【台北 西門町】ナウなヤングが行き交う街で歴史散策
台北駅から地下鉄で1駅の「西門町」は、東京の渋谷や原宿に例えられるように、連日若い人でにぎわっています。
今回はこの西門町で、ナウなヤング(死語!)が喜びそうな場所は無視して歴史散策を楽しんでみます。
西門町の名の由来
西門町は、その名のとおり西門があったことからこのように呼ばれています。
清の時代、台北の中心部は城壁に囲まれており、城壁の中と外を結ぶ門が、北門、東門、南門、小南門と、この西門の5か所ありました。そのうち、北門は清の時代当時の姿で保存され台北市の象徴になっていますが、西門は日本時代に都市再開発を理由に取り壊されてしまいました。
駅前に、門があったことを記した小さなモニュメントがあります。歩行者天国になっている「ナウなヤングが行き交う場所」とは反対側の出口にあるので、誰にも気づかれることなくひっそりとたたずんでいます。
清の時代の役人がコーヒーを飲んでいる?
では、広い道路を渡りましょう。
西門町を象徴する「ナウなヤングのアベック(死語連発!)」がスマホで自撮りしている西門町を象徴する銅像があります。
その奥には長い髪を後ろで結んだ、清の時代の格好をした人が座っています。台北のまちづくりの基礎を作った劉銘伝(りゅうめいでん)といい、台湾の歴史の教科書にでてくる、とても偉大な人です。
これらの銅像は、台北の街ができた130周年記念に建てられたもので、清の時代の台北の地図も用意され、劉銘伝の功績を称えています。
劉銘伝の右手を見ると、カフェでテイクアウトしたコーヒーを持っています。そんなバナナ(死語!)と思いますが、劉銘伝がタイムマシンに乗って今の時代にやってきて、現代人とコーヒーを飲みながらおしゃべりを楽しんでいるという設定なのだそうです。
まるで、台北の街を起こした本人が、道行く人々に今の台北の住み心地を聞いているようです。
別の日に通りかかった時、銅像の奥のビルで工事をしており、首には立入禁止のテープが巻かれていました。ちょうどいい場所にあるからといって、これは少しかわいそうですね。
レンガ造りのレトロな建物
台湾の偉人に別れを告げて先に進むと、レンガ造りのレトロな雰囲気バッチグー(死語!)の建物があります。
中は、クリエイターのオリジナルグッズを販売するスペースになっていて、いつも若者でにぎわっています。
「最初にナウなヤングが好きな場所はスルーすると言ったのに、どうしてここを案内するの?」と質問される前にお答えしておきます。
ここは、日本時代に建てられ、西門町の歴史を知る上でとても大切な場所なのです。
1908(明治41)年に建設され、近くに住む日本人用の市場としてにぎわっていました。
市場ができる前、この付近は荒れた墓地でした。そのため、東洋と西洋の邪気を取り払うパワーを取り入れた、斬新なつくりになっています。
正面の八角形の建物は、中国の道教の魔除け「八掛」をデザインし、奥の細長い部分は、途中でクロスし西洋の十字架を表現しています。
建物の中はナウなヤングが集まる場所なので、お約束とおりスルーします。
駅前のレインボーカラー道路
道を渡ると、レインボーカラーに塗られた道路に、大きくTAIPEIと書かれているのが見えます。インスタ映えスポットとして最近人気になっていますが、今回はナウなヤングが好きそうな場所はスルーすることにしているので、ここは横目でチラッと見て通りすぎましょう。
弘法大師を祭る珍しい廟
ぼーっと歩いていると気が付かずに通り過ぎてしまいそうな、ビルに挟まれた廟(道教のお寺)があります。一歩中に足を踏み入れると意外と広く、外の喧騒がウソのように、おごそかな空間が広がっています。
朱に染まるエキゾチックな空間に心が奪われますが、本殿に向かう前に後ろを振り返ってみてください。日本的な空気を感じると思います。
この像は日本の弘法大師です。日本時代にこの場所は真言宗の弘法寺だったことから、今でも弘法大師を祭っています。
本殿には道教の海の神様媽祖などが祭られていて、台湾と日本の神様の両方に一度にお参りできる貴重な廟です。
まだ見どころはたくさんありますが、今回はこの辺でドロンします。では、バイナラ(死語×2)