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教育を支える思想
□景色
教育を支える思想(1974)
日清戦争から日露戦争、一九三一年から四五年にいたる長期の戦争も、明治以来の権力の側から国民への、実に計画的かつ緻密な教育制度および教育思想の浸透なしには、絶対に実現されなかった。われわれ自身の生活に根をすえた正しい教育方針が人民の側からうちたてられなければならない。
教育の面でも、いろいろなことが少しずつ変化してくるとき、もしそのひとつひとつを小さい変化だからといって見逃していれば、数年間の累積によっても大きな変化に成長する。既成事実の積みかさねは、いつも政府のやるところ。国民の側としては、たえず抵抗と建設との、この同じような小さなものの集積の努力をつづけなければならない。
□本
「教育の解放・人間の解放」『教育を支える思想』
古在由重×堀尾輝久 岩波書店
*話し役古在の発言から構成
□要約
今の学生は無駄なものを読まない。小説や自然科学のものでも、受験勉強から大きくはずれたものはあまり読まれない。
敗戦直後の一九四七年に東京工業大学の試験問題にいままで読んだ本で一番感銘の深い本をあげてくれ、と問うと吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』が多かった。それからずっと見ていると、そういうものはしだいに少なくなってきている。
大学へ入って、いきなり社会科学の古典、または入門みたいなものだけがよく出てくる。やはり無駄がなさすぎる。
思想史では、それぞれ過去の思想のなかにはぐくまれた特定の思想内容や思想方法をつかまえ、これによって過去の古い思想体系をつきくずしていくという内容告発的な仕事。これが欠かせない。
自分の思想はたどたどしくても、自分で形成していくということ。教師の力を借りるにしても、読書の力を借りるにしても、自らかたちづくっていく過程は必要。これが踏み固められていなければ、結局は思想の堅実さ、着実さも不十分になる。
人によっては非常に短い期間でそれをやる人もあるだろうし、長い期間をかける人もあるだろう。けれども、もしそれなしにあまりにすらすらと理論の頂上へ登ってしまうと、自分自身としても不十分だし、また世間の人びとの考え方を理解する点でも不十分になる。
教育というのは、ていねいに種をまき、芽を出させ、ゆっくり花を開かせるというような仕事。あまり人為的に、肥やしをむやみにやったり温室であたためたりして、季節はずれの花や実を収穫するのは、かえって外界の自然への気候や風雨には弱いものをつくってしまう。
内側から育つのを待たなければならない。