(2) 一歩先を見据える連中(2025.1改訂)
連休明け早々に、名古屋市市庁舎にて「しらさぎ経済圏」の観光親善大使の発表とお披露目会が予定通りに開催された。社会党のメディア担当となった名古屋市長の小此木クリムトン瑠衣が、日焼けした顔で登場する。アジアビジョン社の記者時代はテレビ出演の為に控えていたが、やや褐色になった顔がIT企業勤務時の瑠衣らしかった。
服装もカジュアルに振り、イメージチェンジした様に見せた。 瑠衣が華美な出で立ちを拒んだ理由はもう一つあった。これから紹介する女性より目立ってはならないという謙虚さが瑠華の美徳であり、支えとなる。石垣島滞在中、ビーチに行くつもりだった彼女を叱りつけてホテルに引っ張っていっただけの甲斐はあった。真っ白い肌の彼女の頬やおでこが焼けたように赤くなってはならないと恐れたからだ。
「初代親善大使に、久遠瑠華さんが就任されました。瑠華さん、どうぞ こちらにお越し下さい」 スタンドマイクに向き合った市長が言うと、記者の後方で待機していた瑠華が颯爽と現れ、壇上に真っ直ぐに向かってくる。しかし、その表情は緊張で固かった。
「モデル上がりには、まだ早過ぎたかな・・」と思った市長は瑠華の進路の前に立ち塞がる為に、移動する。瑠華が自らの進路上に居る、名古屋市長に気づく。
市長がまだ新入社員だった頃、初めてのプレゼンの場で当時の上司がやってくれた手品を、瑠華に試してみようと咄嗟に市長は思った。
「おいで、コレはあなた一人で完結する話じゃない。私達が全てをお膳立てして、全力であなたを支える、そういうプロジェクト。あなたがアレコレ心配する必要は何一つとして無い。瑠華、チーム全員の顔を思い出して!」 モリのセリフは”You”ではなく”コシキ”だったが、その他は殆ど同じだった。市長は右手を差し出す。瑠華が手を握ってくるとガッチリと握り返して、壇上に引き上げる様に瑠華を引っ張る。引き上げられた瑠華が驚いた顔をする。そこに市長が笑みを浮かべながら「落ち着け、瑠華!」と言うと、初めて瑠華から笑みが溢れた。市長は空いている左手で、タイトスカートの尻を軽く叩いて、瑠華をスタンドマイクの前に送り出す。 市長のアシストもあって、久遠瑠華は自分そのものを取り戻す事に成功していた。
CMに出演し、世間で認知され始めたばかりの瑠華の登場に、芸能部門の記者たちが声を上げて驚く。選考では著名な女優達を掲げて各事務所が熾烈な争いをしていると言われ、大物女優が当確という情報もあったが、実力的にはまだ未知数なモデル出身の人材に、強力なコネクションでもあったのか?と記者の誰もが勘ぐった程の大抜擢だった。
久遠瑠華は、これで一躍スターダム入り間違いなし、と記者達はウワサしあい、その可愛さプラスの美貌に太鼓判を押す。売れっ子女優や芸能人と比しても全く劣らない、と。
しらさぎ経済圏の最大のスポンサーはプルシアンブルー社とレッドスター社で、これまで両社は全くCMを作ってこなかった。そこへ”しらさぎ経済圏”構想とリンクするように、6月からアジア各国の民放向けにCM製作を始めると公表していた。
そのCMに、瑠華が順次起用されることが確定した。また、勢いの止まらない社会党・共栄党が推進する経済政策のヒロインであり、マスコットガールとなった格好だ。
成功が約束されたプロジェクトと言われている経済構想でもあるので、瑠華のイメージ作りにとって、最高の舞台となる。極端な話、ドラマ出演や地方巡業などの他の仕事を一切する必要がなくなる。それだけの十分な収益を瑠華の事務所は手にする事になる。
カメラ慣れした筈の瑠華がオドオドし、向けられた数多くのカメラを意識して相当舞い上がっている様に表情から読み取れた。一方で、推薦した一人である名古屋市長は、ここ数日まともに寝ていないという瑠華の告白から、心底喜んでいるのだと察していた。
相応の有名人を起用する予定だったが、これまで3つのCMに出演しただけのほぼ新人が抜擢されたのだから、メディアが驚くのも当然だった。 選考対象となっていたものの落選した売れっ子女優とプロダクションは、さぞ落胆しているに違いない。しかし、一見、新入社員のようなベーシックなスーツを纏って登場した瑠華からは、親善大使に選ばれただけの気品と、名前の通り華やかさを醸し出しており、この場に居る人々が納得の人選だと、瑠華を祝福する視線を投げかけていた。
