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働くことを拒否する子どもの人形
□景色
ピノッキオは世界でもっともよく知られた人形キャラクターでありながら、その物語全体を正確に知っている人はきわめて少ない。理由は言うまでもなく、ウォルト・ディズニーが原作の残酷さや両義性を上手に取り除いて誰もが感動する冒険ファンタジー作品に仕上げたため。
原作のジェッペットは極めて貧しい生活を送る。部屋に小さな暖炉はあるが、「火は絵の具で描いたまがい物だし、火にかけてぐつぐつ煮えている鍋も描かれた絵」で、家に食べ物は何もなかった。
□本
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『100分de名著 コッローディ ピノッキオの冒険』
和田忠彦 NHK出版 2019年
目次
はじめに
第1回 統一国家とあやつり人形
第2回 嘘からの成長
第3回 子どもをめぐる労働と不条理
第4回 「帰郷」という冒険
□要約
当時の子どもたちは毎日のびのび遊んで楽しく過ごす存在などではまったくなく、もっぱら労働力としてとらえられていた。公教育が始まったとはいえ、学校に通っていた子はまだごく一部だった。
五〜七歳の児童労働もまれではなく、若年労働者つまり子どもたちは大人の五分の一の賃金で、大人と同じ一日十五時間働くのが普通だった。また屋根裏部屋で暮らす子どもも多く、衛生に深刻な問題を抱えながら生活をし、劣悪な環境に置かれていた。
子どもたちには本当に過酷なさだめしか用意されていなかったのが、十九世紀のイタリアの状況だった。
「恥ずかしいと思わないのか? 道ばたでのらくらしてるくらいなら、ちょっとでも仕事を探しにいくがいい、それで自分でパンの金を稼ぐ仕方を習うがいい」
食べるためには働かなければいけない。《働きバチ》の村を支配しているのは、労働と生きる糧としてのその対価という関係。その構造において、子どもも例外ではなかった。しかしピノッキオは拒否しつづける。
誰もがせっせと働いてサボっている人がひとりもいない村に、ピノッキオは「この村は、ぼくには向かない!」と「すぐに気づ」き、どれだけの人から働けと言われても、「ぼくは、働くために生まれてきたんじゃない」という信念のもと、働こうとしなかった。
そんなピノッキオを誘惑し、だまし、ついには殺してしまう足の悪いキツネと目の見えないネコは、誤解を恐れずに言わば身体障害者の象徴として描かれる。当時の厳しい社会状況の中で身体に障害を抱えるということは社会から切り捨てられることを意味していた。
切り捨てられた人間たちがみずから再び社会と関わろうとしたとき、そこにどんな選択肢をもったか。社会から見捨てられたことに対するルサンチマンや憤りを最初に振り向ける対象として人形のピノッキオを選ぶ。
筆者コッローディの当初の狙いは、自由に生きようとする子どもは結局不条理な目に遭ったり、悲劇的な結末を迎えたりするという社会の現実を読者に突きつけることにあった。