18章 外と中の視点 (1) 異母兄と長男(2024.3改)
3月になると航空路線も便数も堅調に復調し、羽田空港は活気を取り戻しつつある。
プルシアンブルー社の製薬部門が開発したコロナ製剤「Buster C」は、世界へ日常を齎したと世界各国から称賛を集めていた。
しかし、コロナの余波は停滞した社会に広く蔓延しており、早期の経済回復をアテにしてアクセルを踏んでも、即座に急発進・急加速出来る訳ではない。完全復調までには至っていないのだ。
航空路線が復活しても乗客数は疎らという実態は航空会社の収益に繋がっていないだけでなく、経済のグローバル化による複雑なサプライチェーン網がネックとなっている現実を証明している。
サプライチェーン網を水道管に例えてみる。本来なら老朽化した穴だらけの水道管全てを交換できれば良いのだが、実態は国が跨り、複雑なネットワークになっているので、一つ一つの穴を塞いで各国各社が修復する必要がある。世界全体で穴を修繕中の段階なので、水が各家庭に届くまでの経過期間が必要となる。
プルシアンブルー社は例外で、コロナ中に設立した企業で、設立時に構築したサプライチェーン網を利用している。
水道管に例えれば新品で、穴が一つもない状態だ
。コロナ蔓延中からフルスロットルで操業している。
来月の4月になれば、本格的に稼働出来る企業も増えるだろうと、識者たちがコメントしている。ゆっくりスタートせざるを得ない世界経済が、どの時点でコロナ前の水準に戻るかが一つの焦点となる。
経済評論家や学者がコロナ後の世界経済を論じていても、その手の評論を見もせずに先頭を走っているプルシアンブルー社は、後続の企業を警戒もしなければ、後ろを振り向いて確認もせず、マイペースを保ちながら力走していた。
企業だけではない、2月からスタートした新党・共栄社会党も過去の柵に捕らわれずに独走中だった。
先月の2月、30を越える市町村の首長選挙が行われたが、全ての市町村で勝利を収めた。3月も全国で40市町村で首長選挙が実施されるが、共栄社会党の全勝が既に確定的となっていた。
3月は年度末で各市町村も多忙を極めるので、現地に入っての応援演説も特定の選挙に限定して実施する方向に転じる方向だ。
コロナ期間中にすっかり浸透したネット会議を多用する。4月になれば共栄党幹部自身の選挙もある。2月の様に、全ての市町村へ訪問するのは物理的に厳しい、と言うのが実態だ。
その共栄党の代表が、羽田に居た。
サザンクロス航空が就航していないオーストラリアに向かう情報を入手した政治部の記者たちが集まっていた。
ラフな出で立ちの杜 亮磨の隣には、異母弟に当たる普段着姿の 杜 火垂が居た。
記者たちの情報収集能力は侮れず、火垂が都内の国立工業大学に合格したのも何故か知っていた。「合格おめでとう」と記者から声を掛けられて、一番驚いたのは本人だろう。
「皆さん、ご存知の様ですので弟の紹介は割愛します。本人は入学式まで暇なので、今回は社会勉強で連れて参ります。滞在中は政治的な活動をする予定はありません。兄弟の私的な旅行だとお考えください」カメラの前で亮磨が当たり障りのない内容で発言する。
実際はブルネイの王様とモリが共同所有する銅鉱山会社と、ウサギ駆除専門のプルシアンブルー社のメルボルン支社に行った後でオーストラリアの産業省と農林水産省にゆくのだが、経済活動主体なので黙っていた。火垂の留学準備を兼ねている、と余計な事を言うと厄介な話となる。入学だけは済ますからだ。
手荷物検査場に向かいながら記者たちと別れると、もう一般人と変わらない。亮磨は黒ブチの眼鏡を掛けた。
