正解至上主義の限界──“なよなよ”と言われた若者は、AI時代に逆襲する
はじめに
こんにちは。中小企業診断士の古谷太陽です。
この記事では、AI時代における働き方や価値観の変化について私なりの考えを共有したいと思います。最近、中堅以上の世代の人々から「若い世代は欲がないよね」「なよなよしていて芯が無い」と嘆く声がよく聞かれます。しかし、本当にこの指摘は正しいのでしょうか?実はこうした彼らの生き方が、AIがもたらす「新たな時代」を乗り越えるのに適しているとしたら、見え方が大きく変わってはこないでしょうか。
昭和・平成の時代は「これさえやれば間違いない」という正解が重視されてきました。でも、それが今の時代に合わなくなっているというのは、多くの方が感じている通りです。AIの進化も相まって、「客観性」や「正解主義」そのものの意味が揺らぎ始めた今、私たちは何を軸に生きていけばいいのか。そんな問いを一緒に考えてみたいと思います。
1. 昭和・平成的な「ひとつの正解」を追う発想
まずは、昭和・平成という時代背景を振り返ってみましょう。高度経済成長期からバブル期にかけて、日本では「どうやって大量生産・大量消費を効率よく回すか」が大きなテーマでした。学校教育でも会社でも「これが正解」とされる道筋があり、それに従う人ほど“優秀”と見なされたのです。
しかし、こうした正解重視の空気は「自分の個性は抑えて、とにかく組織の方針に合わせる」ことを奨励する側面もありました。主観よりも客観性を求めるあまり、“自分の色を殺して働く”のが当たり前だったわけですね。ところが、そんな働き方を続けてきた人ほど、AIに対して「心が通っていない」と手厳しいことを言うことがあるようです。考えてみれば、自分自身も“血を通わせない”働き方をしてきたのに、AIだけを“無機質”だと批判するのは、ある種の矛盾に感じられませんか。
2. AI時代が突きつける「客観性の限界」
そんな中でAIが急速に進化し、「人間にしかできない」と思われていた思考や知的作業にも入り込むようになりました。特に大規模言語モデルの登場によって、自然な文章の生成やビッグデータの高度な解析などが瞬時に行われるようになり、これまで「論理的思考」や「正確な計算処理」を得意とした人材の強みが脅かされ始めています。
すると、昭和・平成的な「客観性こそが人間の武器」という考え方で頑張ってきた人には、ショックが大きいでしょう。先ほど記載したような、世間に蔓延るAI批判は、人間の存在意義が奪われる不安の裏返しともいえます。しかし、「じゃあ、AIに勝てないとすれば人間はどこで勝負するのか?」と考えると、もはや客観性や効率だけでは太刀打ちできない時代が来ているのかもしれません。そこにこそ、私たちの次の一手を示すヒントが隠されているのです。
3. プラトンのイデア論が映す「唯一の正解」とその危うさ
さて、少し昔の話になりますが、古代ギリシアの哲学者プラトンは「イデア論」という有名な考え方を示しました。この世で見るリンゴや机といったものは不完全な姿であり、“本当のリンゴ”や“本当の机”といった完璧な形(イデア)は別の次元に存在するという発想です。
昭和・平成的な正解主義は、ビジネスや教育の世界でこのイデア論に似た“完璧な理想形”を追い求めようとしたともいえます。例えば、「全員が同じやり方で動けばミスが減り、安定した成果を出せる」という仕組みづくりは、理想的にはうまくいくかもしれません。しかし、現実はそこまで単純ではありませんし、唯一の正解を押し付ければ多様な個性や現場の創造性が抑えられてしまいます。
「このマニュアルを守ればいい」と言われると、人は自分で考える努力をやめてしまいがちですよね。変化の激しい時代に、そんな組織は思わぬトラブルに対応できず、脆くなってしまう可能性が高い。だからこそ、今は“一つの完璧な正解”を求めるより、柔軟にいろいろなケースに対応できる体制が求められているのではないでしょうか。
4. カントの認識論とコペルニクス的転回
プラトンの話を受けて、もう一歩踏み込みたいのが18世紀のイマヌエル・カントが説いた認識論です。彼は「私たちは“モノそのもの”を直接見ることはできず、自分の認識フィルターを通して世界を見ている」と考えました。これを「コペルニクス的転回」と呼ぶのですが、要するに「世界があって人間がそれを観察している」のではなく、「人間の認識の仕方が世界を決めている」という見方を提示したのです。
