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(9) 上海バンスキング作戦、 成功す。 (2025.2改訂)
日曜の朝、自室で起きると着替えて介護バギーに乗り込み、簡単に洗面を終えると1階までエレベーターで下がる。嘗てホテルのロビーであった箇所を過ぎて外に出ると、温かな風が吹いて心地よい。宮城北部では朝晩は10度を下回る日もあるが、こちらは最低気温が20度だ。宮城からやって来た4人が沖縄の快適な気温を喜んでいる理由も分かる。
AIバギーを降りて、庭の芝の上にマットを敷いて柔軟体操を始める。宮城では室内でやっていたが、何れ皆が三々五々にトレーニングを始めるので、それを見ながら体を整える。
間もなく梅雨入りとなるそうなので、暫くは室内で執り行うしかないのだろうが。
気仙沼で仲間だった塩屋結衣、貝原 凪、安東姉妹、そして同級生の娘の平泉里子の秘書の6人がやって来ると、それぞれが走ったり、ストレッチをしたり思い思いに体を動かし始める。しかし、圧巻は山岳民族の女性達の訓練風景だ。内戦時、ビルマ族兵士の多勢勢力に対抗するために、女性が兵士に登用された。女だから銃後の守りに徹すると言った旧日本軍とは状況が違ったのだろう。棒術による練習試合は、本番さながらの迫力があり思わず正座して見てしまう。寝転んで観戦するのは恐れ多い様に思えた。
日本人女子3名とアリアの娘のマイはホテルの周りをグルグルと走っている。伴走のドローンがペースを上げると、「鬼!」「人でなし!」とドローンを罵る声が聞こえるが、基礎体力が伴わなければ、山岳民族の訓練には参加できないと言われているので、渋々従っている。
各自が訓練を終えて、建屋に入ると良い匂いが鼻を擽る。各自の部屋にあるシャワーや大風呂で汗を流すと、三々五々朝食となる。私が食堂に行くと、シャン族のサラとセーラが待ち構えていて、料理をどれにするか聞いてくれて、食事の際も甲斐甲斐しく世話をしてくれる。本当の介護老人になった様な気もするが、孫より下の世代の子と接する機会が殆ど無かったので嬉しく思っていた。
同じ妊婦の平泉里子には、カレン族のユンとユナが同じ様に左右に座り、里子を世話している。カレン族が里子に群がり、シャン族が私を世話にしてくれるのは平泉と源の姓をそれぞれの女性に提供したからで、岐阜県知事の村井幸乃の出産時は、モン族の女性がケアしてくれるらしい。
昨日一日シャン族のお嬢さん達に囲まれていたので、毎日これでは気分も良くないので、モン族の少女達にも声を掛け、種族を無視して別け隔てなく接する意向を伝えると、皆も集まるようになってきた。少女だけでなく大人もだ。不思議に思っているとアリアが説明してくれた。
「山岳民族の平均寿命は精々60です。60を過ぎて妊婦になり出産をしようとしているユキコさんは、神の化身だと思っているんですよ」と言われて、
平泉里子も「叔母様は確かにイレギュラーな存在だし」と言って、里子以外の日本人秘書も笑う。
第5秘書の塩屋結衣が「日本で過ごして日本の食文化を接種して、毎年医療診断を受けていれば、由紀子さんみたいに60になっても妊婦になれるかもしれないよ」と言うと、皆が喜んでいるが、40年後は先生は90になっている。亮磨さんでも60だ。後の事は下の世代に託すしかない。
隣の会議室から楽器の音が聞こえてくると、何人かの娘たちが会議室へ向かう。 日本人の3人娘とマイがバンドを結成したのだ。
安東咲子の次女の咲季と池内知代は、モリが勤務していた横浜の私学では音楽部に属していた。ブラスバンドではなく、本格的なオーケストラで全国上位の常連校だった。なので、音楽的な素養はある。