「多分、向こうでも和食は食えるけど、なんか食べたいものある?」
亮磨に言われて暫しの間 火垂が悩む。
「立ち食い蕎麦が食べたいです。テイクアウトできない店舗なので」
「あ、それいいかも。気軽に店に入れないもんなぁ」
何処に行っても父親の影が付きまとうので、2人は制限された行動となってしまう。
火垂はオージーでサングラスとメガネを買おうと決めていた。亮磨と被らないモノを選んで、プチ変装用を調達するのだ。
亮磨はSPや護衛を全て断っていた。その代わりに選挙区となる都内の空手道場に通い始めた。
今回の二人旅は亮磨には"照れ"があった。
去年の夏に初めて実の父の存在を教えられ、その実父に子息が5人も居た。一人っ子に”弟と妹”が突然目の前に現れたら、普通は動揺する。
年が近ければ、話もラクなのだろうが一番上の火垂とは十歳離れているので世代的にも異なる。「旅行会社のガイドさんの様になってしまうのでは?」と、一抹の不安を亮磨は抱えていた。
「弟」は高校を卒業したばかりなので、空港のラウンジに入れない。とは言え、飲み食いしながら会話した方が話しやすいと「兄」は考えた次第だ。
国際線ターミナルなので立ち食い蕎麦が無い。仕方なくそれなりの蕎麦屋さんに入店する。
「今日から飲食費は俺が払う。気にせず好きなもの食べていいぞ」
「母さん・・から、金は貰っているので大丈夫だよ」一瞬、言い淀んでしまう。
「蛍さんじゃなくて、鮎先生だしょ。ま、カネは気にするなって、どうせ印税だよ。
それと、表向き俺の母親は鮎先生になったから、火垂と海斗は建前上では実の兄弟同士って事になる。以後、宜しく!」
「え?どういう事?」
「海斗は本当の母親をまだ知らないんだよね? 了解、海斗には今まで通りに接しよう。
えっと、俺の場合だけど本名は、育ての父の名字で「周」だ。でも、イッセイさんに似ているので芸名を杜にした。事務所が余計な誤解を生まない様にした。ココまでの話は知ってるよね?
さて、ディープフォレストが売れて、世間が勝手に俺の母親を邪推し始めた。J2で歩と海斗が出場するようになって、俺と似ているのが明らかになったから、加速した様だ」
「富山の知事が母親だっていう噂でしょ?」
「それだ。実は、台湾の養父の家では母の評判が極めて悪い。完全に絶縁状態にあるんだ。息子を台湾に置いたままで育児放棄した母親、っていう扱いなんだよ。実際は台北市内や親の会社で養父共々3人で会ってたんだ。つまり嫁と姑の中が悪かっただけなんだが、祖母のポジションは大家族の頂点にあったので、母さんには物凄く悪いレッテルが付いて回ってしまった」
「なるほど・・バンドの一番人気の夕夏姫が実の母親だと知っているのは、ご実家の方々だけど、兄さんの母親というのを、台湾の家では声高にはしていない?」
「そういう事。
鮎先生が外相たちと忘年会した際に、あなたが母親だというネットの話題は本当なのか?と聞かれて「そうだ」と言っちゃったらしい。面倒だったからと鮎先生は言ってたよ」
そこで、蕎麦が出てきた。
「あの人らしいな・・」
「弟」が割り箸を渡して来たので受け取る。
「さぁ食べよう。・・で、公の場で鮎先生は肯定はしていないんだけど、もし「アナタが母親なんですか?」って記者に聞かれたら、淡々と認めてもいいですか?って、鮎先生が母と俺に言ってきたんだ。母は、火垂の母親が鮎先生だって気づいてたもんだから、速攻で認めた。
俺もさ、最近になって後悔していたんだよ。バンドの中に母親と父親が居るんだぜ。普通なら、俺は親離れできないヤツって思われちゃうだろ?
