教育の自由
□景色
戦後教育の自由(1966)
戦後教育の評価としてすばらしい点は、一言でいえば、自由であるという点。自由な雰囲気にあるということ、教師ばかりでなく児童もそう、これがいちばんだいじ。
児童は明治・大正にくらべるといろんなことを知っている。単に知っているだけでなく、いろいろ意見を持っている。むかしのように先生のいうことをなんでも金科玉条として従って、その前に平身低頭という態度ではなく、いろいろ考えをいう。その間じつに自由な雰囲気がある。
□本
「教師の使命」『対話 民族と教育』 東京大学出版会
南原繁×伊藤昇
*話し役南原を中心に構成
□要約
日本の将来をほんとうに思い、これからの百年を考えて、りっぱな日本の国がおこるかおこらないかという問題は、政治、経済以上に教育の問題。国民が人間としてりっぱに世界のなかに伍していくには、教育の理念、最後は自由と平和の問題に関連してくる。教育をどっちの方向にむけるかが、日本の将来を決定する分岐点。政治問題できめてはいけない、政治家がきめてはいけない。
教育、文化には根本の政治条件がある。根本条件に関するかぎり文化や教育の立つ基礎なので、いかなる教育の場にあってもいかなる文化人もこれは守っていかなければいけない。それは自由と平和の理念。
自由がなければ教育はなりたたない。自由の雰囲気はここからきている。単に雰囲気ばかりでなく、自由というのは真の内面的な問題に関するもので、これは教育にほかならない。ことに教養ということをいう以上。自由なくして教養も文化もない。平和もそう。
平和の問題は政治経済の問題とか自然科学と技術の問題以前に、学問的真理と同義の問題。日本の将来にこれがたいせつ。平和も自由も政治的・社会的問題であると同時に、もともと内面的・精神的な問題。
教育にたずさわる者はつきつめていえば魂、精神に関わる仕事をもつ。人間の内面的精神の問題—究極は児童に対する愛と真実—教師たるもの、なかんずく使命感をもつべきではなかろうか。毎日の課業に興味と喜びをもって、それを使命とするところまでわれわれはいきたいものだ。