「この度、親善大使の大役を務めることになりました久遠瑠華です。 私のような若輩者がこの場に立っているのが今でも夢のようですか、小此木市長をはじめ、皆様のアドバイスをしっかりと受け止めて、真摯に取り組んでまいりたいと考えております・・」瑠華のコメントが終わらぬうちからネット上に「しらさぎ経済圏構想の親善大使に久遠瑠華が大抜擢」というニュースが散乱し、既読数とコメントが書き込まれてゆく。「大抜擢って、誰だっけ?」「大穴中の大穴」「誰も推してなかった、意外過ぎる想定外」「商売上手で、先物取引に長けた政党が選んだだけのことはある。凄く綺麗な人じゃん、大英断だよ」といった趣旨のコメントが次々と書かれてゆく。
所変わって、昼休憩中の国会衆院内の同一会派しらさぎに割り当てられた1室で、弁当を食べていた杜 亮磨 共栄党代表は、母の夕夏議員に詰め寄っていた。
「なんで黙ってたんだよ・・売れっ子の女優さんで決まりだって言ってたじゃんか」
「世間に対しても、亮磨にとってもサプライズってやつだね。母から見ても瑠華ちゃんはお嫁さんとしてオススメだねぇ。可愛いし、人間も出来てるし、その上料理も上手ときた。 才媛の様なルックスでありながら、下町育ちっていうのが、庶民的な我が家には向いてる。あの子はいい嫁になるよ〜」 夕夏が言うと、「ウシシ」「ウヒヒ」と由布子と紗季の両議員がイヤらしい笑い方を亮磨に向ける。
CM出演本数年間17件、親善大使が富山、岐阜、名古屋各地を訪れる番組が毎月収録され、年間12本の放映と再放送が予定されている。季節ごとの観光イベントが4回で、総金額100億円相当が支払われる。プラスして、しらさぎ経済圏の成果がプラスに転じれば、成果に応じて臨時ボーナスが支払われる。
瑠華個人に対しては運転手兼ボディガードの女性二人と乗用車、そして有楽町に完成したPB建設が建てたセキュリティが施されたマンションの一室が支給される。
金額の大半はプロダクションに渡るのだろうが、親善大使となった瑠華自身も契約期間の5年間は、億万長者間違いなしとなる。
「有楽町のマンションのセキュリティは万全らしいよ。監視カメラだらけの地下駐車場から到着を告げる様に部屋の住人を呼び出すんだって、住民がOKをするとそれ以外のヒトが使えないエレベーターが住民の部屋があるフロアに運ぶ。客人がフロア内を歩いている時は、フロアの住民は部屋がロックされて出られなくなるんだって、完全に芸能人向けだよね、凄くない?」 由布子議員が亮磨に説明するが、亮磨が住んでいる札幌のマンションと同じだから、由布子の発言を聞き流す。
「由布子が言ってんのは、亮磨が忍んで行けば、瑠華ちゃんは喜んで部屋へ受け入れるぞって話だ。赤坂の議員宿舎なんか借りる必要ないだろ、返しちゃえばいいんじゃね?」
紗季議員がニタニタした顔で言うので、亮磨は剥れてみる。
「イッセイ、瑠華さんのボディガードって、スミレとエマリのお仲間さんなの?」モリの隣で同じPBマートの仕出し弁当を食べているカレン族の未亡人両名、スミレとエマルを見ながら夕夏が言う。
「必ずしも2人と同じ民族じゃないよ。ローテーション制で毎週ごとにボディガード役が変わる想定をしている。ミャンマー期の内戦って、それだけ激しい戦いだったんだ。
内戦の恩恵と言って喜んじゃいけない話だけど、その影響で優秀な女性兵士が大勢居るのは事実だ。あ、今は兵士ではなくて、全員レッドスター社の社員として警備担当の総務部門に所属してるけどね」 言い終えると玉子焼きを頬張って、美味そうに咀嚼し始めた。
「衆院の開催中は護衛役は2人体制で十分だけど、例えば、私達が台湾にいくときの護衛さんってどうなるの?」
社会党議員の前田元外相がモリに訊ねる。しかし、亮磨が応える。台湾は亮磨の育った国でもあるので、台湾側との交渉を一任している。
「えーっと、多分4人以上になります。台湾サイドと相談中ですが、台湾との往復間を日本の4人以上のメンバーが護衛して、台湾内では台湾駐留のビルマ兵に護衛の主導権が変わります。日本から向かう4名は国内では銃器が使えませんし、そもそも日本では銃器などの武器は持っていませんからね」
「ビルマ兵って男性でしょ?」同一会派”しらさぎ”の座長である越山元厚労大臣が確認してくる。