実際は、イッセイさんとはまだ父親的な感覚が備わっていないんだよ、俺の中では」
「それは・・何となく分かります・・でも、夕夏姫は何で僕の母が知事だって分かったんだろう?」
「・・ピアノの調律師って言うのもあるけど、ウチの親は耳が異常に発達している。
鮎先生と蛍さんの声は俺には同じにしか聞こえないけど、微妙な違いが分かるらしいんだ。
その僅かな違いを火垂と歩にも感じたんだと。お前は鮎先生の子供だって、それを後で聞いてめちゃくちゃ驚いたよ。
鮎先生の提案を即決した母親の意図が見えなかったから、母に聞いて驚いて、後日新党の立ち上げの打合せの後で鮎先生に聞いたんだ。で、御本人から素性を伺って納得した。
鮎先生の思惑としては、2人の実の母親が誰かって話に、もしなった場合だ。
当時の蛍さんは小学生で、妊娠なんて当然無理がある。で、鮎先生との間で男女関係がその時にスタートしていたって話にしておけば、火垂も海斗の母親が露呈した際でも違和感が薄れる。
実際、母と娘で子を産んだケースはゼロではない。代理母出身っていうのもあるし」
「そうですね・・でも、その歪みというか実績が、未亡人が集う環境を肯定した様になってしまった。イスラムのコーランでは戦死した夫の妻を有力者が救済してきた時代背景から、一夫多妻制を認めたって聞きますけど・・」
「火垂は、今の状況をあまり好ましくは思っていないのかな?」
「そうではなくてですね・・
上手く説明できるといいんですけど、ウチは女性上位の家なので、父は従う立場だったんです、去年の春までは。
でも、母が政治家になろうと動き出してから、立場が逆転し始めました。父が隠していたモノを次々と出し始めたので、当時はそっちに驚いていました。自分の親を見直しました。
女性にモテるのも当然だろうって、今は素直に認めています」
「女性問題として問題にならないのが凄いよね。女性は全員社員になり、一部は政治家になり、自分自身で収入を得ている。とは言っても生活するのに困らない収入だろうけどね。学生以外は全員寡婦で、彼女達との付き合いを勧めたのが鮎先生と蛍さんという構図だ。
刑法で言えばイッセイさんは不倫の実行犯なんだけど、概念的には明治大正以前の妻から認められた側室、っていう扱いになっている。側室に入った女性は財産権を求めないし、杜の名字も使わない。今の法制度では内縁の妻っていう扱いになる。子供も母親の姓を名乗る。勿論、イッセイさんが認知するけどね」
弟が居住まいを正して言った。
「3人でいろいろ考えたのか、父の独創なのかは分かりませんけど、ベースになったのは母と娘の共犯関係が生んだ家族形態なんでしょうね、今でも親子で同じ男を愛し続けている。
たまたまでしょうけど、コロナの疎開を理由にして3家族が合流した際に、プルシアンブルーと政治っていう器を父が用意していたので、母と姉の描いていた家庭が大きく変わってしまったんだろうと想像してます。
兄さんが言う様に、社員として、政治家として各人が働き出しましたよね。
スタート時に中に居た者の感覚なんですけど、家は五箇山の合掌造り住宅、横浜の家は空襲を免れた古い邸宅です。その器の影響もあったと今だから思うんですが、血が繋がっていないのに何故か一体感があったんです。正に、大戦前の大家族の様になっていたと思います。
母さんが知事に立候補する、父さんが失業して急遽、都議に立候補する。
2人の応援団が投票日前までどんどん膨れ上がって行くので驚きました。息子だとか、娘だとかという意識は薄れて、全員が同じベクトルにあった。正直に言えば、本当に楽しかった。もの凄い経験になりました。当選が決まった時、この両親で良かったって感謝した位です。でも、それで終わりじゃなかった。
当選して終わりじゃないって父が当選直後に言ってたんですが、その時は正直、知事だ、議員だ凄いじゃないかって僕も思っていて、政治家1年生には何も出来ないだろうって、漠然と思ってました。それが、このザマです。驚きの連続ですよ。両親が成し遂げたものと同じ事が出来るのか?と言われたら、とてもじゃないけど僕には無理です。世界を相手にして、あんな風に立ち回れないですよ」
蕎麦が伸びると思ったのか、慌てて「弟」が食べ始めた。お前も父親の実績に絆された側になったんだなと「兄」は思う。
「でも今のイッセイさんの年齢まで、俺は20年以上あるし、お前には30年以上もある。
全ての世界の諸問題を流石のイッセイさんも解決は出来ないだろうし、新たな問題は増えるから、世界は混沌とした状態であり続けるのかもしれない。俺は、イッセイさんや鮎先生や大臣たちから学べると思ったから、政治家の道を選んだ。お手本となる教材が側にいて、練習と実践を重ねれば、似たような事が出来るかもしれないって考えた。
