「自分」という枠からの解放
僕はインスタグラム上で、デジタル写真で構成するグリッドコラージュを展示しています。簡単に言うと、マス目を使って遊んでいるということです。
「こんなことがあった」という日々の記録のような形でインスタグラムを使っている人も多いと思います。またアーティストであれば、自分の作品を紹介する手段として使っている人も多いと思います。僕も以前はそうしていましたが、去年から使い方をガラリと変えました。
今では僕はシンプルに自分の表現にインスタグラムは使っていますので、宣伝用途ではありません。何かお知らせがあるときには、ストーリーを使っています。インスタグラムを宣伝目的として使いたい方には、僕のような使い方はあまり向かないだろうと思います。僕のインスタグラムは、オンラインギャラリー、またはホームページのような、キュレーションされた場に近い感覚で作っているかもしれません。
ここ15日間、インスタグラムで「NARCISO (ナルシソ)」というグリッドコラージュを展開していました。45のグリッドを使って、詩的な短編映画のような世界観を作り上げています。これまでもグリッドコラージュはいくつか作ってきていましたが、今回新しかったのは、2つのアカウントのグリッドを鏡のようにして同時に展開していくという手法を試みたことでした。
今回の試みが実現した理由は、僕のアカウントを見たベネズエラ人パフォーミングアーティストのワ・イカラが、ぜひコラボをというオファーをしてくれたからです。僕のやっていることに共感を覚えたそうです。そして企画を進めていく中で、彼がギリシャ神話に登場するナルキッソスをテーマにというアイデアを提示してくれたので、僕はそれを意識して2人分のグリッドを構成していきました。
僕のグリッドは基本的に花などを用いたり、暖色で構成し、ワのグリッドは水をモチーフに、寒色で構成しています。またお互いに鏡を用いて、私はあなた、あなたは私、というようなニュアンスも匂わせています。
さらに、僕のアカウントはタイトルイメージを始めに持ってきて、ワのアカウントではタイトルイメージは最後に持って来ています。なんとなく陰と陽のシンボルのように、分離したものがぐるぐると回ったり、ダンスしているような感覚をも孕ませています。
互いに住む場所も、触れている文化も違っていますが、インターネットを通じてこういったアーティスティックな実験が可能になっていることに、やりながら改めてデジタル時代へのありがたさを感じました。僕とワ・イカラ、2つの物語は別々に展開しているけれど、実は同じ物語。ただ思考的な物語構成ではなくとても感覚的。2つのアカウントが調和する様を感じていただければ嬉しいです。
今回は何となくではありますが、ルキーノ・ヴィスコンティやイングマール・ベルイマンの映画の、ミステリアスなエッセンスが香るような写真で僕の方のグリッドを構成していきました。それに加えて、影などを使ってどこかドラキュラを彷彿とさせるような画作りも少し意識してみました。
主人公「僕」の独白のような形で物語が展開していくのも僕のグリッドの特徴でもあります。僕と「僕」は関係があるようでない。どこかパラレルワールドの自分のお話のような感覚。いつもとやり方は変わらないのですが、この自分の体をおとぎ話のキャラクターとして使っているんです。
今回は初めて撮影にメイクも使用してみました。と言っても、きれいにはメイクを施していません。やったこともなかったですし。それよりも「使ってみた」感覚を見せられたらと思いました。その「使ってみた」感覚が、「僕」に何かを気づかせるので、きれいにメイクしないことが実はポイントにもなっています。
また、神話のナルキッソスが死んだ側にひっそり咲いていた花とされる水仙を、「僕」の母が好きだった花とし、物語の中に「僕」と母との対話のような感覚も込めています。
実際に僕の母も水仙が好きで、子供の頃に家の敷地内に水仙が植えられていたのを思い出します。ただ、この物語の母とは関係はありません。この物語の母は生きているのか亡くなっているのかはっきりしません。とてもミステリアスな存在にしています。僕の母はまだまだ明るく元気に生きています。
『ナルシソ』の11日目の写真には、「その時までは僕は、自分のことを『人間』だと思い込んでいたのです。」という言葉を添えています。ここでいう「人間」とはつまり、「自分はこういう人です」という、自分が自分に施している枠のこと。本来の広がった自分自身ではなく、社会や人の目を意識し、それらに合わせた自分です。
知らず知らずのうちに僕たちは「自分はこういう人間である」という枠を採用して使っていたりするものです。そしてその枠の中で考え、行動をする。とても窮屈な生き方です。
しかし、物語の「僕」は自分の心の声に素直に寄り添う時を迎えます。彼が作り出した自分から解放されて自由になるのですね。それが社会では変に思われるようなことであっても、彼の魂にとっては幸せでしかなかった。そういった気づきを「僕」は得ることができた。そして「僕」はこれからの人生を真の自分として生きていく。そういったニュアンスをこの物語で表現しています。
インスタグラムであろうと、紙や水を用いたアートであろうと、僕は「自分らしい生き方」を表現したいと思っているんです。「自分らしい生き方」というものも枠のような気がしますが、自分の感覚に寄り添ってあげる感じに近いかもしれません。そして自分がそうやって生きて表現していれば、その音はきっと伝わり、受け取ってくれる人たちがいるだろうと思います。これはある種僕の願いのようなものかもしれません。
もしこれを読んで僕の今回のインスタグラムのグリッドコラージュが気になった方は、よかったら『ナルシソ』を見てみてください。上に書いた理解を持って触れると、もしかしたら全く違うものに見えてくるかもしれません。
今回も読んでいただきありがとうございました。
また次回お目にかかれることを楽しみにしています。
太陽
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