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年を重ねる ≠ 大人になる



「27歳ってもっと大人だと思ってた。」

最近、久しぶりにあった友人がそんな事を言った。私は「あーそれ誰かも言ってた気がする。」と返した。今までで何度かその言葉を聞いた事がある気がする。多数の人が似たような感覚を覚えるんだろうか。私にはその感覚は一切ない。だからといって、理想の大人になっているという感覚があるわけでもない。今より幼い頃に20代の自分についてそんなに深く考えた事がなかった、というのが理由だと思う。小さい時から未来に対して期待したり想像したりすることは少なかった。私は今の私であって、今感じていることしか頭になかった気がする。今を生きるので精一杯という感覚。


大人ってなんだろう

「もっと大人だと思ってた」と言う言葉には、"予想していたのとは異なる"というニュアンスが含まれているように感じる。それは"大人"と言う言葉の概念によっても大きく違ってくる。友人の言う大人が何かはわからないけれど、私の中での大人を定義しておきたいと思った。

少し前の私は他人を嫌う事や、他人に対して怒りの感情をは抱いてはいけないと思っていた。そういう感情を抱く人は大人ではないと思っていた。けれど、それは間違いだと今は考えている。大人でも嫌いな人くらいいるし、怒りを感じることもある。大事なのはその感情の処理の仕方を知っている事。波風を立てずに去るのもありだし、落ち着いて伝えるのもあり。時は激しくぶつかったっていい。自分の感情に波風が立った時、その自分の気持ちを自分で受け止め、認める事ができる事。それが大人の重要な要素だと思う。

その為には自分はどんなことに喜びや幸せを感じ、どんな時に悲しみや怒りを感じるのかを理解する必要があると思う。人生を歩む中で、変化していく自分が、その都度、どんな生き物かを知り続けていく事。


自分を知る事

 ミステリという勿れというドラマでこんな言葉があった。「人に会い、人を知りなさい。それは自分を知る旅だよ。」人が年を重ねるごとに大人になっていくのはまさしくこれだと思う。様々な人に出会い、様々な出来事を経験し、たくさんの感情や処世術を学んでいく。自分とはどんな人かを経験の積み重ねで知っていく。そして自己や他者までを受容出来るようになる。自分の柔軟性が広がるのだと思う。自然と大人になるようにできているのではないだろうか。



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