これをビジネスや社会に当てはめると、「完全に客観的な正解なんて実はどこにも存在しない」という結論につながるかもしれません。昭和・平成的な正解主義は「客観的に見て、こうするのが一番良い」という前提で動いてきましたが、実は人間のほうが主観的に世界を捉えている以上、その正解自体も相対的なものにすぎないのです。
AIがさらに発展することで、“純粋な客観性”や“完璧な理想”をコンピューターが追いかけやすくなる一方で、人間には「自分の好みや主観をもとに価値を作る」生き方が残されていると考えることもできます。まさに「コペルニクス的転回」ですよね。私たちが「何を好きか」「どう感じるか」が、より重要になっていく時代と言えるでしょう。
5. 若い世代が受け入れている“不確定性”と量子のイメージ
では、そんな時代の変化のなかで、若い世代が見せる「曖昧さの許容」にはどんな意味があるのでしょうか。たとえば、新卒で入社しても数年後には別の会社に移ることを想定していたり、複数の仕事を掛け持ちしてみたりと、一つに固執しない自由度の高さが目立ちます。
量子力学の有名な思考実験に「シュレーディンガーの猫」がありますが、“箱を開けるまでは生死が重なり合っている”という不確定な状態を、若い世代の多くが当たり前のように受け入れているかのように見えます。だからといって「欲がない」「なよなよしている」と断じるのは早計かもしれません。不確定性を受け入れながら複数の可能性を模索できることは、変化の激しい現代においてむしろ強みになる可能性が高いのではないでしょうか。
6. “好き”を軸にした新しい働き方
こうした“不確定性の許容”とリンクするように、若い世代が大事にしているのが「自分の好きなことを軸にする」という姿勢です。たとえば、YouTuberやクリエイターを応援する“推し活”を全力で楽しんだり、就職先も「この会社のビジョンが好きだから」「この社長の考えを応援したいから」という理由で選んだり。客観的なランキングや大企業の肩書きだけでなく、「好き」という主観的な思いが最終的な判断を左右しているのをよく見かけます。
ある意味、それは“客観性でAIに勝てない”と割り切ったうえで、「自分なりの主観や推しポイントをいかに活かすか」に集中し始めているとも言えますよね。まさに昭和・平成的な価値観から、カントが言う“コペルニクス的転回”が起きつつあるのだと思います。
7. 私が「日本で一番従業員に優しい会社」を目指す理由
私が「日本で一番従業員に優しい会社」を作りたいと考えているのも、この流れと無関係ではありません。AIが台頭し、作業効率や生産性を追い求めるだけなら機械に任せられる時代に、人間の“好き”や“想い”を活かす経営こそが強みになると感じているからです。
従業員が自社を「この会社は私の推しだ」と思えるような職場なら、自然とアイデアも生まれやすく、みんなが前向きに動き出すはずです。逆に、従業員の個性を殺し、“客観的に正しいやり方”を押し付けるだけの企業は、AIに取って代わられたときに武器を失ってしまうかもしれません。だからこそ、人の思いや好きなことを大切にする組織づくりが、これからの経営戦略において大きな意義を持つと考えています。
おわりに
今回の記事では、昭和・平成的な正解至上主義の時代から、AIがもたらす「客観性の限界」を経て、プラトンのイデア論やカントの認識論(コペルニクス的転回)などに触れながら、人間の“主観”や“好き”が重要になる流れをお話ししました。若い世代の人々が自然と“不確定性”を受け入れながら生きているように感じられることも、その一端を象徴しているのではないでしょうか。
「客観的に正しい」と言われるやり方が、AIによってどんどんアップデートされるなら、私たちは別の方向で勝負するほうが賢明なのかもしれません。自分が本当に好きなこと、共感できることを軸にしたり、組織の歯車ではなく自分らしいアイデアを発揮したりする働き方こそが、AI時代の新しい強みになるように思います。私も「日本で一番従業員に優しい会社」をつくることで、その未来を少しでも具現化していきたいと考えています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今後も皆さんと一緒に、AI時代における人間らしい働き方を探求できれば嬉しいです。もし今日の内容が少しでも興味深かったら、またこのnoteを訪れてみてください。
中小企業診断士 古谷太陽(フルタニタイヨウ)
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