問題は楽器の経験のない中学生の村井彩乃と杜マイの2人だが、高2の安東咲季と池内知代曰く、「AIっていう最強の講師も居るし、何とかなりそう!」というので、大人たちは傍観することにした。
楽器の音がピタリと終わったと思ったら、いきなり「津軽海峡・冬景色」が聞こえて来たので、日本人の大人たちは吹き出してしまったのだが、スローな曲から始めるのがセオリーと後で高2の二人から言われ、笑った失礼を詫びながら、頷いた。
4人がバンドを組もうと言い出したのは、昨日のアジアビジョン社の動画を見たからだ。
上海市滞在中の一行が、市内のストリートパフォーマンス通りで知られる静安寺ビジネス地区に現れた。
楽器を並べて準備を整えると、5人の高校生の頃に演奏していた日本のロックやポップスを、アンコールの2曲を加えて計11曲演奏したのだ。
演奏を聞いた人がみるみる集まり、通りは人の群れで膨れ上がっていった。アジアビジョン社が動画を投稿すると、まだ存命のアーチスト達が演奏に謝意を示す書き込みをし、各アーティストの楽曲の動画再生回数も急増した。 その動画に娘達は感化され、バンドを結成したと言うわけだ。
4人も聞いたことのない曲ばかりだが、「カッコいい」「名曲じゃん」と思ったらしい。日本の若者の大半がそう思ったのだろう。
その夜、上海のテレビ番組に出演したディープ・フォレストは、番組の司会者に静安寺ビジネス地区での演奏を聞かれ、亮磨が「他の大道芸人さん達に迷惑を掛けたので、投げ銭の纏まった額をお一人づつ差し上げて、残金はユネスコに寄付しました」と報告する。
「何故、路上ライブをやろうと思ったのですか?」と言われ、リーダーの由布子が 「先日、屋外でシークレットライブを演ったら、ハマってしまって。今日はメンバーが揃っての演奏でしたから、サイコーでした。また何処かの都市でも演りたいと思います」と応え、亮磨が訳した。
そして、本番。この日は2曲続けて演奏するとアナウンサーがバンド名を叫びながら紹介した。亮磨のメインボーカルで、u2の「Newyear’s Day」を演奏し、その後でアイルランドダブリンでの民衆虐殺を歌った「Sunday Bloody Sunday」を演奏し始める。
1972年1月30日、公民権の不平等に抗議するカトリック系アイルランド住民のデモに対してイギリス軍が発砲、14名(うち一人は当日の負傷がもとで後日死亡)が殺害された事件で、血の日曜日事件と言われている。 2曲目は台本とは違ったのだろう、誰かの命じる声と共にカメラの映像が突然止まり、音声だけになってしまった。それでもバンドは何とか演奏し終えた。映像が回復するとメンバーは白い一輪の花を献花した様にそれどれの楽器の傍に置いて「We never foget, Remember 天安門 in 1989 !」と声を揃えて言いながら頭を下げた。
アジアビジョン社のカメラマン吉井由依は香椎ユーリ記者のコメントを撮りながら、演台の右側から演奏を撮っていたので、全ての映像が残せた。 静安寺ビジネス地区の映像と同じ様にこの動画を投稿すると、世界中でアクセス数が急上昇した。u2のボーノ氏は動画に長文を寄せて、演奏に謝意を示した。ギターのエッヂ氏は「ユウカは僕より上手い!一度会って演奏しようじゃないか」と絶賛した。
金曜夜から、予兆は有った。懇親会の席上で会場に備えられているピアノで、中国の外相が夕夏議員に「一曲歌って欲しい」とリクエストした。お安い御用とばかりに夕夏がピアノに向かうと拍手が鳴り響いた。 そこで夕夏が演奏したのが、映画ラスト・エンペラーの阪本竜一氏作曲のタイトル曲だった中国の放送局の作成したドラマは放映されたが、アカデミー賞を獲得した本作品は中国内の劇場で公開されていない。 演奏し終わった中で、日本の議員が率先して拍手し、仕方無しに中国の政治家も五月雨式に拍手をした。 その後で夕夏が英語でスピーチを始める。
