義務教育終了後の足跡③: 高校再登校から大学受験
再度高校に通うことにしたものの、スムーズに復活したわけではなく、学校にいくふりをしながら近くの公園でゲートボールを眺めていたところまでは前回のnoteに書きました。
かといって毎日行くふりをしていたわけではなく、ちゃんと授業を受ける日もありました。疲れたら途中で帰ったり、部活(テニス部)にだけ行ったりという日もありました。そうした日々を約1か月経たのち、徐々にほぼ毎日授業を受けるようになりました。今でも覚えているのですが、復帰した最初の試験で学年最下位から二番目になった時は、当たり前ですがそこそこショックでした。と同時に、授業を約3か月受けていなかったのにビリじゃなかったことに謎の自信がわいてきました。再スタート点がビリから二番目だったので後は上がるだけで、テストの度にぐんぐん順位が上がっていくのは何とも言えない快感がありました。ただ、不登校になる前の順位を超えることはなかったので、まあそこが私の限界だったということなのでしょうか。
高校に再度行き始めてからは、「高校に通う意味」というのをあまり深く考えず、とりあえず今目の前でしなきゃいけないことをしとこうくらいの軽い気持ちでいられるようになりました。これが良いか悪いかはわかりませんが、私個人の精神衛生上を考えるとこれでよかったのです。
そうこうしているとあっという間に受験シーズンがやってきて、大学を決める時期が迫ってきます。「ミュージシャンじゃなくても音楽に関わる仕事はできるだろう」と割り切った私でしたが、心のどこかでミュージシャンになるチャンスはあるんじゃないかと思って、音楽が盛んだと思っていた福岡の大学に志望校を絞ります。大学に通いながらそういうチャンスを伺ってもいいんじゃないか?みたいな感覚です。また、ここで初めて触れるのですが私は4人兄弟の長男だったので、あとの兄弟のことを考えると私立大学には学費の問題で通えないだろうと思っていました。なので、「福岡」「国公立」「音楽」みたいな感じで調べていくと、福岡にあるの旧帝大の音響〇計学科というのがヒットしました。
「お!これだ!」
と思いましたが私の学力では及ばないところでした。当然浪人するような経済的な余裕もないですし(親から言われたことはないが、勝手にそう思っていた)、どうしようかと思いましたがとりあえず目指すだけ目指して無理そうなら他のところに変えようということで日々の受験勉強に励みます。
いよいよセンター試験が近づいてきたころ、私の成績もそこそこ伸びてきたころで私は思いました。
「あ、無理だ」
全然届かないんですね、成績が。なので、「福岡」「国公立」「音楽」から「音楽」を取り除いて調べてヒットしたのが、福岡の工業系の国立大学だったんです。旧帝大よりはもちろん入りやすい。工業系だったら、音楽機器とか作るような会社に入れたりするかもなーみたいなふわっとした理由で志望校をこちらに変更します。
そして挑んだセンター試験。今でも忘れられません。化学が私史上最低点の39点だったのです。よくもまあこんなんで旧帝大に行こうかななんて思っていたなと落胆していましたが、他の教科はまあそこそこできていたので、予定通り、福岡の工業系の国立大学をこのまま受験しようということになりました。しかしここで問題が。2次試験の教科が「数学」「物理」「化学」の3教科だったのです。化学に対する自信を完全に喪失してしまった私には、化学の2次試験を解ける気が全くしませんでした。もう二度と化学の問題を見たくありません。ですので、福岡の工業系の国立大学の中でも、「数学」と「物理」の2科目でいい別の学部に変更し、無事合格することができました。
「高校に通う意味」や「大学に行く意味」に悩んで、不登校になった私でしたが、受験を経ていつの間にかこれらの意味を考えることをやめ、「大学に受かること」をとりあえずの目的に掲げて、目的を達成しました。つまり、明確な目的や目標がなくなってしまったのです。このことにより、また悩むことになるのですがそれはまた今度。
ようやく大学まで来ました。ここまで一切「研究者」というワードがありませんが、いつから意識しだすのでしょうか。私もはっきり覚えていないので、振り返りながら思い出していければと思っています。
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