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変貌し続ける「当たり前」の社会の中で(大正地区社協だより NO.2)

残念ながら、3月7日(日)までの緊急事態宣言は4都県に限り解除されず、21日(日)まで再延長されることになりました。この延長期間中に「東日本大震災10年」を迎えます。


新聞やテレビで、10年を振り返っての特集記事や特別報道番組が流れてきます。

避けることのできない天災、被害を最小限に止めるための科学技術と政策、その時に遭遇した運・不運とが複雑に絡み合いながら、生死を分けた情報が流れています。

日本は災害列島と言われ、毎年訪れる台風、数十年から数千年毎に発生する大地震や火山の噴火、いったい、この日本国で生きてきたご先祖たちに平穏な生活、時があったのだろうかと? 僅かに、高度成長時代の昭和の一時期だけ?  むしろ、何らかの試練に見舞われることが常であって、平家物語の冒頭の一文 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」のごとくです。
そんな中、先人たちは共同体を作り助け合って乗り切ってきました。我々はその子孫であります。

現在、公助とも言うべき福祉施設・制度が整備され福祉の向上が図られてきました。一方、地域の共同体は職種の多様化と活発な人の移動と相まって、ご近所同士の繋がりが薄れ、煩わしさから解放されて、個々人の自助と公助に委ねられるようになってきました。


しかし、少子高齢化と高度情報化社会へと進展するに及んで、従前までの「当たり前」の生活を維持できない人々が増大してきました。多種多様な困りごとも増えてきました。

我々は、何時でも何処でも、一瞬のうちに「当たり前の生活」を奪われてしまう世界の中で生きていることを認識しておくべきだと思っています。事が起きてから対処する前に、事が起きないように、常日頃から「ゆるやかな繋がり」を持って、情報共有しながら、安心して生活できる地域社会を再構築すべきと思っています。


昭和と平成世代の「当たり前」は必ずしも一致しないでしょう。結婚、核家族、働き方、教育、科学技術、男女共同参画、葬儀の簡素化等々、数えきれないほどの「当たり前」が変わってきました。でも、人が幸せを求めることに差異があるはずがございません。

世代間のギャップは「ホームページ」やIT機器を賢く活用しながら、みんなの知恵を結集して、目前の課題を一つひとつ改善して行きたいと願っております。


最後に永六輔さんのことばを紹介させて頂きます。読売新聞の編集手帳の切り抜きで、いつも手帳に挟んで持ち歩いているものです。

<生きているということは / 誰かに借りを作ること / 生きてゆくということは / その借りを返してゆくこと> 

(大正地区社会福祉協議会 会長 萩谷 邦昭)

大正地区社協だより NO.2


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