「いいえ、僕の護衛以外は女性になる予定です。滞在中の部屋はコネクティングルームになっていて、日本から同行する女性兵士が片方の部屋に一人づつ待機する格好になります。ホテルのロビーと部屋があるフロアに男性兵士が構える格好になります」
「あー、じゃあ君達が北京に行く時はどうするの?ビルマ兵は連れていけないし、武器も携行出来ないよね?」阪本元総務大臣が、共栄党議員の方を向いて言う。
共栄党は、台湾に向かわない5名の議員がカザフスタンとウズベキスタンに表敬訪問すると発表したばかりだった。中国側とは内々で調整中だが、カザフスタンの前か、ウズベキスタンの後で北京に急遽訪問する予定で話が進んでいた。
「えっと、5人で泊まれる大部屋を押さえてもらうように中国大使に要求しました。 護衛は・・イッセイが居れば・・まぁ何とかなるよね?」由布子議員が阪本に応えながら、最後はモリに確認する。
「流石に銃で打たれたら、イチコロだけどね・・まぁそこは相手の警備体制を信用するしかないですね」
「旦那様、それはなりません。私達モン族が同行し、皆様の道中の警備に当たります」
AIタブレットの翻訳機能で一同の会話を聞いていた隣のエマルが真顔で流暢な英語で言うが、やや頬が赤くなっている。昨夜ベッドを共にしていたので、そっちを期待しての発言かもしれない。
「My Husbandだってさぁ。あのさ、勘違いする間抜けな議員が居るかもしれないから、センセイって呼んでもらった方がいいんじゃない?」
前田元外相が突っ込んで来た。
「面倒だから旦那様でいいですよ・・エマ、北京の件はまだ流動的なんだ。確定するまでもう少し時間が掛かると思う」前田に日本語で伝えた後は英語で、エマルの愛称に感情を滲ませながら伝える。
「畏まりました・・」
旦那様の呼称が笑われたエマルは広東語で応える。機転の効くエマルの物言いでモリは気付かされた。エマルもスミレも広東語を標準語のように話す。つまり、中国語が堪能な者を護衛役で連れてゆくが、北京政府に対しては”通訳”として申告すれば同行は出来るかもしれない・・モリはそう思いついてテーブルの下でエマルの尻を撫でた。
昨日、国会閉廷後にモリと同一会派の副座長の由布子議員と、元麻布にある中国大使館を訪れ、中国大使と会食した。中国側の要請に基づいて、国会終了後北京を訪問することに合意した。この訪中の”見返り”が台湾海峡での軍事演習の中止となるのだが、どっちについての見返りなのか考えると、どう見ても中国側に有利な決着となる・・共栄党にとってはどっちでも良いのだが。 また、中国の前もしくは後で、カザフスタンとウズベキスタンに表敬訪問する方は、アフガニスタン内戦終結後の国連維持軍を、両国の軍が担うことに正式決定したのを受けての訪問だ。ビルマ国連大使からの「見返り」として、中央アジア両国へイランで製造するレッドスター社の自動車を販売する。 コロナ明けと共に中国製のEV(電気自動車)や太陽光パネルが旧ソ連邦の中央アジア各国に進出している。取り分け、中国製品が疑問視されているのが、旧ソ連邦の冬の気候だ。冬季の気温が氷点下が当たり前の中央アジアで、バッテリーが凍結するEV車や冬は活用できない太陽光パネルは実用的ではないとする向きが強いらしい。その補填ではないが、ディーゼルハイブリッド車と、冬の曇天下でも発電する太陽光パネルという世界唯一の製品を提供する。販売と保守点検はビルマと日本から、セールス部隊とメンテナンス部隊が両国の首都と主要都市に支店を出し、カバーする・・という内容だ。 そんな中央アジア2カ国訪問が主要議題と見せかけて、北京に電撃訪問するという流れでいた。社会党議員、知事・市長と杜亮磨が台湾訪問中の話題を集めている裏で、モリ一行が何故か北京入りして共産党幹部と会談する、というオチを狙っていた。
このゴールデンウィークの連休中、恒例の様に日本の議員の大半が海外に出掛けた。欧米各国の政府関係者の注目は、イラン産の石油調達に成功し、石油備蓄基地建設をぶち上げたモリに集まっていた。彼の地でモリの人物像やプルシアンブルー社のテクノロジーに関する質問、そして台湾でのビルマ軍駐留や中国の軍事演習等々の他党の話題に関して、方々で繰り返し質問され続ける大臣や与党議員という状況となったらしい。
おまけに「そもそも日本政府は何してるんだっけ?」と聞かれ、答えに窮す場面が多々あり、外交には至らず、結局は予定通り観光旅行で終わったらしい。