サッカー選手はどんなに頑張っても40までだ。そこからコーチ、監督、クラブのオーナーって言う道もあるだろうし、実業家や投資家の道へ進む選手も居る。
俺はね、弟4人のうち、誰か一人くらいは政治家になるんじゃないかって見ているんだ。
それとさ、例えばの話だけど・・・北朝鮮の最高指導者を狙撃して、核施設を爆破した人物が俺達の父親だったらって、火垂は考えたことはないか?」
少々強引な流れだったが、「弟」の反応を見届ける。目を見開いて驚いている。そりゃ そうだろう、と兄は思う。
「ゴメンゴメン。ま、タラレバの話だ。蕎麦を食っちまおうか」
・・「兄」が蕎麦を啜りだしたので、真偽の程は分からない。
父さんが実行犯?でも、ビルマで軍の幹部を狙撃したのは恐らく父さんだろう。そう考え始めると、混乱してくる。父親の能力が見極められないから「ありえそうな話」だと期待している自分が居る。
そもそも「兄」の前フリが意味深過ぎる。否が応でも期待してしまう。
暫く行動を共にするので、確認する場は幾らでもあるだろうが・・
火垂は勢いで蕎麦つゆを飲み干す。塩分過多など気にしない。七味唐辛子入れすぎたな、と思いながら噎せていると、「兄」の笑顔があった。
兄貴ってイイもんだなと、何故か「長男」は思っていた。
ーーー
モリは週末を利用して宮城南三陸・気仙沼に居た。工場の完成式典への出席の為、現地雇用の「幹部社員達」に会うために。
工場内を報道陣に公開する。
通常、工場内部は機密情報の塊とされており、 社外秘として撮影を禁じるのが常だが、プルシアンブルー社は惜しげもなく公開する。広大な敷地内には3棟の工場が建っているが、完成したのはその内の1棟でベトナムから移転して来た、液晶テレビ組立て工場だ。ベトナムの工場は面積を拡充して、PCとモバイルの製造を始めている。
気仙沼工場の建屋自体は2ヶ月で建設し終わり、移設の据付けなので2.5ヶ月で「Made in Japan」のテレビ生産が始まった。
機密情報はAIなのだが、AI自体は映像では見れない。組み立てライン上で稼働している数々のロボットアームの動きをメディア関係者が見ている。
後にメディアが撮影した映像を見た、他社の生産技術担当者や、ファクトリーオートメーションの技術者達が驚くに違いない。プルシアンブルー社のFAロボットの動きが「有り得ない」動作を繰り返しているからだ。ロボットアームの形状もユニークなものばかりで、型破りと思われるかもしれない。
「開発設計から製造まで全てAIが担っており、製造工程でヒトは一切関与しないAI製造ラインを実現しています。尚、隣に液晶パネルと有機ELパネルの工場を建設中ですが、6月に発売予定の新製品からは100%自社部品のテレビとなります」
と、ゴードン会長が説明すると、バシャバシャとフラッシュが焚かれる。自社製の青く塗装されたアームロボットがアチコチで動いている映像が、暫くメディアを賑わせるだろう。
工場長の源 由紀子はお腹が少し出始めたので、フレアスカートにブレザー姿だった。他の幹部、自称・南三陸寡婦会の皆さんは、この日全員がスーツ姿だった。
モリが偶々連れられてやって来た上で寡婦会の「おもてなし」の見返りが工場建設だと言うのは当事者以外は誰も知らない。
アジアで売れまくっている人気商品なのと、テレビという形に見える製品なので、周辺地域の関心を集めたようだ。
テレビの組立て自体は全てオートメーション化されているので雇用者は限られているが、パネル製造工場では人手が必要となるので、新たな人材募集が始まっている。
メディアが注目したのが工場が利用する水資源に関する情報だ。
海水を浄水にするシステムで、既に東南アジアの工場では導入済だとゴードンがさり気なく説明する。
「浄水にする課程で塩分を取り除き、その塩分を製塩して気仙沼の食用塩として販売します。今日はお土産として記者の皆さんに提供させていただきます。また、海中のCO2を除去圧縮加工して、アンモニアを製造しています。
このアンモニアを富山に輸送して、火力発電用のエネルギーとして利用しています。ガスを85%、アンモニア15%の比率で燃焼させると、CO2の発生量が21%削減出来ております。ゆくゆくはアンモニア火力発電を実現し、CO2ゼロの発電事業を拡大させようと考えております」
その一言が記者の質問攻めを食らってしまい。 工場幹部達とモリは会見会場から逃げ出して、数ヶ月前の「おもてなし」の再現を繰り広げていた。
ゴードンがモリの携帯に掛けても、電源が切られていて繋がらなかったらしい。
(つづく)