「次の曲は私達が子供の頃、日本で大ヒットした曲です。この曲の旋律に魅せられたのと、同じ頃、日本の公共放送ではシルクロードを題材にした映像ドキュメントを毎週放映していたのです。
イッセイ議員と同じ小学校だった私は、学校の図書室で毎週放映後の勉強会を開いていました。何故か2人ともシルクロードに魅せられてしまっていたのです。音楽よりも先にシルクロードが2人の接点となったと思っています。そうそう、喜多郎さんが作曲した番組のテーマ曲はこんな感じでした。聞かれたことがありますでしょうか?」
夕夏がピアノで演奏すると、人々が声を上げる。
「私達は今月末にウズベキスタンとカザフスタンを訪れますが、私達の訪問の目的の半分は 一番興味がある草原の道( Steppe Route)をこの目で見たいからなんです。いつか、シルクロードを旅しようねってメンバーと話しています。それでは、お聞き下さい」
そして無伴奏で囁くようなアカペラで、「異邦人」をワンフレーズ歌い始めた。 会場は黙り込む。このあたりから、由布子と咲希の2人がモリを茶化し始める。
子供たちが空に向かい、両手をひろげ
鳥や雲や夢までも つかもうとしている
その姿は きのうまでの何も知らない私
あなたに この指が届くと信じていた
空と大地が ふれ合う彼方
過去からの旅人を 呼んでいる道
あなたにとって私 ただの通りすがり
ちょっとふり向いてみただけの 異邦人
ワンフレーズの独唱後は鍵盤を叩き付けながら特徴的なイントロを演じ、ピアノと共に1番と2番の歌詞を歌い切った。
年配の日本人なら誰でも知っている名曲だ。沖縄の日本人の秘書と娘達3人も、そして由紀子自身も感動のあまり涙していた。
中国の人達の胸も打ったのだろう、スタンディングオーベイションの拍手喝采が鳴り響き、夕夏議員は立ち上がって丁寧に頭を下げると、仲間の待つ席へ戻ってゆく。 ラスト・エンペラー演奏時の白地んだ空気を、この異邦人の演奏で一掃してしまった。
由布子と咲希の両議員がモリを冷やかしている映像が再び出る。出迎えてやれと言われたのだろうか、席に戻って来る夕夏をモリが右の拳で出迎える。夕夏議員はモリの前で腕組をして踏ん反り返ってから、拳を合わせた。 何かしら2人の思い出の曲なのだろうと、テレビを見ていた由紀子は思った。
そんな経緯を得て、明日二度目の会談が始まる。そう、共栄党には「音楽」という武器があるのだ。
(NewYear’s Day): https://www.youtube.com/watch?v=orHkDYNFwEg
(Sunday Bloody Sunday) : https://www.youtube.com/watch?v=ryde_5JlkSQ
(異邦人):https://www.youtube.com/watch?v=5raK_iAFrn8
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週末なので、富山の五箇山でも妻の蛍とママ友たち、そして長女のアユミと、週末は一緒に食卓を囲み、金森家の合掌造り住宅で寝泊まりする王妃一行は居た。カリア王女も侍女の3人も慣れたもので、人の家のテレビで何度も動画投稿サイトを再生していた。
「小学生の男女が図書室に2人きりで居るのはダメだよね?しかも定期的にだよ。ネットで調べたらシルクロードって、Nhk特集で延々と続いてたんだ」蛍が言うと、諏訪結子と池内知子が噴き出す。
「お母さん、嫉妬もいい加減にしなよ。どうせその頃、生まれてないでしょ」 長女のあゆみに言われ、母もシュンとなる。
