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気づいたら後1週間もなかった

隔離期間を含めると結局5ヶ月タイにいるんだけど、未だに「タイで何してるの?」と言う質問への回答が見当たらない

派遣許可をしてくれた団体から見たら私はボランティアだし、奨学金をもらってる団体から見たらこれはフィールドワークだし、親から見たらただタイにいてのんびり過ごしてるだけ

自分から見たらどうだろう?多分例にあげた全部なんだろうな、そのほかにもいっぱい理由はありそうだけど渡航したての自分は「ラオス留学という大学生活での一番の目標が達成できなかったからヤケクソで何かできないかと無理矢理見つけてきた代替案、現実から逃げるための手段」って答えてた、やってんなあ自分

反省なのが、派遣留学がなくなったからとりあえずなんかしようと思って必死に行動して、結局渡航することがゴールになってしまってたこと、

せっかくこんな状況の中タイにいるんだからここでしかできない経験をしなきゃ、もっと積極的にいろんなことに挑戦しなきゃと自分1人で勝手に焦ってタイ人のみんなが提供してくれたものに物足りなさを感じてしまったこと、

この感情が空回りして結局何がしたいかわからなくなってなんのためにきたのかもわからなくなってうわああってなってたこともあったっけ

でも今ではなんかもういい意味で全部どうでもよくなって、一日中家からでずにひたすら土混ぜたりココナッツの皮剥いでるだけでも十分だと思うし、求めすぎないことも重要だなと感じた。さらに、「なんでタイにいるの?」っていう理由も「なんでもいいじゃん居たいから居るんだよ」的な感じに考えるようになった。もうすぐ帰るけど

5ヶ月を通して、タイ語のスキルは期待してたよりは上がらなかったけど、それでも前よりは格段に話せるし聞き取れるようになったし、何より見ず知らずのタイ人にタイ語で話しかけて道聞いたりできるようにもなったので結構な成長じゃないかなって思う

水シャワーも死んでる衛生概念も計画という概念のないタイ人に振り回される毎日もストレスとかじゃなくてむしろ楽しめるようになったし、この経験が自分が今後成長していく際の材料になってくれるんじゃないかなとも感じる

どう見ても口に入れるもんじゃないだろ〜みたいなもの食べても毎回全然お腹壊さない自分の体ってすごくない!?とも思うし自信にもつながった(何の)

そして結局どこで何をやったって一番自分が重要視するのは人との関わりだなあと感じた

プーケットの隔離にあまりいい思い出がなかったのはずっと1人で見ず知らずの地でお金のない観光業の人に狙われ続けながらふらついてたからだし、ラッチャブリーのミャンマー村がイマイチだなあって思ったのも典型的な観光地で仕事してる人が私が外国人と分かった途端いろいろな理由をつけてお金をたくさんとろうとしてきたから

もちろんどちらの地もそこの場所自体だダメだとかそういうのでは全然ないし素敵な部分もたくさんあるんだとは思うけど、やはりその地で関わった人ってその地のイメージと直結するなあと

だからこそ自分が「タイが好き」としつこく言っているこれを自分なりに変換すると「今まで出会ったタイ人の方たちがみんながいい人すぎた」っていうことかな

もう会えない人とかも結構居るので手遅れ感はすごいけど今まで出会ってたくさんたくさんのお世話になったタイ人の皆様に心からの感謝を1週間でできる限り伝えていきたいですね

相変わらず何言ってるか分かんない文章ですが今からホストファミリーがフェアウェルやってくれるみたいなので楽しんできます読んでくれてありがとう〜!

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