他人と比較することをやめたい。
他人との比較がやめられない。
例えば、友達はもう結婚しているとか、奥さん彼女が美人とかとか、大企業に努めているとか、収入が高いとか、顔がかっこいいとか。
そういう比較をしてしまって、夜眠れなくなることがある。
比較しても無駄なことなのに、眠れなくなるくらい考えたところで変わらないのに、なんで比較しちゃうんだろう。
僕は今まで他人と比較して、幸せな気持ちになったことは一度もない。
それはそうだろう。幸せな気持ちにはなれないだろう。
他人と比較して全部優っている完璧な人間なんて存在しない。
キムタクだって、福山雅治だって、スティーブ・ジョブズだって、他の人より劣っている点はいっぱいある。
でも、なんでかなぁ。しょうがないのに比較しちゃう。
隣の芝がどうしても青く見えてしまう。
比較したところで、不幸になるだけなのに。
なので、どうしたら比較しないで済むんだろうって考えてみた。
結論としては、「他人の評価の中で生きない」ということだった。
その心は、他人からの評価の中で生きずに、自分の軸を持って生きていくことが、比較しても不幸にならない方法だと思う。
いろいろ考えてみたけど、他人と比較してしまうことは、もうどうしようもない。
SNS時代においてこれは避けられない。
人間はそういう生き物ということで、他人と比較してしまうことは一度受け入れてみる。
でも比較することで「不幸」になるのは嫌だ。
気分が落ち込んだり、相手が「上の人間」だと羨望したり、心がマイナスに働くことが嫌だった。
じゃあ逆に、比較しても人は人、自分は自分と思れば、それでいいって話なんだ。
そして、自分は自分と思うようにするには、「自分の中の軸」を持つことが大切だ。
「自分の中の軸」とは多分生きていて、楽しいと思える選択を導く「矢印」のようなものだろう。
そして、自分の中の軸を考える上で邪魔なのが、他人の評価だ。
他人からこう見られるから、こういう行動をしよう。とか他人ファーストの選択をしていると、本当に自分が楽しいと思えることが抜けてしまう。
まさに自分を演じていることになってしまうと思う。
優等生を演じることになってしまう。
なので、他人の評価の中にはないところから、「自分の中の軸」を見つけることが大切なのだろう。
ピュアな軸。鮮度の高い軸だ。
でも「自分の中の軸」と簡単にいうけど、難しい。
軸というと唯一無二間が出てしまう。
でも軸は変更可能だとも思う。
昔読んだ本を今読むと、昔とは全く別の感想を持つように、人は簡単に変わるものだと思う。
だから、試しに自分の中の軸を持つ。ということは大切なのだろう。
「自分の中の軸」を試しに持ってみる。
そんで、他人と比較してしまった時に、不幸にならないようこの軸に支えてもらう。
軸が折れそうだったら、別の軸を探しに行く
他人との比較が避けられない世の中で、自分は自分と思える軸を常にアップデートすることが、不幸にならない方法なのだろうと思う。