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芸術は理解され難いものだ。
何故ならば、芸術というのは理解とかの次元ではないからだ。感触なのだ。目で、耳で、鼻で、舌で、肌で、心で、感じる事だ。

主観と客観。
1番大事なのはどちらだろうか?時に私達は客観性を大事にせよと言われる。感じた事よりも理論的かを求められる。それが最大多数の確らしさを生み、正確性に繋がるから。しかし本来それは逆である。まず主観なのだ、感覚なのだ。飽くることなくその人が求める感覚、表象を形にする事こそが彼らにとっての大きな使命であり、芸術の本質だ。それを求め続ける事が彼らの習慣となり、その習慣がスキルを生む。その習慣化されたものが正確さを生む、説得力を生む。

習慣の先に糧が生まれるものだ。
クリエイターは兎角つぶしが効かぬ。だから多くの人達は芸術家なぞやめておけ、何の糧にもならんぞと言う。辛く、厳しい世界、才能が無ければとか、そんな話になっていく。芸術って大変なんだと知る。糧に出来る人はほんの一握りしかいない。

幸せだと感じる瞬間に思いのままに描く事もある。とてつもなく苦しい思いに立って、叫ぶように荒々しく筆を走らせることもある。すべては衝動に基づく。

大事なのは感覚だ。しかしその具体性のない、それを多くの人達に認めてもらうには習慣が必要になる。

感覚は誰もが持ち合わせている、そこに得手不得手もない。それを出し続けられるかが大事だ。下手と言われようと続けることだ。それでも認められず、下手と言われながら死にゆく人もいる。そう残酷な世界。孤独な、本当に孤独な世界。

芸術は生きる姿そのもの。
それを形にするから芸術は凄い。

命を賭して生きてる。皆同じだ。

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