渡りくる人々シリーズ2021 H
秦河勝と平安京②
古代の京都盆地。
その中に、
渡来人の一族が。。
秦氏。狛氏。
はたし。こまし。
岡野屋氏。
おかのやし、と読む。
やはり最大の勢力は、
秦氏。であった。
のちに、
長岡京、平安京。
現在の京都全域に
居住分布となり、
この地で
文化、文明の形成。
いわば、基礎を作っていったと。
渡来人のみならず、
在来、在京の人たちとの
協業も見逃しては
ならず。
2021/10/7
遣隋使の小野妹子①
小野妹子は、
女ではおまへん。
男です。
いもうとの子でなく、
いもこ、と読むのは
過去に高等教育を受けてきた皆さん方なら、
容易にお判りでしょ。
妹子は、
遣隋使として派遣されました。
では、何故派遣されたのか?
この理由は教科書にも
記載されてません。
大学や高校の入試には、
あまり必要でないと、
考えられたのでは?
でも、ここでこの歴史の
蘊蓄を披瀝しておきたい。
属していた「小野」氏。
海、ウミを活躍の舞台
にする氏族だったから。
海事や軍事、、、を
主に担当する氏族だった。
湖岸の大津市にある、
「小野村」を本拠地とし、
琵琶湖で鍛えられた、
水運技術を代代に亘り、
持っていて、
国際的にも
広がりを持つものとして、
彼らの技術力を
蓄えて行ったと思える。
この琵琶湖という、
内陸の湖が。
2021/10/17
遣隋使の小野妹子②
まずは、
倭の五王。倭(わ)とは、
当時の中国からみた、日本国。
これは、知ってまんなあ?
皆さん。小学生でも。
知ってるし、なあ?
倭の五王とは、
中国の歴史書『宋書』倭国伝に
記されている、5世紀に
大和王権を治めた王たち。
その名は、
讃(さん)、珍(ちん)、
済(せい)、興(こう)、武(ぶ)で、
中国風に書き表されてます。
しかしながら、、
倭の五王と日本史上の天皇との対応は、
諸説あるという。
• 讃は応神、仁徳、履中のいずれかに。
• 珍は仁徳、反正のいずれかに。
• 済は允恭に。
• 興は安康に。
• 武は雄略にあたる。
この五王以来、
ほぼ100年振りの日中外交。
これが「遣隋使」となる。
しかも隋(ずい)は、
中国で350年振りに誕生した、
巨大帝国。しかも
中国を統一した強力な帝国だ。
日本では、
果敢に自分の国の王。
王は、我れが天子だと主張するも、
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