つまり、連休を地元で過ごした社会党・共栄党議員の一人勝ちのようになっていた。
「公務と言いながら、何の成果も挙げられなかった与党の大臣や議員達は、費やした旅費を経費とせず、観光しただけなのだから自腹で払え」とする論調が世間で溢れかえっている、そんな連休明けとなっていた。
「すわ、第三次世界大戦勃発」だとか、共産中国の海洋進出だとか覇権主義を少し前まで唱えていた世論が、中国を脅威的なものとして捉える風潮が何故か消え去っていたのだ。
「ビルマ軍が台湾に駐留する」この一手がアジアの安全保障に果たした効果は絶大なものだった。
社会党と共栄党議員による同一会派「しらさぎ」は会派の声明で「国会終了後の台湾訪問団は予定通り派遣される」のと「同時期にカザフスタンとウズベキスタンの中央アジア訪問団をモリ・イッセイ議員を訪問団団長として、共栄党議員5名の体制での派遣を決めた」と、会派の長の越山元厚労大臣が発表していた。
台湾訪問団派遣は、中国側の反発から連休中の国際ニュースを席巻していたし、中央アジア訪問団はアフガニスタン内戦後の両国へのフォローを兼ねていると越山が説明すると、
「与党の大臣より、よっぽど仕事しているではないか」
「これこそ、外交だ。連休中の海外渡航は費用も高額となり避けるべきだし、与党の渡航は完全に無駄」と、与党との対比の話題となる。 しかし、「台湾への議員団派遣は中止するべき」と連休前に言い放った日本政府や与党議員そして経団連会長の提言は、見事なまでに払拭されていた。 想定通りに「無音無風」の展開となり、”同一会派しらさぎ”の議員団に危機意識や懸念事項は一切無くなった状態で国会にやって来た。和気藹々としらさぎ経済圏の親善大使を語り合う、そんな余裕が有った。
そんな論調に転じた朝刊各紙とメディア各局のニュースをAIが集計して、レポート的に纏めた物を各議員の引率秘書が、議員たちに渡す。午後の国会内の予算会議や審議会に出席する議員での予備知識となる。
モリに対しては、沖縄から帯同している公設秘書の屋崎由真がICメモリを渡す。昼食を終えてお茶を飲んでいたモリは、タブレットの端子にメモリを指して、レポートを斜め読みし始める。
また、秘書の由真から、モリの資産公開用のデータが纏められていた。
由真ともう一人の公設秘書の安東咲子、そして妊娠中や前職就業中で秘書の実務には付いていない4人の計6名の秘書名義に、それぞれ均等に割り振った個人資産が数百億円に上るらしい。
「そんなに有るんだ・・」と率直に驚く位、桁が予想以上の額面となっていた。資産管理はプルシアンブルー社の系列会社に加えた富山の地銀に任せていて、殆どノータッチだった。
議員当選後に公開されるモリの個人資産は、横浜の土地家屋の「ん千万」と、貯金額650万円と言ったもので、都議時代より150万円増えただけとなる。横浜の家も父の家からの唯一の資産なので、手放さずにいるだけだ。
何しろ、開港後の横浜村の江戸期後期に、2足3文の値で手に入れた土地が、昭和バブルの頃に高騰し、令和の今でもその価格帯のままだ。しかし家屋と土地を売却したところで億以上の資産を持つ様になった今、不動産を現金化するだけの意味が無い。
「益々、あなたから離れられなくなりました・・」由真がボソリと呟くので「金蔓として、でしょ?」と呟き返すと無視している。
5人のバンドの印税やCM料などの全ての収入を共栄党の党費に当てているので、由真の妹の真麻議員同様に、6人の共栄党議員は議員給与を受け取っている。
共栄党も社会党も政党交付金も受け取るつもりでいるが、妻が市長で義母が県知事のモリは生活面では困らないし、巨額の隠し資産を持つ立場なので「議員給与を全額返却する」とモリだけが公言すると、角が立ち、返却する理由を言わねばならなくなる。
「資産の殆どを秘書名義に分割している」などと言えば脱税だなんだと大変な目に遭うだろう。
プルシアンブルー社の株式売却で莫大な資産を作った社会党とは異なり、
共栄党の資産はバンドが売れ続ける限り印税収入が増えるので、党として不動産や株などの資産に置き換える必要も出てきた。・・そんな事も考える必要があるのだが、今は国会議員になったばかりで考えている余裕が無かった。 あらゆる事項で当事者であるモリの懸念は・・どちらかと言うと、自身を取り巻く女性関係だったかもしれない。
(つづく)