「でも夕夏さんの歌声は相変わらずスゴイです。感動しました。気づきました?「あなたにこの指が届くと信じていた」って最初のアカペラを歌いながら、日本の議員席を見ていたんですよ。もう先生に対して歌ってますね、間違いないです」
カリア王女が言うと、気づかなかったと動画を再生して「ホントだ〜」と一同納得している。
土曜日も夕食を食べながら、メンバーが高校生の頃の楽曲を演奏しているのを見て、高校生のあゆみとカリアが「やっぱり、軽音楽部が楽しそうだね」と言い出す。
ディープ・フォレストの結成は第二次バンドブームの時制と重なっており、その頃にヒットした曲ばかりを演奏していた。夕夏が歌ったREBECCAaの2曲は、全国中の高校生達がコピーした。夕夏というボーカリストを抱えるバンドなら、演奏するのは当然の流れだった。
「SASの久和田さんから、沖縄事務所にメールが届いたらしいです。横浜に帰宅される前後で、一度藤沢に遊びに来ませんか?って」秘書の諏訪結子が言うと、日本人の皆が驚く。日本の音楽界の大御所から声を掛けられたのだから。
「お父さんが歌った曲だよね? あの歌ね、車でよく掛かるんだ。何でも、高2の時に修学旅行に行った時にバンドのメンバーから聞かされたんだって。シジミが名産の島根の宍道湖に泊まったらしいんだけど、宍道湖の夕陽が滅茶苦茶スゴかった、シジミも滅茶苦茶美味かったって言ってたよ。 そうそう、由布子さんと咲希さんが弾きながら、ドラムの周りに集まってきたでしょ?何か、2人共泣いてる様に見えたんだよね」
長女のあゆみが正妻も知らない話をするので、どれどれと再生が始まる。
モリが歌った曲は「夕陽に別れを告げて」だった。
「あの日々はもう帰らない、幻に染まる〜」の箇所で3人が顔を見合わせながら、口ずさんで居る。
映像をあゆみが拡大すると、由布子と咲希が笑いながらも目に涙を溜めている。
「修学旅行って、ズルくない? 同じ年で同じ学校に居なきゃ絶対無理じゃない!」 蛍が同じ年代の諏訪結子と池内知子に愚痴るが、3人共小学校に入学したかする前の話だ。物理的に無理だ。2度目なので、王妃も王女も侍女3人もドン引きしている。
諏訪と池内に頭を撫でられて、己の発言を反省する蛍だった。
上海の放送局の動画は世界中に拡散しつつ有り、桁違いの視聴者数となっていた。動画投稿者は1989年の天安門事件の映像を編集して、Sunday bloody sundayを流すMAD(既存の動画や音声、画像などを編集・合成して再構成した二次創作の映像作品)をいち早く作り、視聴者数を伸ばしていた。
当初は、「中国に日和ったか?」
「所詮、少数政党には限りが有るか?」とコメントしていた人々も、
「ディープ・フォレストは真のロッカー集団だった」
「最高だ。月曜の会談を期待している!」
「遂に日本に真の保守政党が誕生した!」と言ったコメントが書き加えられてゆく。
「・・音楽を政治に持ち込みたくはないんだけど、自分達のスタンスやポジションを伝えたり、自分を表現したりするのに、音楽は格好のツールだと思ってる。元々、ロックがそういうものだったしね」
去年の夏にバンド活動を再開した時に、蛍の問いに対して「あの人がそう言ったの」と蛍が呟くと、周りの女性達がイラッとし、心穏やかで無くなる。正妻の方が美味しい場面を数多く共有しているのは当然だからだ。
「スタンスやポジションを伝えて、自分を表現するねぇ・・」アユミが呟きながら、上海市内での映像を、この日4度目となる再生を始めた。 何しろ、父が日本の歌を歌っているのは、娘も見たことが無かったからだ。
(つづく)
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