないから女性陣に判断を委せるけど、同行するマネージャーさんが現場で政党関係者と協議したり調整したり出来る方だろうか?
該当しなさそうなら、タイに来た通訳さんをアテンドできるし、彼女たちに当面のマネージャーとして働いてもらうこともできる。メジャーなレコード会社が相手でも物怖じしなさそうだし。
イッセイ@ただいま新幹線で岡山へ移動中」
とモリから返ってきた。
綺羅びやかなドレスやラインが強調された服を着れない3人ではないのだが、「欧米人の中の日本人」で考えると、埋没してしまうとモリは考えた。
我々が演じるのはロックなので、大衆向けの音楽と捉えた方がいい。ならば大衆の服=既製品で、また、アクセサリーと小物に金を掛けて人々の目をそちらに向けて、物欲にまみれた人々に金額をイメージさせて「それなりに成功した連中」だと思わせる。それに、既製品はすぐに調達できると考えた。
村井家近くの阪急京都線の地下駅から京都駅へ出て、岡山方面行きの新幹線に乗ったのは20時過ぎだった。京都に拠点があると東西と北陸への移動が楽なのが分かる。さすが都だと痛感する。
尾張と岐阜を中心に据えた信長の西の最大の脅威は毛利だったし、北陸は上杉、浅井朝倉、東は武田で東北と九州は対象まで届かず、秀吉に委ねられた。そう考えると当時の朝廷、足利幕府の視野にあったのは東北、九州を除いたエリアに限定される。
日本の技術力の範囲となるが、京を中心に街道が整備され、交通量が多かったのも頷ける。
ほぼ1時間で岡山に到着し、新幹線内で予約したホテルに荷物をおいて、地元の居酒屋へ突入する。とにかく腹が減った。駅弁でビールだけは何としても避けたかった。瀬戸内の食材には敵わないからだ。
丸目レンズの伊達メガネとベースボールキャップをキャッチャー被りの変装で、カウンター席に座り、後方のお客さん達に背を向ける。
怒涛の如く、ビールジョッキを煽り、刺し身と焼き魚を食らい、地元の酒を冷でいただく。
志乃には悪いが、この日開放された瞬間だった。帰国後に京都に来て、話を具体的に纏める必要がある。京都に支社を構えてもいいかもしれない。47都道府県全てに支社を構えるので、早いか遅いかの違いでしかない。
酒のお替りを求めようと、顔を上げて調理している人を見ると視線があった。あれ?なんか違うと思った時には遅かった。
「モリさん、ですよね! 間違いねえ!俺の店にモリさんがお見えになったぞ!」と店長さんらしき人が言うと、あっという間にスマホのレンズで包囲された。
以降は個室のある店でなければ駄目だと、学習した。
ーーーー
志乃と美帆は久しぶりに2人でお風呂に入り、2人で食事をした。そして2人で布団を並べて横たわっている。美帆は祖母から貰ったという絵本を読んで、母に聞かせていた。
村井家の玄関には小型バギーが軒下におり、裏の勝手口のある庭にはドローンが待機している。モリが設定を施すとドローンを美帆の前に掲げた。
「では、そなたに魔法を一つ授けよう。まず、大きな声でママと言ってご覧」
「ママ!」
「よろしい。では次は少し長いぞ。それに、これはママには内緒の話だから、耳を貸せ・・」
美帆の耳に囁いた。「分かったかな?よろしい。では心を込めて言うがいい。よいな、心を込めるんじゃぞ。さぁ、言うがいい!」
「ママ!大好き!」
ドローンが垂直に飛び上がった。そしてグルリと旋回した。美帆は空を見て手を叩いて喜んでいる。その間にモリは芝に横たわると、志乃には舌を出して見せた。
ドローンがゆっくりと降りてきて庭に着陸する。そこで横たわるモリに美帆が気がついた。
「どうしたの?大丈夫?」
「すまない。今日の魔法はもう終わりだったのを忘れていた。この分では明日も魔法は使えないかもしれない。魔法は明後日まで我慢してくれないだろうか?」
と説明しだすので、志乃は笑いを堪えるのが大変だった。
「いいよ、そのくらいなら。ゆっくり休んでね」
美帆が真面目な顔をしてるので、志乃は我慢できずに笑いながら離れてゆく。
そして辛そうに起き上がってドローンを待機モードに設定すると、
「では、サラバだ。また会おう」と美帆に言って、岡山へ向かっていった。
そんな去られ方をしたので、志乃はずーっと「魔法のおじさんの話をする羽目になった。
教師だからなのか、素の自分がそうなのか、魔法ネタで美帆を虜にしてしまった。
凄い人だと志乃は思った・・。いつの間にか読み終えていたのだろう、美帆が志乃の顔をじっと見ていた。
「あ、ごめんね。読むの凄く上手になったね。ママびっくりしちゃった」
「ママの笑ってる顔、久しぶりに見た。それと、とってもキレイになった」
「そうかなぁ?」
「ママをキレイにしたのは魔法のおじさんなんでしょ?」
「うん、そうだよ。ママね、おじさんのこと大好きなんだ。みんなには内緒だよ」
「分かった。それでね、ママにお願いがあるの」
「なあに?」
「魔法のおじさんに会って、おじいちゃんもおばあちゃんもすごく喜んでたでしょ?
パパがたいほされて、すごく悲しかったおじいちゃんとおばあちゃんを、おじさんは元気にしてくれた。とっても強い人だって思った。
だから、魔法のおじさんとママがもっと仲良くなれば、おじさんは魔法を使って、ママに赤ちゃんをプレゼントしてくれるって思ったの。
そして赤ちゃんは男の子になって、おじさんみたいに強くなって、ママとわたしとおじいちゃんとおばあちゃんを守ってくれるの。だからね、ママはおじさんと離れちゃだめだよ。パパじゃなくて、おじさんじゃなきゃだめなの。でも、どこに行っちゃったんだろ?」
途中から、涙が止まらなかった。あの人は本当に魔法を使ってみせたんだと思い、志乃は娘を思いきり抱きしめた。
(つづく)